後輩の髪.




「さーむらくん、怒んないでよ。悪かったってー!」

「名字は、真面目で素直なんだ。あんまりからかいすぎないでやってくれよ。」

俺がそう言うと、黒尾はあまり反省していないようで。ニヤニヤと口元に手を当てて笑う。

「名字チャン、かわいいよな。」

「…ウチの後輩は皆かわいい。」

「うん。名字チャン、まじで素直だよね。鉄朗くんって呼んでって言ったら、ほんとに読んでくれてさ。…澤村も大地くんって呼んでって言ったら?」

よく回る口だと思う。
…鉄朗くんとか、聞いてないけど。さっきも黒尾さんと呼ばれていて、俺はまだ澤村先輩なのになぁ、と軽く凹んだ。

「俺も鉄朗くんって呼んでやろうか?いや、てっくんとかの方がいいか。よし、てっくん、音駒の風呂の番だけど、行かなくていいのか?」

「やべ!ってか、てっくんはやめて!」

「はいはい、早く行ってこいよ。」

風呂上がりにさっぱりとした気分を黒尾に持っていかれてしまった。
ため息をつきながら、すっかり飲み物でも買うか…と自販機へと足を向けた。





自販機のあたりは、暗い廊下の中でぼんやりと光る。
隣にあるベンチには、人影が見えた。サイズ感的に、女子だから、マネージャーだろう。

「澤村先輩?」

「…名字、」

座っていたのは、名字だった。
風呂上がりだからか、いつもは三つ編みに結っている髪を下ろしている名字は、雰囲気が違って見える。
手にはスポーツ飲料とスマホ。単語帳アプリで復習していたようだ。
俺も同じスポーツ飲料を買って、隣にいいかと尋ねると、名字は何度も頷いた。

「マネ部屋いかないの?」

「さっきまで居たんですけど…」

もしかして、馴染めなかったんだろうか。名字は、人見知りなところがある。でも、清水も谷地さんもいるし、大丈夫そうな気がする。

「どうかした?」

「…その、恋バナになっちゃって。」

逃げてきました、という名字は、薄暗い中でもわかるくらい赤面している。
恋バナか、そうか…。告白された身としては、返し方がわからないが、まぁ、誰が好きなんだと詰められれば、名字は困るだろうなと思った。

「…あー、その、うん。もう少し、話してから行くか。」

「はい、」

「音駒は、どうだ?そのー、うまくやってる?」

「は、はい、おかげさまで!ウチとはまた違った感じだけど、皆さん優しいですし、他のチームの戦略とか、サポートの仕方とか、勉強になります。」

さっきまでとは一転、キリッとした横顔は頼もしかった。マネージャーとしての後輩ができて、張り切る気持ちもあるのかもしれない。

「黒尾さんは、コミュニケーションの仕方が上手だなって。月島が他校の先輩とあんなに話すの、はじめて見ました。私も、見習いたい、」

「月島か。名字は、割と話してる方だと思うよ。ほら、なんか雑学で盛り上がってたよな。」

「月島は、生物に詳しいんです!特に、古代生物については饒舌で…びっくりしました。」

名字、面倒見いいんだよな。谷地さんとも、音駒の一年生にも、頑張って話しかけているのを見た。
一年の頃は、もっとガードが硬い感じだった。成長しななぁ、と嬉しくなる。それと同時に、少し寂しさも感じた。

「名字」

「っはい」

唐突に呼ばれたせいか、名字の声が裏返る。

「ちゃんと水分とってるか?」

「あ、はい、気をつけてますっ!」

「飯食ってるか?」

「腹八分目を目安に、食べてます。」

「うん。気張って疲れてると思うから、勉強も偉いけど、夜はしっかり休むんだぞ。」

「はい。」

頷く名字の動きに合わせて、ゆるくウェーブのかかった髪が揺れる。
綺麗で、うっかりその髪に触れたくなった手を、ぎゅっと握り込んだ。…危ねぇ、何しようとしてんだ、俺。

「澤村先輩も、ゆっくり休んでくださいね。…おつかれだと思うので。」

本当は、初めての合同合宿で少しだけ緊張していた。
ウチは、特に問題児が多いから、気を引き締めなくてはならないと。
名字の言葉一つで、それが解れた気がした。

「…なぁ、大地さんって、呼んでくんねーの?」

こんなことを行ってしまったのは、解れてしまったせいだ。

「へっ、???」

名字が目を丸くして、じわじわと頬を赤く染めていく。
いや、俺の方だから。そのリアクション。
呼び方一つに、しかも黒尾に対抗するように、こだわってしまうなんて、ダサいのはわかってる。
…言っとくが、こっちは名字が後輩になってからなんとなく引っかかっていたのだ。
スガや旭、清水みたいにフラットに呼ばれたい。好意の裏返しとわかってはいても、どこかに寂しさを感じていた。

「まぁ、名字が難しいなら仕方ないか。気長に待つよ。」

大人げなかったなと思って、そう言えば、名字は少しほっとしたような顔をする。
そして、小さな声で言った。

「大地さん…って、呼びたいんですが、その…やっぱり人前でこんな赤くなっちゃったら、バレバレだし…二人の時だけでいいですか?」

二人の時だけ、って、そっちの方が逆に恥ずかしくないか?と疑問は残るものの、真っ赤でいっぱいいっぱいな名字を見ていると、寂しさなんてどこかに飛んでいってしまった。

「じゃあ、その方向で…」

どの方向だよ、なんてセルフツッコミはスルーして。
名字と俺の間の秘密が、一つできた。







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