「……諦めちゃ駄目よ」

 七瀬の横で、静かに呟いたのは那岐のようだった。少しだけ視線を動かし、那岐の横顔を見ると、少しばかりこの事態に憔悴した彼女の顔がそこにはあった。

「“どんなに絶望的な状況下であっても、希望を捨てちゃならない”」

 誰かの受け売りであろうその台詞を、どこか淡々と述べ、那岐は真っ直ぐにこちらを見る。前田と新条の最期がまたすぐに生々しく甦り、七瀬は身体が震えた。それを取り除くかのように、那岐の視線はこちらを捉えていた。彼女の唇が再び動く。

「最後に生き残るのは、生きようとする強い意志がある者だと――私に、刀での戦い方を教えてくれた人は……言っていた」
「……」

 血塗れの日本刀を持ち直しつつ、どこか懐かしむように目を細めてから那岐が呟いた。それから、ため息を吐いた。

「……感傷に浸ってる時間も今はあまりないみたい。絶望的になっているよりも、今は次の事に頭を切り替えた方がいいわ」
「……っ……」

 それは――その通りのようだった。
 横手に見える扉がはじけ飛び、ばん、と乱暴にこじ開けられた。次の瞬間に、目の前に飛び込んできた物体があった。一転してそれが起き上がると、セーラー姿をまとった例の『死神』だと分かった。

 いや……、七瀬は首を静かに横に振った。曲がりなりにも神だなんて呼びたくもない、梶原はそんな風に称していたけれど――こいつは、只の殺戮者だ。大事な人を奪い、僕達を殺し合わせて嘲笑って楽しんでいた。只の、最低最悪で下劣なサイコパスだ。

「出たなオイ。散々、逃げやがって」

 キルビリーが咥え煙草のままで呟き見ると、襲来者はまたボサボサの髪をそのままにニタリと笑っていた。

「……那岐ちゃん、正面から勝負吹っ掛ける? 正攻法でいく?」

 キルビリーの問いかけに那岐が唇を引き結ぶ。無論刺し違える覚悟で倒す気はあったが――只、『倒して終われる』とも限らないわけだ。

「おいおい見ろよ、この絶望的なムード。……奴の士気もそれを取り込んで昂揚しているのが分かるぜ。ポテンシャル上がりまくっちゃってるんじゃん?」
「……それでも……負けられないわ、絶対に」
「いやいや那岐ちゃん、ちょっと落ち着いてみようや。――目的の為に怪我するような戦い方は出来ないんでしょ、君は? もう少し何か、こう、考えてみない? 温存するような方法ってのをさ」

 目の前に再び姿を見せたその襲来者ではあったが――日本刀を背中に抱える形で、メインウエポンを日本刀から電動の草刈り機に持ち直しているみたいだった。早速それを不敵な笑みと共に作動させれば、バイクのエンジン音にも似たかなり耳障りな騒音が唸り出した。
 クソやかましい音にかき消されてしまわぬよう、那岐が息を吸い込んでから言った。

「だけど、今は目先の一勝にこだわらなくては……ここで負けては意味がない」

 その振動音に呼び出されたのか、はたまた『彼女』が何か合図を流したのかは分からなかったが――呼応するかのようにゾンビ達がまたもや沸いてきたのが分かった。疲れを知らない奴らとの戦いを延々と強いられている、先にどちらが果てるか……もはや体力勝負といったところか。

「一難去って、また一難」

 ロッキンロビンがぼそり、と呟いた。それを隣で聞いた柏木が、一どころか二も三もあるような気がしているがと苦笑いに近い表情を浮かべていた。キルビリーは那岐をたしなめるように、しかし事態は切迫している事――それを念頭に置きつつ言葉を繋ぐ。

「いやいや、聞いて。その刀、もう相当に刃こぼれしてるでしょ?」
「――……」
「で、こっからが重要。それこそが奴の狙いよ、分かる? あいつが逃げ回ってたのはそういうわけだ。……こっちがいくら真っ当な戦いを挑んだところで、あっちが正面切ってその通りに戦ってくるとは限らない。そりゃそうだよな、これは殺し合いなんだから。『正々堂々と』なんて言葉が、戦争で存在するか?」

 ややあってから、那岐はその刀を下げて深いため息を吐いた。肩の力を抜くようにして、一歩後ずさった――「そのとおりね」。歯噛みするような表情を浮かべてから、那岐がキルビリーを見やった。

