あの日以来、あたしは客を取るようになった。出勤日は有り難いことに常に予約が入る。ただ問題なのは、それが全部京だってこと。京はご丁寧にあたしの出勤時間内全部を予約してくからまだ京以外の客を取ったことがなかった。そのくせ京自身は来たり来なかったり。来なくても部屋とあたしだけはしっかり最大時間押さえてキャンセルはしないでくれって店長に言ってあるから他の相手ができない。たまに夜顔を出すこともあるけど、相変わらず何もしてこなかった。京とえろいことをしたのはあれっきりで、それ以降京はあたしに膝枕を要求することすらなくなり、代わりといってはアレだけどあたしが膝枕をしてもらうようになった。してもらうっていうかあっちがしつこいから折れてやってるだけなんだけどな。予約が入ってても確実に来る保証なんてどこにもないから、今日は来んのかな、来ねえのかなって1日中悩むはめになる。京はあの日のことをなかったようにあたしに優しく接してくれて、またあたしのいろんな話を聞いてくれた。京と話してるとすげえ安心するし、何も隠さずに本音が言えることが心地好い。京は絶対にあたしをバカにしたり否定したりしないからそれがすげえ嬉しかった。

今日も例外なく京のことを考えて過ごす。京と最後に会ったのは3日前だしそろそろ来てくれるかな、いやでも仕事忙しそうだしな、と予想を立てては落ち込む。京に、会いてえよ。

「店長、今日京来るかな」

気分が落ちてくるから仕方なく隣にいた店長に話し掛けると、さあな、と店長は肩を竦める。

「別にいいじゃん、来ても来なくてもお前にがっつり金入るんだから」
「まあ、そうなんだけど」
「それともあれか?五十嵐さんはそんなにクセになるほどウマいのか?」
「そ、そんなんじゃねえよ!」

店長がにやにやするからつい声を荒らげてしまった。睨みつけたところで店長はカラカラ笑うだけだ。

「五十嵐さんもお前も健気だよな。付き合ったりしないのか?」
「付き合う?あたしと京が?」

考えたこともなかった。京はあたしと付き合いたいのか?いやまさかそれはないな。きょとんとしているあたしに店長はまた笑うと、手を振って裏の方へ行ってしまった。唯一の話し相手を失ったあたしはまた1人で京のことについて考えるはめになる。



****



「こんばんは」

夜10時。今日はロングの予約が多くて受付になかなか人が来ないせいかついうとうとしていたら耳許で優しい声が聴こえた。よく知ってる、上品で穏やかな声色。重い瞼を持ち上げて2度3度と瞬きをすると京が幸せそうに微笑みながら受付のカウンターに頬杖をついている。ん、んん?なんて寝ぼけ声のあたしを見てさらに嬉しそうに笑った。

「けい…?」
「ん、起こしちゃった?でも受付で寝顔見せてたら橘さんに怒られちゃうよ」
「あいつはいいんだよ、別に」

椅子から立ち上がって目を擦ると、京も自分の荷物を持ち上げる。

「それより、部屋行くか」
「うん。よろしくね」

もうシャワー浴びるか?なんて聞かなくなった。京がそれ目的で来てるわけじゃないのはここ1ヶ月で十分分かったし今更強要するつもりもない。ベッドで待ってると、ジャケットとネクタイを取った京が後からついてくる。

「名前、おいで」
「…」

未だに膝枕とやらには慣れてない。する側だったときは良かったのに、される側になってからは妙に落ち着かないんだよな。擽ったい気持ちになるというか、どうしてればいいのか分からなくなるというか。京を見上げると京はいつものように優しく微笑みながらあたしの頭を撫でてくる。

「なぁ、京って彼女いないの?」
「いないよ。というかこの前も聞いてただろそれ」
「あ、そうだっけ」

そういえば聞いたような気もするな、と思って質問を変える。

「京ってどんな奴がタイプなの?」
「俺に興味持ってくれるなんて嬉しいな。そういう名前はどうなんだ?」
「あたしの話はいいんだよ、いつも喋ってばっかだから今日は京の番!」

京はちょっと困ったように笑ってから、そうだなぁ、と声を漏らしながらあたしの髪に指を絡めた。

「可愛くて、俺のこと好きでいてくれて、それから自分のことを大切にしてる子、かな」
「…、へえ」

自分のことを大切にしてる子、ね。思わず舌打ちしそうになった。可愛くもなければ自分を大切にもしていない、あたしなんか論外なんじゃん、と心のどこかでがっつりヘコむ。こんな店で働いてるあたしを否定してるみたいで、いつもあたしを受け入れてくれる京でさえあたしを拒絶し出したら、あたしはどうしたらいいのか分からない。あたしは今までそういうことでしか褒めてもらったことがないのに、その唯一の取り柄さえ京は否定するのか?

