ベッドに翔ちゃん分の体重が加わり、僅かに揺れる。隣にもそもそ入ってきたので少しだけ寄ってやると、翔ちゃんは小さくお礼を言って寝る体勢を整えた。仰向けに寝転んでいたわたしは翔ちゃんに背中を向けるように寝返りを打ち、翔ちゃんはそれが寂しかったのかわたしの背中にぎゅっと抱き着く。体温がわたしより高い。
「寝るだろ?」
「まあ、そろそろね」
「じゃあこっち向けよ」
「…」
恒例のおやすみのキス。毎晩必ず翔ちゃんがしてくれる、眠りへ導くおまじないだ。ただ何となく今日はしたくなくて翔ちゃんを無視して黙り込むと、翔ちゃんはもう少しだけ強くわたしに抱き付いてきた。
「名前?」
「なに」
「怒ってんの」
「べつに」
怒ってるに決まってる。わたしが午前9時39分からずっと拗ねていることだって薄々感じていたくせに。翔ちゃんは甘えるようにわたしの髪へ顔を埋め、そこでゆっくり呼吸を繰り返した。シャンプーの匂いが心地好いのか、お風呂上がりや寝る前はこうして嗅がれることがたまにある。
「今日はキスしたくねーの?」
「みんなにしたから満足なんじゃないの」
「ばーか。あれはそういうんじゃねえだろ」
じゃあどういうの?
アイドルとファンの壁を取っ払いたいとまで言っていたくせに。これ以上熱烈なファンを増やしてどうする気なんでしょうね。腹が立ち過ぎて嫌味すら言ってやる元気がない。
「なあ、名前?」
「…」
「俺はお前とキスしてーんだけど」
わたしとって言いながらファンにしてたじゃん。軽々しくツイートしてたじゃん。わたしの気持ちも知らないで、ファンの女の子たちを喜ばせてたじゃん。2回もキスしたのに今更ご機嫌取りされたってもっとむかつくだけだ。翔ちゃんの掌がわたしの手を優しく握る。
「…次のアルバムのタイトル知ってるか? Sweet Kissって言って、アルバムに入ってる曲のタイトルから持ってきてんだけどさ、タイトル通りまさに甘いキスをたくさんするって曲なんだ。何度もChu!って歌ったしな。それを印象付けるために今回はああいうツイートが多いけど…、お前を想って歌った曲なんだぜ」
照れ臭そうな声と、力強く握られた手。背中に感じる翔ちゃんの温もり。翔ちゃんは嘘をつかない。でも、だからと言ってたったこれだけの言葉で機嫌を取られるわけにはいかない。
「…ほんと?」
「ほんと!」
取られるわけにはいかないのに、嬉しくて少しだけ口許が緩む。そっかあ、わたしへのキスを歌ってたんだ。ふうん。黙るわたしの耳へ、翔ちゃんはゆっくり唇を寄せる。
「誰にもしてないおやすみのキス、お前にさせて」
翔ちゃんはわたしがどんなことを言われれば嬉しいのかが分かっている。わたしだけの特別なキスが嬉しいって、一緒に眠る彼女の特権なんだって、自覚させてくれる。おずおずと翔ちゃんを振り返ると、翔ちゃんはわたしの頬に手を添えて、小さくちゅ…とキスを落とした。暗いから鼻がちょっとだけぶつかる。
「…それだけ?」
「もっとしていいのか?」
「うん」
「あー…、おやすみってツイートしたのに嘘になっちまうな」
可笑しそうに笑う翔ちゃんにつられてわたしも少し笑った。それからもう一度、今度はさっきより長めのキス。合わさる唇がしっとりしていて気持ちいい。翔ちゃんの両手がわたしの頬を包み、大事そうに、愛おしそうにわたしにキスをする。ファンの誰もが知らない、優しい優しいおやすみのキス。
「名前…、」
布団の中はふたりの体温で包まれて、少し汗ばむほどに暖まっていた。
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突然のキスツイ営業に戸惑いを隠せません。おやすみのChu!はないんだ……と思って書きました。
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