「苗字、おはよ」

翌日、朝1番に音也くんに話し掛けられた名前ちゃんはびくっと肩を上げました。昨日のことを思い出すと全身から汗が噴き出します。またあんなひどいことをされるなら、と名前ちゃんは音也くんを無視しました。

「…あれ」

音也くんの漏らした声を聞くとずきんと胸が痛くなります。名前ちゃんはそのまま走って教室へ入っていきました。





放課後、性懲りもなく翔は小テストに落ちたため、また龍也先生に連行されました。その後練習を予定していたので名前ちゃんは帰ることもできず、教室に1人残っています。そんなチャンスを狙って音也くんはひょっこり姿を現しました。

「苗字」
「わっ、!」

考え事をしていたら急に視界に音也くんが入ってきたのでびっくりです。名前ちゃんは思わず立ち上がりました。

「あはは、そんなにびっくりしなくてもいいのに」
「一十木くん…、」

名前ちゃんはあからさまに困ったように眉を下げました。教室には誰もいませんから助けてくれる人もいませんし、だからと言って無視できる状況ではありません。そんな名前ちゃんに気づき、音也くんは切なげに笑いました。

「翔にまた何か言われた?」
「…関係ないでしょ」
「そっか、俺には関係ないか…」

音也くんは視線を床に落とします。2人の距離は遠くも近くもなく微妙です。名前ちゃんは音也くんをチラッと見て様子を窺っています。

「苗字ってさ、束縛つらくないの?」
「え?」
「だから、束縛。されてるでしょ?本当に苗字はそれに納得してるの?」
「それは…、」

名前ちゃんはちろちろと視線を揺らして言葉を探しますが上手く見つかりません。音也くんは不意をついて名前ちゃんを抱き寄せました。

「っ、ちょっと!」
「俺、やめないよ」

翔くんより身長が高く、がっしりした体。それに包まれて身動きが取れません。名前ちゃんは必死にじたばたしますが、男女の力の差は明らかです。

「苗字の彼氏になりたいなんて言わないよ、苗字が翔のこと好きなら仕方ないよね。でも、やっぱり翔に独り占めさせたくない。苗字は俺の大事な友達だったんだ。苗字が翔の束縛に納得してないのなら、俺は苗字に話し掛けることをやめない」

はっきりとした音也くんの声に名前ちゃんは思わず泣きそうになりました。確かに音也くんの言うことは正論です。翔くんのことは大好きですが束縛には納得ができない、そう感じていたからです。本当はもっと音也くんと話したいのです。友達のまま仲良くしていたかったのです。名前ちゃんはじたばた抵抗するのをやめて、音也くんの胸に頭をこつんと寄り掛からせました。

「…一十木くんは強いね」
「うん。苗字も翔も、俺の大事な友達だから」

音也くんはにこっと笑ったあと、名前ちゃんの頭に腕を回します。翔くんよりもがっしりした腕に若干ときめいたのは内緒です。

「だから、今はまだこうさせてて」

音也くんは名前ちゃんをしっかりと抱きしめます。苦しいくらいに力が篭っていて、そこから音也くんの想いが痛いほど伝わるのです。もし今翔くんが戻ってきたらひどいことになるのですが、名前ちゃんは抵抗もできませんでした。音也くんに腕を回すこともなく、ただじっとその場に立っているだけなのです。名前ちゃんにとって何が幸せなのか、よく分からなくなりました。ただ、何だか音也くんの腕の中はとても安心できました。


(( まだ、このまま ))
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