カーテンコール


誰も甲板に上がってこない――どころかさらなる騒音を聞きつけたダイスは、みんなが集まっている部屋にひょっこりと顔を出した。
そこには不思議な光景がひろがっていた。背筋をしゃきっと伸ばしたバカラの足元で、上司の二人が額を押さえながら蹲っている。

「お!テゾーロ様、目を……」
「シーーーーッ!」

ピリピリした空気にのんきな一言を発しようとしたダイスの口を塞ぐタナカさん。黙ってなさいとジェスチャーを送り、二人並んで見守る態勢をとった。
腰に手をやり、胸を張って、眉をつり上げるバカラ。

「わたしを攻撃して“運気”を浪費させないでください。船が沈みますよ」

紛うことなき脅し文句だった。バカラの威圧が、今のこの場を制している。

「だいたい、お二人ともステラステラステラステラステラって……いい加減、ステラ抜きで現実を見たらどうです?」
「っ……おまえに何が――」
「分かりません!何も!『その女性のこと』は!――――でも……“ステラ”を挟むことで、お二人の目がとーーっても曇っていることは、よーーーーっく分かります!」

こんなにも真っ向から異を唱えるバカラなど誰も見たことがない。大の男達が四人とも、彼女の気迫に呆気にとられていた。

「テゾーロ様、オーロ様はどう考えたって“あなたへの愛の為だけに”行動を起こしています!ステラじゃありません、テゾーロ様への愛です!わたしだって今回の件は非常に理解に苦しみます、ですが……その発端には、お二人の過去が関係しているんじゃありませんか?『彼のことならよく分かっている』という自信が崩れた今、もう一度話し合ってみるべきです」

テゾーロからの返事も待たず、バカラのターゲットはオーロへ移る。

「オーロ様……テゾーロ様は、ステラという方のことで怒っているのではありません。裏切ったのが“あなただから”、怒っているんです。この言葉の意味――あなたなら、ちゃんと理解してくださるでしょう?」
「…………」
「あなたの考えや思いを『声』にしてください。言葉が纏まらなくても、結果として届かなかったとしても――わたしには、あなた自身が一番、あなたのことを分かっていない様に見えますので」

一区切りついて、姿勢を正したバカラは深く頭を下げた。

「出過ぎたマネをしました……お許しいただかなくとも結構です。安全な地に着くまでは何が何でも同行させていただきます。行くわよ!タナカ、ダイス!」

くるっと踵を返したバカラは、どうしていいか分からないでいる二人を連れ立ち、部屋をあとにした。扉の閉まった部屋を何度もふりかえるタナカさん。

「もしものときの為に、我々も居た方が良かったのでは……」
「チームの話じゃない。真剣な話よ、二人の、今後の。当人同士でしか見せられない顔だってあるわ」

ダイスは話に付いていけずぽかんとするばかりだったが、タナカさんは静かに納得していた。

「良かったのですか、バカラ?」
「何が?」
「てっきりあなたは、テゾーロ様に思いを寄せているものと思っていましたが」

バカラは凛々しい顔立ちから、ふっと力をぬき、表情を緩ませる。
バカラとテゾーロが恋人であるという噂が流れていた通り、二人は常に近い距離にいた。調査という名目がないときにも、バカラ自らがテゾーロの為にうごくことはよくあった。その裏にある心を隠していたつもりなどない。周囲にだって分かりやすく映っていたことだろう。でも、タナカさんの今の発言は、それ以上の事情を察したものだった。まるで、“想い人のもとへ恋敵を送り出した女”にかける言葉。

「タナカも、気づいてたのね……」
「薄々とは。……いえ、いまだに半信半疑ではあるのですが……」
「事実よ」
「にゃっ!?」
「それと、わたしのことなら大丈夫。よく考えたんだけど、あの方達ほど狭い世界しか見えない生き方なんて出来ないって分かったから」
「というと?」