「あなたの言うとおりね。考え方を……改めたわ」

 逡巡しているような様子ではあったが、那岐はキルビリーの言いたい事を理解したのだろう。刀を収め、その場から一歩引きさがる。それを見て、柏木が驚いたように彼らを見比べた。どういう事だ、というような表情を浮かべていた。

「……い、よーし。じゃっ、ここは俺達が囮になってひきつけちゃる。準備はいいか、ロッキンロビン?」
「――ええ」
「お、囮って!」

 耳を疑いつつ、七瀬が聞き返せばキルビリーは少しだけこちらを振り返る。親指をぐっと立てながら、ここぞとばかりの笑顔を見せてくる。歯を覗かせつつ、しかし今はちょっとばかり余裕がなさそうでもあったが。

「俺達の那岐ちゃんに傷一つでもつけたら許さないぞ、っつーわけでよろしく頼む」
「そんな――」
「眼鏡くん」

 キルビリーが七瀬に向かい、続けた。

「那岐ちゃんは冷たそうにしてるけどな、これで結構お前の事気に入ってるんだと思うぞ。満更でもないみたいだけど素直になれないみたいだからさ……ま、察してやってな?」
「……へ……?」
「っ、お、お前……、おい!」

 ポカンとする七瀬であったが、柏木はそれどころではなさそうにしていた。どういう事なのか問い詰めようとするが、キルビリーはもう時間も惜しいとばかりにちょっとだけ肩を竦めて笑うだけだった。

「お互い生きてたらまた会おうぜ、男前」

 強がりなのかぺろっと舌を出した表情でウインクした後、すぐに彼は正面へと向きを切り替えていた。

――振り向けよ。おい、もう一度、こっちを見ろよ……

 いくら祈ろうが、それが彼の背中に届く事はなかったようだ。

「……早く、私についてきてッ!」

 しかし、事態の猶予の無さを宣告するような那岐の声が空気を震わせていた。七瀬も柏木も先程、その命を落とした二人を思い返し、モタモタしていられないと踏み込んだ。柏木が名残惜しそうに背後を振り返ったが、既に押し寄せるゾンビ達が二人と一体の姿をかき消していた。

 キルビリーは三人がその場を離れた事を知ると、内心で安堵しつつ、しかし気を抜いているわけにもいかないと正面を見つめた。

「ロッキンロビン、俺は刀の事も考えたらあれこれやってる暇もないから……こいつ、大物一本狙いでいく。お前はゾンビどもの始末と、あとは援護射撃で」
「了解。――相手になってあげるわ、この死に損ない」

 頷くのと同時にロッキンロビンは振り返りざまにその脚を使う。後ろ回しの要領で脚を旋回させたのちに、関節部分でゾンビの頭部を挟みあげるようにして固定させた。空いた上半身で、その隣にいた背広姿のゾンビの顔面に鋭い突きを食らわせるとあっさりと二体同時に沈めてしまった。
 縦突きをもらって倒れるゾンビを見つめながら、さっき自分もやられたからその辛さがよく分かるとちょっと哀れにもなる。

「よしよし、相変わらずのバイオレンスさだな。その容赦ない蹴り方といい、痺れるぜ」

 続けざまロッキンロビンは壁を蹴り上げ、空中へと飛ぶと勢いをつけて膝蹴りを奥のゾンビの顔面に叩き込んだ。あー、あれ、鼻折れて曲がったな。整形手術だ、おめでとうございます。

「……貴様は」

 草刈り機を構えたままの少女が、そこでようやく口を開いた。返事がわりとして、キルビリーは咥え煙草のまま見つめた。少女はキルビリーの顔をまじまじと眺めた後、一人納得したようにまた喉の奥から漏れるような笑い声を出した。

「そうか。姿を変えているが……お前……――だな、そうか、そうだ」

 改めて、キルビリーがその存在を正面に捉えた。はーい、御立ち合いでーす。といった内心であった。そいつは、自分の本当の名前をあっさりと見破ったようだが――まあ、別に後ろめたい事もなかった。

「キルビリーだよ〜、ウフフ〜。オッケー」
「……偽の名なんてどうでもいい……どうでも……」
「あ、そ。じゃあ、ものはついでに一個聞くんだけども」

 少女はこちらの話を聞いているのかいないのかクスクスと不愉快な笑い声を続けたままだ。構わず、キルビリーは問いかけた。

「どうして俺達がここで殺し合わなきゃいけないんだ? 仲間同士でさ。……だってさ、すげぇバカみたいだろ、こんな事したって。無意味で無益だよ、ネクロノちゃん」
「……何故お前がそれを聞く。そんな質問をして、何の意味がある」
「分かんないか? 俺達はこんな真似をしたくないんだ、っていう意味だよ。お前、偉そうに人間はいつの時代も血で血を洗って愚かだとか何とか呆れ返ってたけどさ、同じ事してんだよ」

