黄猿に勘違いされる (ボルサリーノ×蚊)


「クソ……こんな所に……」

顎を上げながら、トイレの鏡に映る自らを睨みつける。正確に言えば、のばした首筋のとある一点──人さし指の第一関節ほどに広がった、円形の赤みを。
それはまちがいなく、蚊に刺された形跡だった。
ちょうど襟に隠れるか隠れないかの位置。半端な位置とも言う。そして最も摩擦の強い位置とも言えた。襟の折り返し部分が当たるのだ。お蔭で炎症が悪化し、すこしばかり掻いてしまった。
ハンカチの一部を濡らし、患部に当てる。それを何度か繰り返し、もどかしい痒みが落ち着くのを待った。都合よく虫さされ用の薬など持っていない。かと言って医務室へ赴くほどのことでもなかった。痒みが酷くなるなら考えるが、この分であれば、必要なさそうだ。

ハンカチをどかし、寛げた襟元から肌を覗く。痒みと共に赤みもすこし引いた気がした。
問題ない。早く仕事にもどろう。



────給湯室へ向かおうとしていた黄猿は、部下数人がなにかを遠巻きに眺めながらこそこそと囁き合っているのを目撃し、同じ方向へ視線を遣った。そこには黄猿の副官、ルクスの姿があった。珍しくシャツのボタンをいくらかはずし、襟元を緩めている。顔のきれいな造形と相俟ってあやうい魅力を醸し出していることは分かるが、それだけのざわつかれ方とはどこかちがう気がした。なんだろうかと思っていたとき、ルクスがデスク上の端っこにあるファイルを取ろうと、座したまま腕をうんとのばす。と同時に、首ものばされた。
──……そのとき、首筋に見えたもの。
なにを囁かれていたのか合点がいった。黄猿は爪先を方向転換し、距離を詰めていく途中で空きデスクから椅子を抜き取ると、ルクスのデスクの正面に移動させ、どかりと腰を下ろす。ルクスの顔が上がり、若干眉が顰められた。険のある目に見つめられるのにも慣れたものである。

「……なんですか、大将殿」
「まるで見せつけてる様だねェ〜〜」

首筋をトントンと叩いて見せれば、はじめは不可解そうにしていたルクスも、数瞬してからハッとした様に首元を押さえる。隠す様な、怪しいうごき。黄猿を見るルクスの表情は、“揶揄ってくるなよ”と牽制していた。

「こんなもの……見せつける意図なんかありませんよ」
「不本意につけられたのかいィ?」
「……?……望んでやられる者がいるとお思いですか」
「……オー……」
「肌に触れられたと思うだけでもおぞましいですよ」

つまり──合意の上ではなかった、と。

「隙だらけだってェ……忠告してやったというのにィ〜……」
「えェ、えェ、俺が悪ゥございました」
「鍛練がなってねェよォ〜〜」
「わたくしの不徳の致すところです」
「海軍大将の副官ともあろう者がァ……まさか、やられたままなんてことはないだろうねェ〜〜〜?そんなものは恥だよォ」
「これしきのことであなたにそこまで言われなければなりませんか?」

額に血管を浮き立たせたルクスだったが、すこしの間を置いて力なく視線を落としたのち、言いづらそうに呟く。

「……まァ。取り逃がしましたけど……」

黄猿はニコニコと聞いていた。ニコニコしていたが、目は全く笑っていなかった。

「わっしが手助けしようかァ〜」
「? 手助けって……なにをですか?」
「見つけ出してェ、頭をブチ抜くんだよォ〜〜〜」
「は?いいですよ」
「良くねェよォ」
「自覚がおありにならないのかもしれませんが、大将殿は行く先々で物を破壊しすぎて修繕費やら弁償代やらけっこう嵩んでるんですからね。下手に能力なんか使わないでください。────蚊ごときで」

蚊。

黄猿がようやくとんだ勘違いをしていたことに気がついたそのとき、絶妙なタイミングで、黄猿の耳元にあの『プーン』という羽音が飛び込んできたのであった。

「あ。大将っ、右耳────」

ルクスが黄猿の真横を見て立ち上がろうとしたとき。黄猿はゆるりと指先だけをうごかし、視線を遣ることなく宙に向かって光線を放った。
ジュ。とかすかな音がして、そこにいたなにかの消し炭が散ってゆく。

「…………」
「消しておいたよォ〜」
「……向こうにいた、あなたの部下達の命まで消すところでしたよ」

黄猿は立ち上がって、こそこそと話していた集まりのいる方へと振り返る。その合間を通っていったことが分かる穴が、向こうの壁に小さくあいていた。すこしズレていただけで、誰か一人の頭に風穴をつくっていたことだろう。それを理解している集団が全員、口を開けて青褪めていた。

「悪いねェ〜。どうやら、狙いを…………誤っちまった様だァ……」
「「「「「ひィ!?」」」」」

ゆっくりと見つめれば、集団はクモの子を散らす様に解散していく。それを不可思議そうに見送るルクスと再び目を合わせ、黄猿はにこりと微笑むのだった。


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