リングワンダリング


暗い夢に引き摺られると、いつもあの声が呼び覚ましてくれた。

「テゾーロ、もう大丈夫だ。此処に君を苦しめる者はいない。…………あと一人を除いては」

あの、男の声が――――。


「さあ。俺の首を獲ってくれ」











船内から大きな物音が聞こえた為、ダイスを見張りに残し、タナカさんとバカラは急いでテゾーロが眠っている部屋へと駆けつけた。そこには、テゾーロがオーロの胸ぐらを掴み、床に押し倒している光景が広がっていた。

「テ、テゾーロ様?!オーロ様もっ、一体どうなされたのですか!?」
「お体に障りますわテゾーロ様!その手を離して早く、ベッドへお戻りに……!」

「――どうして裏切った?」

こめかみに血管を浮き立たせ、身体中から怒気を発しているテゾーロ。今の彼に制止の呼びかけに応える余裕などない様子だった。それより、“裏切った”とは?オーロの顔は相変わらずの能面。否、抵抗もせず、僅かな感情さえ滲み出していない今の彼は、テゾーロの言葉を肯定している様に見える。
まさか、カリーナの計画にオーロが加担していたというのだろうか?そんなまさか――!

「バカラ」

オーロはテゾーロから目を離さないまま、自分の話したいことだけを口にし始めた。

「君の傍にある棚に、今後の航海に必要なものがある。必ずテゾーロに見せておいてくれ。説明はメモに書いてある。裏切り者の言葉など、信じられないかもしれないが……」
「どうしてだと訊いているッ!!」

テゾーロが大きく揺さぶると、さすがのオーロもまだ手当てが済んでいない為か眉をひそめて歯を食い縛る。揺れが止まったとき、オーロはテゾーロを見据えハンッと鼻を鳴らした。

「黄金にばかり縋る君の落ちぶれた姿が、見るに忍びなくてね」
「ッ…………――――――!!!」

拳が振り下ろされ、血がパタタと床に飛び散る。鼻血を垂らすオーロを庇って、バカラとタナカさんが慌てて止めに入った。

「お止めくださいテゾーロ様!オーロ様はまだ手当てをされてませんわ!」
「何か齟齬が生じているのです!テゾーロ様を命懸けで救ったのはオーロ様なのですよ!?」

説得しようとするタナカさんを押しのけ、テゾーロは再度オーロの胸ぐらを掴み、問い質す。

「『答えろ』。何故、わたしを裏切った?」
「………………」

オーロの眼差しは変わらない。本当の能面になってしまったみたいに無感動を貫いていた。首に嵌められた金属の光沢と相俟って、いっそ精巧な人形と言われた方が納得する。
テゾーロの視線が別の方向へ移った。

「バカラ、棚の物を持ってこい」
「は、はい……!」

テゾーロの指示に従い、バカラは備え付けの棚に置かれてあった小さな箱を取り出した。その中に入っていたのは、片手でも持てる小振りの壺。意匠の凝らされた、ガラス製のそれは――。

「コアボトルだ。……中にはステラの『遺灰』が納められている」

メモが読み上げられる前にオーロが説明すると、テゾーロの指先が痙攣した。

「…………今、なんと言った……?」
「ステラの遺灰だ。革命軍から情報を得て、墓場から遺体を持ち出し、焼いた」

テゾーロはオーロを放し、バカラの手中からコアボトルを引ったくる。本物の灰かは分からない、が、それらしき粉状の物は確かに入っていた。テゾーロの頭の中で、オーロが革命軍の幹部を逃がしたあの不可解な出来事が一本の筋で繋がる。繋がった先にある答えに、『やはり』という気持ちが湧いた。『やはり』、こいつは――――。
オーロは血を拭うこともしないまま、這いずる様にして身を起こす。

「奴隷達の間で流れていた話によれば、最期まで彼女は、穏やかに笑っていたそうだ。信じるかどうかは君の自由だ。ただ、俺が思うに、君は……君が赦せないのは――――――…………ひとり生き延びている、自分自身だ」

テゾーロは振り向かない。

「解放してやれ。君自身も。ステラのことも。君の手で……その灰を撒いてやってくれ」
「………………………………」

静止した空気に固唾をのむタナカさん、そして戸惑いを露にするバカラ。
バカラはずっと感じていた違和感について考えていた。参謀が今回の転落劇に関与していたのは間違いなさそうだ――けれど、ならばなぜ逃げ出さなかったのか?いま、此所に残っているのか?本当に彼はテゾーロを見限ったのか――――?
テゾーロが、ガラスの壺から視線をあげる。

「壮大な計画だったな……」

迷いない語調に、タナカさんもバカラも言葉の真意を計りかねる。全員に見守られながら、テゾーロはよく通る声でつづけた。

「そんなにも憎くて堪らなかったか……カネも、時間も、『偽りの言葉』も尽くして――わたしが“力”を極めようとしたその瞬間、騙し突き落とし希望をすべて絶望に塗り替える、あァ実に良い計画だ!おれは富も、名声も、自由も、“心を許した人間”も!全部を同時に失うのだからな!!これで満足か……?この瞬間の為だけにおまえは傍にいたそうだろう?!」

捲し立てられたオーロの瞼が、わずかに上がるのを――バカラは見逃さない。
テゾーロはオーロの首を絞める勢いで襟ぐりを引き寄せ、鼻先が触れ合いそうな距離で血走った目を見せつける。

「おまえはおれの絶望する姿を見届けようと此所に留まった!すべては身勝手な『ステラへの愛の為』――――……ッ!!」
「お言葉ですが、テゾーロ様……」

果敢にも口をはさもうとするバカラに度肝を抜かれるタナカさん。テゾーロは、オーロだけを眼中に捉えていた。

「一瞬で死ねると思うなよ……まずは手足をもいで傷口は焼いて止血だ、縄で体を縛って船のうしろから海へ突き落とす――溺死はさせない。胸が浸かる程度の位置でつなぎ止め船を走らせる、いつかは海王類が気づくだろう――」
「テゾーロ様、」
「おまえはいつ訪れるとも知れない死の恐怖に怯えながらただ餌になって喰われる時を待つ。場合によっては肉をつつかれながらすこしずつ噛み千切られていくことになるかもしれんな」
「テゾーロ様――」
「安心しろ、おれがずーっと……さいごまで、見届けてやるからな……」

「――――――っ失礼します!!!」

高らかな声と共に、二人の男の後頭部が鷲掴みされ、


ゴヂン!!


鈍くも痛々しい衝突音がひびきわたった。


  
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