袋こうじ

1

※だれも恋愛的に幸せになりません、現状。
男女の結婚に関する描写があります。

朝起きると、ザーザーという音で雨降りだという事が分かる。
狭い室内は、梅雨時の雨が続いているため湿気っぽい。
古ぼけた畳もしっとりと重たくなっている気がする。

大学時代からもう10年も住んでいるボロアパートは築40年は超えているだろう。卒業するときに引っ越さなかった部屋は相変わらず薄っぺらい布団と一人暮らし用のちゃぶ台位しか置いてはいない。

カーテンを開けても薄暗い室内で、それでもせっかくの休日だから掃除でもしようと考える。

不意に、玄関のチャイムが鳴る。
ブーという古臭い音がする。事実、もう白かった筈のボタンの台座は茶色に変色していてあと何回音を鳴らすかというありさまだった。

返事をしてドアを開ける。
チェーン越しに見えたのは大学の同期の大塚で、急いでチェーンを外す。

連絡も無く、来るとは思わなかった。
それに、大塚は頭のてっぺんから足の先までずぶ濡れだ。

昨日の夜半から降り続いているだろうに傘もささず何があったのかと焦る。
小柄で細身の大塚の首筋も指先も、濡れて冷えたからだろうか、真っ白になっていた。

「とりあえず、上がって着替えよう。」

俺が言うのに、大塚は動かない。
なあ、痺れを切らして声をかけると、抑揚の全くない声で大塚は言った。

「結婚するんだって?」

誰か共通の友人から聞いたのだろうか?
誰かにそんな話をした覚えは無かった。

「ああ。」

けれど、俺が結婚するというのは事実で、その通り答えるとがばりと勢いよく大塚は顔を上げた。
唇がかすかに震えている様に見えた。


「だって、……だってお前ゲイなんだろう。」

絞り出す様な声で大塚は言った。

「女と結婚できるなら、なんで俺に告白なんかしたんだよ。
その所為で、こっちがどんだけ気を使ったのか分かってるのか!」

そう言って、大塚は目に涙をためていた。
思わず手を伸ばしたところで振り払われる。

確かに、大塚を愛していた。
いや、今も愛している。

けれど異性愛者である大塚が俺を恋愛対象にする事は多分一生無い。
それは、大塚も俺自身もよくわかっていた。
なのに、勝手に告白をして振られて、それでも友達として顔を合わせ、大塚が幸せになる姿を見る。
耐えられなかったのだ。

逃げたと言われればそれまでだろう。

大塚は相変わらず抑揚のない声で

「もう、俺からは連絡はしないし、会いにも来ない。」

そう言った。
俺はただそれを見ているしかない。
大塚はずぶ濡れたまま帰っていった。

* * *

京子と、出会ったのは会社近くの商店街の惣菜屋だった。
そこを切り盛りしているのが京子で俺は客だった。

彼女は俺が女性を愛せないことを良く知っていた。
けれど、彼女も人を愛せるような余裕はなかったのだ。

元々の性的指向の話では無く、精神的余裕も時間的余裕もなかった。
倒れて介護が必要になった京子の母親と、元々母親がやっていた惣菜屋、それが京子の人生のほぼすべてだ。

彼女は、経済的支えが、俺は結婚という社会的支えが欲しかった。
打算が無かったと言えばきっと嘘になる。

けれど、恋愛とか性愛とかでは無く、俺も、京子もただ、人生の戦友が欲しかったのだ。
だから、お互いに結婚という形を取るのは自然なことに思えた。

子供はいらないねと言っていたし、俺に好意があるそぶりを見せられたことも無かった。
京子の母親を看取って、落ち着くまでそういう話だった。

大塚が来なくなることが恐ろしくて大学時代に暮していたぼろアパートで趣味も殆ど無かった。
彼女とその母親を養える程度の蓄えはある。

いつか恋がしたいと言う京子に笑い掛けながら、俺はもう一生恋はしたくないと願っていた。

穏やかで、穏やかで幸せだと思った。
もう、恋はしたくは無かった。

京子が「フミ君にもいつか王子様があらわれるといいね。」とふんわりと笑った。

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