「――いい男ならごまんといる」

ぱちん、と優雅にして華のあるウィンクをしてみせたバカラに、タナカさんは頬笑みを返した。

「逞しいですね」
「ちょっと、逞しいって言わないで」
「お二人さんよ、おれにも分かる様に説明してくんねェかー?」






部屋はぎこちない沈黙に満ちていた。初めて顔を合わせた者同士が二人きりで同じ空間にいることを強制された様な、のびのびしない雰囲気が醸されている。
沈黙をやぶったのは、テゾーロの方だった。

「聞かせろ」

オーロは前髪の合間から、ちらりとテゾーロを見た。テゾーロは手の中のガラスを大事そうに抱えながら、ベッドの側面に凭れ、足を投げだす。

「いや……聞かせてくれないか。おまえの話を」
「…………」

オーロも脚を引きずりながらベッドまで移動し、背中を預け、だらんとした脚をつかんで胡坐を組ませた。二人の間には、一定の距離が保たれている。息をすればその呼吸が分かるのに、何歩か近寄らねば触れることのできない距離だった。

「………………何を、話せばいい」
「……つくづく不器用な男だな」

説明、主張、弁解、批判、鬱憤、都合よく切り取った話、片側の真実――主導権を握ればなんだってある筈なのに。テゾーロは苛立てばいいのか呆れればいいのか分からず、ただ、唇には笑みがこぼれていた。

「おまえは貴族だった」
「……あァ……」
「どんな家だった?」
「………………――待望の男児にも関わらず、脚がこうなって生まれた俺を、父は欠陥品だと言った。母は産んだことを恥じた。弟は我関せず……多分、賢い奴だった。…………あそこは、血縁とは呪いだと教えてくれた場所だ」
「呪いか…………クソみたいな場所だな」
「あァ、クソだった」
「……おれの家は貧乏だった。親父はギャンブル狂いだ。病気で死んだよ、手術代を払えずにな。働き手がなくなってさらに貧乏になって、お袋は何もかもがいやになって酒浸り、おれが歌う度ビンを投げてきて歌うなと怒鳴った」
「それも、クソだな」
「あァ、クソだった」

一つ一つ、話していった。生い立ちや、互いの第一印象――。歓談といえるほど弾んだ調子ではなかったが、糸を編む様にふたりは言葉をかさねていった。そうして『三人』が集った在りし日に差しかかったところで、オーロの一言が流れを変える。

「俺はあのとき――罪を犯した」

共有している思い出が、視点を替えて折り重なっていく。

「君の言っていた通り、家のカネを持ち出せばステラを解放することができた。すぐにでも……なのにしなかった。“あの時間”を、どうしても、手放せなくて……。ステラが自由になれば……二人は遠くへ行ってしまう。俺だけが地獄に取り残される。…………そんな思いの所為で、二人は、本当の地獄へ連れていかれた」

一点の黒い染みが胸にこびりついて、今なお巣くっている。

「君をさがして夢に手を貸したのは、その贖いのつもりだった。でもそれすら自分の為だった。俺は、君の傍に居たいだけだった」
「一つ、思い出したことがある」
「……?」
「おれが昔寝込んだとき、こんなことを訊いてきたな」



『テゾーロ……もし今すぐ大金が手に入るなら、君は嬉しいか?』
『ステラが、嫌がるんだ。汚ェことしようとすっと。だからおれは、真っ当なカネで、堂々とステラを買う。自分で稼いだカネで助けるから意味があんだよ――』



「あのとき“欲しい”と答えていたら、おまえはどうした?」

選ばれなかったそちらを考えたことがなかった。
思いつく答えはある。しかしそれは、染みを抱えた今だからこそ取る行動なのではないか。その疑念が拭えない。確信を持てない。今さら想像したところで、意味など……。それでも――。

「用意していたんだろう。おまえは、そういう奴だ。買っていた場合の話にしても、当たり前の様におれとステラが一緒になることを想定して話していやがった……そんな奴に負わせる罪はない」
「………………」


(長年棲みつづけていた染みが、たったそれだけの言葉で溶けていく気がするのは、何故なのだろう)


