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「師範、支度が出来ました!」
「行くぞ」
「はい!」
見回りを終え、少し仮眠を取った俺達はお館様の屋敷へ向かうべく長閑な道を歩く。
いつもより元気な月陽の頬は昨日より痣が薄くなったような気がする。
「よく眠れたか」
「はい!ありがとうございます」
「なら良い。柱合会議には他の柱も来ているが俺の継子として堂々としていろ」
「ど、堂々と…」
「気負う事はない。いつもの様にしていればいい」
緊張した面持ちの月陽を見て和やかな気持ちになっていると、後頭部の一束がひょこりと跳ねていた。
気になったそれに手を伸ばし、撫で付けるように手を押し当てれば驚いた様な顔をしてこちらを見る瞳と目が合う。
「乱れていたぞ」
「…す、すみません!師範に頭を撫でられたのかと思って…えへへ、恥ずかしい」
照れながらはにかむ月陽に思わず見惚れて動きが停止する。
こんな風に微笑まれたのは初めてでどうしたらいいのか分からなかった。
「…月陽、俺というものがありながら浮気か」
「!」
だから気付かなかった。
男の気配が俺達に近付き先程撫でていた髪を掴むその一瞬まで。
「あなた…っ痛!」
「おい、何をする!」
「俺の妻を名乗る癖に他の男の家に泊まりそんな顔を見せやがって!」
「やめて、師範とはそんなんじゃっ…」
男の腕を掴み制止させようとするが、逆上したそいつは俺の事など一切見ていない。
ふと視界に入った光景に俺は目を見開いた。
どんなに厳しい修行をしても、仲がいいと言っていた仲間の死にも涙を流さなかった月陽の瞳から大粒の雫が頬を伝っている。
「…触れるな」
「ぅ、ぐっ!」
「夫とは妻を守り愛する存在だろう!それが出来ぬ様であれば貴様など月陽の夫と名乗る資格は無い!」
「し、はん…!」
男の横っ面を殴り飛ばし怒鳴りつける。
愛する者から理不尽な暴力を受け、必死に耐えてきた月陽には悪いがそれを目の前にしてこの気持ちを抑えるなど出来ようものか。
「どうして泣かせる!お前を愛し信じる月陽を何故泣かせる事が出来る!例えお前を月陽が許そうとも俺は許しはしないぞ」
「ひっ…!」
「やめて下さい師範!お願いします!」
「即刻消え失せろ。今なら月陽に免じて見逃してやる」
「…く、くそっ!もうお前とは終わりだ!二度と顔を見せるなよ!」
刀を突きつけられた男は自分を庇う月陽を一度見て、よろよろと走り去って行く。
その場に残った俺達は無言でその場に立ち尽くした。
殴ってしまった。
月陽の大切な人を。
そっと横目で月陽を見れば必死に涙を袖で拭っている。
「…無闇矢鱈に擦るな。腫れるぞ」
「すみません…っ」
「……すまなかった」
月陽はきっとまだあの男の事が好きなんだろう。
俺の勝手な行動で離縁する事になってしまった。
彼女の気持ちなど一切考えずあんな行動を取って、俺は師範失格なのかもしれない。
「そんな、師範が謝る事ではありません!私が、いけなかったんです」
「お前の何が悪いと言うんだ」
「私が師範に心寄せてしまったから…だらしのない女です。継子として優しくして頂いてるだけだと、自分に何度も言い聞かせたのに」
頬を伝う涙を拭ってやっていた俺はその言葉に動きを止めた。
今何と言ったんだ。
「あの人とは正式に離縁をしますし、きちんと継子としてこれからも頑張りますから…その、どうかまだお側に置いてはくれませんか?」
「お前は、継子として側に居たいのか」
「え…?」
「それとも」
あの男によって乱されてしまった後ろ髪を撫で顔を引き寄せ湿った瞼に口づけ、大きな目を見つめる。
「俺と次の人生を共に歩む者として居たいか選べ」
「…それって」
「どちらにせよお前が離れる事は許さん。分かったなら全てが終わったら答えを聞かせろ」
「は、はいっ!」
涙も乾いた月陽の頬を撫で、もうこの身体に理不尽な傷跡がつかない事を祈る。
隊士として鬼殺の為に命をかける同士いつ死ぬかなど皆目検討などつかない。
だが、この身体が動く内は月陽を守り愛する存在で居たいとそう思う。
「行くぞ。会議に遅刻する」
「分かりました!師範!」
いつかその唇が愛おしげに俺の名を呼んでくれると信じ、後ろについてくる存在にバレないよう頬を緩めた。
おわり。
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