「名前?」

京があたしの目元を撫でてきてハッとした。ぼろぼろ溢れていた涙に自分でびびる。慌てて起き上がると京はどうすればいいか分からない様子であたしを眺めていた。

「名前」
「京はあたしのこと、受け入れてくれるよな…?」
「えっ」

京が短く声を上げたけどお構いなしに京の襟を引っ張る。そのまま唇を重ねようとすると、京はあたしの唇に手のひらを置いた。

「だめだよ、名前」
「は…っ」

拒否るの、かよ。ここまであたしに優しくしてくれたくせに、何で受け入れてくれねえんだよ。何で拒否るんだよ。わけわかんねえし涙止まんねえし、京を睨みつけると、京はあたしの頬を撫でながら真剣な顔をする。

「俺は恋人としかこういうことはしたくない」
「っ、こんな店に来といて、何言ってんだよ!」
「うん、ごめんね。それでも俺は恋人としかキスはしたくないんだ」

京の言ってることの意味があたしには伝わってこない。

「この前キスしただろっ」
「あのときはああするしかなかったんだ。今はそうじゃない。する必要のないことをしたくない」

はっきりとした拒絶に目の前が真っ暗になるようだった。あたしは京に特別扱いされてんだって勘違いしてた。京はゆっくりとあたしの名前を呼ぶ。

「俺はもっと名前に自分を大切にしてほしい。俺とキスする必要がないのに自分を安売りするような真似はやめてくれ」

必要がある、ないじゃない、あたしはただ京に受け入れてもらいたかった。優しい言葉、仕草、行動であたしを包んでくれて受け入れてくれた京に、最後まで自分を認めてもらいたかった。それなのにこんなところで終わりたくない。

「だったら…っ」

京をもう1度睨み付ける。

「あたし、京と付き合う」
「…、え?」
「京の彼女になればさせてくれるんだろ?じゃあ京の彼女になってやるよ」
「だからね名前、俺はそういうことを思い付きで言ってほしくないんだよ。名前が思ってることを、したいと思ってることをしてほしいだけなんだ。それは難しい?」
「ごちゃごちゃうるせえ!あたしにはこれしか取り柄がねえんだよ…っ」

涙が邪魔をして声が震えてくる。

「そんなことないよ。名前は可愛いしいつも一生懸命だ。話も面白い。自分をしっかり持ってる。すごく優しい。俺はこんな素敵な女の子に出会ったことがないよ。いいところがたくさんあるのに、どうしてそんな悲しいことを言うの?」
「これしか、褒められてこなかった。だから、京にも褒めてほしいんだよ。京にあたしのこともっと知って、あたしのこともっと受け入れてほしい。なぁ、もっと褒めてくれよ。逃げんなよ…」

声が消えそうだったけど何とか伝えると、京は一瞬びっくりしたようにして、すぐ笑顔になる。泣いてるあたしが面白いってのかよ。

「あのさぁ、名前」

むかつく奴だと思ってたら京があたしの頬を両手で包んでおでこ同士を引っ付けた。顔がすげえ近い。

「そういうことばっか言われると、俺自惚れちゃうんだけど…」
「は、?」
「えっとだから…名前は俺のこと好きなの?」

すき、なの?か?あたしが、京を?
あんまり考えたことがなかったからきょとんとしてしまう。何も答えないまま固まってると京が可笑しそうに口元を緩ませて、それから近すぎる距離を更に埋めていった。ちゅ、と唇が湿った音を立てる。

「ふふ、しょっぱい」
「は、あ?」
「嫌だった?」

京が不安そうに訊いてくる。ふるふると首を横に振ってやると安堵したようにもう1度唇を重ねてきた。さっきより長くて、優しく触れるキス。唇が離れたと思ったらまたくっついて、それを2度3度と繰り返したらだんだん角度をつけて唇を食まれる。気持ちよくて思わず息が漏れた。こんなに優しく丁寧なキス、したことない。

「名前…やじゃなかったら、口開けて」

京の目が厭らしくとろんとしていた。スーツ姿に不釣り合いの表情にドキッとする。眼鏡の奥から欲情の色が丸出しになっていた。

「ん…」

薄く唇を開くと京はすぐに舌を入れてきた。柔らかくて熱を持ったそれがあたしの腔内を弄る。それを追うようにしっかり舌を絡めると京があたしの髪を優しく触ってきて気持ちいい。

「ん、む…っ、ふ」

舌を吸われて擦られると体から力が抜けていくようだった。自分だけそうだったらなんか癪だから京の項を指でなぞって反応を覗うと、京も気持ちよさそうに息を漏らしていたからこれで引き分け。京がゆっくり唇を離した。


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次回結末分岐に進みます。(たぶん)
20160731
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