「おれのことは、いつから友情とはちがうと?」
「……気づいたのは去年。でも恐らく、昔から。そういうものを判別できずにいただけだ。俺にとってはテゾーロとステラの二人だけが唯一目にした本物だった。無二の奇跡だった」
「おまえはいちいち大袈裟だ」


(嫉妬も、憎しみもなく、こんなにも穏やかに話せているのは何故なのだろう)


「カリーナに協力した本当の理由は何だ?」
「……あそこに居ても君の空洞は埋まらないと思った。傷口を抉り続けるだけだと」
「……見るに耐えない程に、か……」

テゾーロが喉の奥でくつくつと笑いだす。馬鹿らしくて臨界点に達したかと危惧したが、最後に吐き出された溜息に落胆の色はなかった。

「無欲に見せておきながら、最も強欲で傲慢な奴だな、おまえは。おれ以上に――。他人の無意識をさぐって……理解したつもりで先回りばかりして……果てはおまえのお眼鏡にかなう『幸せ』に収まれと言う。これ程までに自分勝手で欲深い願いがあるか?」


(今なら、他人事の様に笑って「そうだな」と返せる気になるのは何故なのだろう)


――――もっと早く話し合えば良かった。しっかり話し合っていれば。伝えていれば。二人共こんなにボロボロにならずに済んだのかもしれない。

苦笑を洩らして、オーロは胡座のまま座る位置を変え、テゾーロを向いた。

「ありがとう。この命はもう、君の好きにしてくれていい。これだけ話せたなら思い残すことはない。テゾーロ――――“俺は、幸せだった”」

そう言って、オーロは満足そうに微笑むのだった。









“わたしは世界で一番の幸せ者。わたしは、心から幸せだった――”









「………………………………ッ!!?」

オーロの姿を瞳に映したテゾーロは、突如、寒気がしだした。全身が粟立ちぶるぶると震えて冷や汗が滲みだす。激しい動悸。呼吸が浅い。コアボトルをにぎる手に力が籠る。
「テゾーロ……?」心配そうに窺ってくる声に沈んでいた視線を上げると、金の首輪をきらめかせたオーロの姿が――――鉄の首輪を嵌めた、ステラの姿と重なった。

――――――――ドクン。

心臓が破裂する。錯覚に襲われた。コアボトルを手放し跳ねる様にオーロのもとへ。膝をつき、すかさず首輪に触れる。大きな金の輪がバラバラと三つの指環になって散らばっていった。

そうしてオーロを、息が止まるほど強く抱きしめたのだった。




「相変わらず……安い命だな……っ」
「……どうしたんだ、テゾーロ……」

「もしおまえの言う“幸せな歌声”を取り戻していたら、そのあとはどうするつもりだった」

苦しいくらいの抱擁に、ベッドに残されたコアボトルに、抱き寄せられる直前に見えた殺意とは異なる凄い形相に――オーロは当惑する。まさか圧死させるわけでもないだろう。現実的ではないと分かりつつも、テゾーロの腕の中で眠る自分を思い浮かべ幸福感に充たされた。

「幸せに歌う君を見届けたら、君の前から去っていた」
「……それは、確実にか」
「あァ。確実にだ」

遥か昔に出していた答え。テゾーロと約束を交わしたときから決めていたことだった。
――若かったオーロに恋の自覚はなかったが、今思えば無意識下でわかっていたのかもしれない。望む歌声を聴けたときとは、テゾーロが幸せなとき。“ステラの喪失によってできた空洞が埋まったとき”。その隣にはテゾーロが大切に想う女性が立っていて、オーロはそれを黙って見続けることができない。絆を壊さないまま、綺麗なままでいる為には、オーロはテゾーロの傍を離れていくしかなかった。


「――そのとき君の隣には、誰よりも大切にしたいと思う人がいた筈だ。幸福に囲まれる君こそ、俺の望む姿だった」
「おまえ自身がなろうと思ったことはないのか、その相手に……」
「ふ、変な質問をするんだな」
「この年にもなれば『大切』の意味も広がってくるものだ……情を交わすばかりがパートナーでもないだろう」
「、…………何を言って……――」