 珍しく真剣なトーンで彼は語ったが、頭に血が昇っているのだろう。ロッキンロビンが背中を向けながら、その声に耳を澄ませつつ考え込んでいた。


 非常階段を全速力で駆け下りていく――地獄を舞台にしたこの馬鹿げた鬼ごっこに、終わりが来る事はあるのだろうか。七瀬は青白い顔を更に青くさせながら、しかし何とかして那岐を見やった。走りながら喋る程の体力がかろうじて残っていた事に安堵し、そして何より絶え間なく動き回る事で前田の死を忘れようともしていた。
 
「っ……那岐さん、ま、まずはその刀……何とかするんだよね! けど、どうやって? 打ち直してる時間も道具も……」
「ええ。――だから、ひとまずの緊急手段」

 言いながら立ち止まると、那岐がその刀に手をやった。元々体力のない七瀬にとってはここまで全速力で駆けるだけでも既に足が千切れそうだったし、運動部出身ではあってもここ最近の運動不足が枷になっているのか柏木も流石に応えているようだった。
 そんな中で女の子だけが一人、けろっとしているのだから何とも不思議な光景ではある。

「泥水と、木や雑草を焼いて出来る灰をまぶせば人の脂は取り除く事ができるわ。流石に職人がやるような鍛冶みたいにはいかないだろうけれど、これで最悪の窮地は凌げる筈ね」

 そして華奢な見てくれとは違い、逞しい彼女の姿に残された男子二人もここで諦めては何やらがすたるとばかりに闘争心が芽生えてくるのが分かった。鍵の開け放された裏口から外へと飛び出すと、夜明け頃に少しだけ降った雨水のにおいが漂った。

 那岐は足早に動くと、ぬかるんだ大地にしゃがみこむ。跳ねた泥水が制服に飛び散るのも構わないといった具合に、水溜りにその刀身を沈めてまずは血を洗い流す。

「……あとはあの二人がどれだけやってくれるか、って部分にあるわけか。勿論、手ぶらで帰る為にここまで走ってきたわけじゃないよな」

 それから、柏木は思い出したように、持っていた拳銃に弾を込め始めた。この弾だっていつ尽きるとも知れない。時間も体力も、いずれ限界は来る。
 その問いかけに、那岐が深く頷いた。

「勿論。あちらにやられっぱなしではいられないわ……と言っても、即席で作れる武器なんて選択肢は限られている。――すぐに思いつくものでは、手元に集めやすいもの……」

 呟いてから考え込むように、那岐はやや目を細めた。しばし考えた様子を見せてから、那岐がチラッと視線を上げた――「そうね」。

「洗剤」
「え?」
「……アルカリ性の、強力な洗剤を」
「――アルカリ性……アルカリ性……、だったらパイプ用の洗浄剤とかがそうだね? 台所かトイレを探す事になるか」

 七瀬が呟くと、那岐が頷いてから続けて言った。

「それも、出来る限り大量に欲しい。あとは気密性の高い、アルミ製の缶があればそれも一緒に……」
「成程。あったなそういう……、アルミ缶に移し替えた業務用洗剤を持ち歩いていたら、化学反応で爆発させてしまって電車の中が大惨事になった事件――」

 柏木が呟くと、那岐がこくりと頷いた。同時に、中学時代、木崎に教えていた化学の内容を思い出した。強いアルカリや酸は、金属を溶かし、熱を生じさせる。気化した成分が爆発するから、危険だぞと。木崎の事だから平気で『混ぜるな危険』を混ぜたりしそうだな、と笑っていたのも。

 那岐はそれから、ここのホテルの従業員――及び、喫煙者達が灰皿代わりにしていたのであろう錆ついた一斗缶へと近づいた。それをひっくり返すと、中から大量の灰が飛び散った。離れていてもこちらにもまで臭ってくるくらいの、きつい煙草の香りに思わず七瀬も喫煙者である柏木も顔を同時にしかめる。

「狭い場所でやるのは少し危ないけれど……やれるだけの事は、やってみましょう」
 
 


オシャレなカフェの店員とか美容師とか
大手企業の営業とかホストそういうBLはよく見るけど
そろそろプロの雀士×ひよこ鑑定士とか、
木こり×パセリ栽培自営業農家とかの
すごい珍しい職業のBLがあってもいいと思うわ。

36、嫁が許さへん

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