今でも思い出せる。大地くんに漬け込んだあの時を。


大学を卒業した日、菅原、潔子、澤村を含めるサークルのメンバーで飲み会を開いたとき。
『学生最後の夜』と称して集まった飲み会で若菜は幸せそうな雰囲気を漂う2人に戸惑いを隠せなかった。それを示す事はひとつしかなかったから。
気付かれない様に彼を伺うと、2人を見て苦しそうに笑っていた。ごちゃ混ぜになった様な感情を目に浮かべていても悟らせないようにしている姿に胸が苦しくなった。

飲み会が終わって、二次会をしようと騒ぐメンバーの中、抜けていく大地くんを追いかけた。道の外れた場所に踞る様に座っていて、思わず近付いたら腕を掴まれる。
掴まれた所から全身に熱が広がっていくのに気付いて顔を赤くする若菜。そのまま隣に腰を下ろした若菜の耳に届いたのは小さな笑い声だった。

「…はあ、かっこわる……」

自嘲気味に呟く声に胸がきゅっと締め付けられる。彼の泣き笑い顔はずっと見つめ続けていた若菜でさえも初めて目にするものだった。そして、それを引き出したのは自分ではなく2人だということに胸が苦しくなる。

「…かっこ悪くなんかない。大地くんはいつでも、恰好いい…よ」

いつの間にか心の声が口に出ていた。今にも飛び出してきそうな心臓を必死で宥めながら驚きの眼差しを受け止める。

「私、は…ずっと見てたから、知ってる」

若菜はただ、澤村に元気になって欲しかった。新しい生活、新たな一歩を踏み出そうという日に大好きな人の悲しい顔は見たくなかった。
その為なら自分が恥をかくくらい何てことはない。どうせ今後は同窓会くらいでしか顔を合わせないだろうし、遠くから眺められればそれで十分。二度と話せなくなる覚悟で若菜は自分の想いを口にしたのだった。





***
それにいいよ、と答えてくれた大地くん。感情の整理はまだついてないけれど、と申し訳なさそうな表情を浮かべて。私の大好きで、笑顔でいてほしい人。
私の、付き合って欲しいという我が儘に付き合ってくれた大地くんには感謝しかない。
付き合っている間は、本当に付き合いたかった人は別なはずなのに優しすぎる位に優しい大地くんに何度も泣きそうになった。好きとも愛してるとも私が告白したあの日以外お互いに1度も言っていない。
私の意見ばかりを尊重してくれる大地くんには、もっと側にいるのに相応しい人がいる。
時折、暗い表情を浮かべていた大地くんが、最近は立ち直ってきて暗い表情を浮かべなくなったから、私が大地くんの彼女という立場にいる理由なんてもうない。

「諦められるの若菜」

「無理」

「だったら…」

「大地くんにはもっとお似合いな人がいるよ。むしろ、付き合ってくれた事が夢だと思っている」

「…そう」

迎えが来たからと帰っていく潔ちゃん。乗っていくかと聞かれたけれど恋人を邪魔する趣味はないし、一人でもう少し居たかったから断る。
帰るときには辺りは闇に包まれていた。

「……若菜?」

大好きな人に名前を叫ばれたような気がした。
名字で呼ばれていて名前は1度も呼ばれたことはないのに。あれは願望が生み出した幻聴、もしくは別の人が呼び掛けたのだと直ぐに思い至る。
そう、呼ばれたのは気のせい。

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