オーロがずれを感じ始めたとき、テゾーロに体を解放されたかと思うと、前触れもなく唇を押し当てられていた。

――目の前にある顔に、焦点が合わない。近すぎる、あまりにも。頭の中は白紙。体だけが反射的に硬直する。
キスをされていた。挨拶とも情熱の告白ともちがう。ふれ合うことで疑いないものと確かめる様に、それでいて誓いを立てる様に。ゆっくりと離れていったテゾーロは、僅かに湿ったオーロの唇を指のはらでなぞりあげる。

「他に気にかかることでもあるか?……何を躊躇うことがある」

揶揄されたかと思ったが、テゾーロは存外真面目な面持ちでそこにいた。





「……フザけるなっ……」


しぼり出した吐息で低い唸りをあげるオーロ。目を瞠るテゾーロに、発した感情は“怒り”だった。

「躊躇うに決まってるだろ……っ、かんたんに受け入れられるわけないだろ……っ!何で俺が、諦めて、拒絶されなかっただけマシだって、充分だって……ッ!それで平気だったのに……!!」

『諦め』てきたのだ。期待することを。求めてしまう心を。亀裂が入らぬように、悲しみに引き摺られないように。意識せずとも当たり前になるよう体を慣らしてきた。それを、隠された災いの箱を、わざわざ掘り起こされ日の下に曝された。よりによって『本人』に。沸々と熱が込み上げてきて、苦しくて、力のこもったオーロの喉は骨と皮だけのごとく筋張る。
何に怒っているのかも明確にならないまま、掴んでくるテゾーロの腕に爪を立てた。


「君の、ステラをつよく想う気持ちを一番近くで感じてきたのは……、俺なんだぞ……っ?」


希望を抱くなど無理というものだろう。対象になることすら考えられなかったというのに――。オーロには天辺が雲に隠れて見えない崖を登ろうとする程の無謀さはなく、度胸もなかった。落ちて傷つく恐怖の前に、手をのばす勇気など振りしぼれなかった。


「――それでもおれにとっては」

いつでも耳の真ん中に入ってくるテゾーロの声。心臓の中心に届く声。


「おまえは、どうあっても殺せない程に、大切な存在だ」

その声が、オーロの箍を壊しにかかってくる。


「ステラの喪失でできた穴は……一生、穴のままだ。“他の何ものにも埋められない”。例えステラ以上に愛する女が現れたとしてもな……。おまえも一緒だ。おまえがいなくなれば、おれの体にはまた“別の穴が開く”。それは確かだ」
「……やめてくれ……、テゾーロ……、勘違いさせないでくれ……っ」

未練などなかった覚悟が揺らぎ始める。オーロの唇が震えている。押し退けようとする腕を、テゾーロが掴んだ。

「幸福を受け入れろ。臆病者の、頑固者め」
「…………っ」







「おれにはおまえが必要だ――――傍にいてくれ……頼む」











ぽた。

床板にまるい染みがひろがる。


ぽた。ぽた。
擦り傷のできた頬に透明な筋をつくって、オーロが泣いていた。

鼻の先は徐々にあかく染まり、顔面をくしゃりとつぶして、鼻水を垂らす。能面と呼ばれた彼の無表情は、脆くも崩れさっていた。


最も長く共に過ごしてきた男の今までに見たこともない姿に、テゾーロの胸にはなんともいえない愛しさがこみ上げる。顔を両側から挟みじっくり見つめようとすれば、いやいやと振り払われ俯かれた。なんだか意地になって力づくで持ち上げると、濡れた睫毛に唇を寄せる。それでも下がる頭頂部に呆れ果てながら、この涙が、死にたがりに希望を芽吹かせた証拠であればいいと願った。


「驚いた……おまえは、こんなふうに泣くんだな」



≪ゴシップ/end≫


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