待ってて.
及川のせいで、ここ最近上手く集中できない。 意外に思われがちだけれど、趣味の読書に。 中学まではスポーツに励んでいたから、あまり触れていなかったけど、怪我をしたのを機に、持て余した時間で本を読んでいたらハマってしまった。 本の紙とインクの匂いとか、静かな図書室とか。 自分とは違う誰かになれている感覚とか、そーゆーのが好き。
図書委員になったはいいものの、放課後の当番は暇だ。勉強をしに来ている人は、本を借りないし。部活が盛んな青城では、殆どが部活に行ってしまうから放課後は利用者も少ない。
「及川も、今頃部活か…」
って、また及川のこと考えてるし…!! 雑念を振り切ろうと首を振っていると、頭にすこんと本が置かれた。
「名字さん、何荒ぶってるんですか。」
「国見くん…ごめん。」
「いや、見てて面白いんで。…あの、今日もう上がっていいって。司書さんが。」
「あぁー、いつにも増して人少ないもんね。」
「はい。…俺、部活行きますけど、名字さんは?」
「へ?」
「及川さん、見にこないんですか。」
「っはぁ!?」
思わずあげてしまった声に、視線が集まる。 そうだ、ここ図書室だった。
「さっき、及川も今頃部活かー…って言ってたんで。気になるのかなと。」
「そういう訳じゃ…」
「及川さん、名字さんの話よくしてますよ。来たら喜ぶと思います。一緒行きませんか。」
「え、いやいやっ…いいよっ!」
「いいですか。じゃあ、行きましょう。」
そっちのいいよじゃなくて…!!と抵抗する私に、国見くんは、じゃあお願いです、と言葉を続ける。
「及川さんに、連れてくるように言われてて。名字さんが来てくれなかったら、後々ダル絡みされてめんどくさいんで。」
ずいっと圧をかけられて、怯む。 国見くんは心底面倒臭そうな、嫌そうな顔をしていて、こんなに表情豊かな国見くんを見たのは初めてかもしれないと思った。
国見くんの後に付き従い、体育館へ。 勿論、二階にはチラホラと女の子の姿が。 国見くん曰く、練習試合とか大会のときとかはもっと沢山いるらしいけど、普段はそんなに多くないらしい。 もっと沢山いると思ってたから、きっと紛れられるだろうという思惑は外れてしまった。
熱気のあふれる室内。 及川が号令をかけて、部員が一斉に返事をして動き出す。 及川の、おっきい声初めて聞いた。声を張ると、低くなるんだ…いつもの柔らかい響きを持った声とは違う響きに、心臓がぐっと掴まれたような感覚が走る。
「…ぁ、」
バチっと目が合って、思わず声が漏れた。 見上げる瞳が私を捉えて、見開かれる。 軽く弧を描いた口元が、ぱくぱくと数度動いた。 まっ、て、て? 自惚れかもしれない。けれど、いつもとは違う及川のバレーをしている姿に見惚れて…結局最後まで見学してしまった。
階段を降りて、体育館の外に。 自動販売機でスポーツドリンクくらいは買っておこうと、ボタンに手をかけると、トントンと肩を叩かれた。
「名字ちゃん、ごめんお待たせ!!」
「おつかれ。着替えは?」
「えっと…帰っちゃうかなと思って。先に会いに来たって…なんかダサい?」
「ダサくないけど…待ってるから大丈夫だよ。着替えておいで。」
「…っごめん!すぐ帰ってくるから!…あ、ちょっと冷えるし、ジャージ着てて!」
「え、あ…ありがとう?」
及川は私の肩にジャージをかけると、部室の方へと走っていった。 柔らかく香る柔軟剤の匂いに放心していると、すぐに及川は帰ってきて。 その姿がなんだか…動物に例えるなら犬みたいで笑ってしまった。
「名字ちゃん、俺が待っててって言ったのわかった?」
「うん。なんとなく」
「よかったー…、ごめんね遅くなっちゃって。」
「いいよ、見てて楽しかった。トス?って言うんだっけ、及川めっちゃ上手いね!素人目でもわかる。」
「そう?まだまだだよ。足りないもんばっかり。俺なんかより上手いやつだっていっぱいいる。」
及川はそう言ってへらりと笑って見せたけれど、 俺なんか、という所でぐっと奥歯を噛んだような音がした。 無理に作っているような表情は、私も知ってる。 自分がスポーツをしていた時、こうやって下手くそに笑っていたから。
「向上心、だね。でも、『俺なんか』って言うのは気になる。」
「…なんで?」
及川の顔から表情が落ちた。
「謙遜じゃなくて卑下みたいだから、かな。及川の手って不自然に関節が太いなって思ったんだけど、それって、突き指とか繰り返して太くなったのかなって感じて。」
手を合わせた時に、感じた。 関節の太さだけじゃなくて、指先には所々に傷痕があったのも覚えている。 確か、バレーボールをしていた友達は手が乾燥するとよく嘆いていた。及川も指先がひび割れるくらいに、ボールに触れてきたんだろう。
「努力して、いっぱい身につけたものを卑下しなくてもいいのにって思った。今の及川は、努力してここまできた及川じゃん。」
及川の顔を覗き見ようとチラリと視線を向けたけれど、及川は上を見上げていて。その表情は読み取れない。 なんか説教くさかったかも、と少し後悔したその時。及川の手が、私の手を取った。
「ごめん、今だけ。」
前に手に触れた時とは違う、固く握られた手に釣られて、私も強く握り返す。 そのまま、夕焼けの空の下。お互いに何も話さずに、ただ手を握って歩いた。
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