トワイライト車椅子のすぐ脇に、テゾーロが膝をつき、オーロの指先へ額を埋めていた。
「おまえの、わたしに尽くそうとしてくれる心を疑った……すまない事をした……」
「、…………」
床に膝をついている――。人が通るスペースの清掃ならば使用人達の務めによって万全だ、スーツの膝に汚れが付いたところで払える程度の土埃だろう。さほど気にかけることでもない。しかし、まるで人が変わった様な行動が、場を満たす空気が――嵐の前の静けさの様で、落ち着かない。
星のピアスが揺れて、テゾーロが頭を起こす。目線は握ったままの手の甲で止まっていた。そして気道にまとわりつく泥を吐き出すように、ゆっくりと語り始める。
「わたしの傍には常にあらゆる噂が飛び交っている。その多くは取るに足らないいいかげんなデタラメばかりだ、分かっている……。おまえがカリーナを可愛がっているという噂も、世界政府がわたしの過去を知っているという噂も、そこから囁かれたであろうおまえの裏切りも……。……分かってはいるんだ……――――――だがっ、おまえが!どんどん離れていく気がしてならない!おまえはおれを避けてるな!?そうだろう?!口にしないだけでおれを否定し拒絶している……!!違うかッ!?」
すぐには、言葉が出てこなかった。拒絶しているなど大きな誤解でしかなかったが、そう思うのも無理はないと納得できてしまう。
テゾーロを避けていたのは、紛れもない事実なのだ。
――ここ一年で変化したきらびやかなショーも、絶望をより深く組み込んだプランも、自らの発言が発端であると感じ取っていた。
『君が心の底から“幸せだ”と感じながら歌っていれば、それがきっと俺の望む歌声になる』
この後、なんと返されたのだったか――。最後の言葉だけは、よく覚えている。
『いつかはおまえに聴かせてやろう、その歌声とやらを――この“グラン・テゾーロ”でな』
まさか更なる躍進のきっかけになるとは思ってもみなかったが。テゾーロは示したいのだ。一度は全てを捨てようと言い放ったこの旧友に、今の自分がいかに幸せであるかを。どれだけ素晴らしい場所まで昇りつめたかを。
しかし、カネを奪い取り人生を転落させるショーを観る度、辛くてならなかった。見せつけられれば見せつけられる程に、胸が締めつけられていった。重なって見えたのだ。ターゲットとなる人間と昔のテゾーロが――。無力だった少年テゾーロを、今のテゾーロが、嘲笑っている様に見えて仕方なかった。
そしてショーの一部始終をコントロールし、今の自分には力があると見せつけているテゾーロの姿はまるで――――。
『貴族や天竜人の連中と同類さ』
「ッ――違う!」
「!」
テゾーロの手にもう一方の手を押し重ねた。目の前に意識を集中させ、雑念を取り払う。あの若者の主張は的外れだ。テゾーロを理解していない者の戯言だ。耳を傾ける価値もない。――なのに何故、こうもこびりついて、離れない。
テゾーロは突然の大声に驚いた様子はあったが、依然として見守るつもりでいるらしかった。
「どう向き合えばいいか、分からなくなっただけだ……俺の賞賛では、意味がなかったから……」
「……なんの事だ?」
――――最高のショーだった。
その言葉は、逆にテゾーロの怒りを買ってしまった。何故なのか。考えれば単純なことだ。テゾーロが何を言ってほしいのか、何を心から望み、求めているのか。
『素敵な歌よね。わたしも好きよ』
少女の笑顔。唯一それのみが、テゾーロを満たせるのだろう。
「俺はっ……、俺では……、テゾーロの穴を埋めることは出来ないと、知っている」
ぎゅっと、重ねた指に力が入る。
「それでも、君の傍に居たい気持ちは、本当なんだ……役に立てるなら本望だ。例えそれが、他の人間すべての人生を潰すことになろうとも。それだけは……、どうか信じていてくれ……っ」
「………………」
テゾーロの手がすり抜け、離れていった。体温の名残惜しさに縋りかけたが、ぐっと押し止める。失望されただろうか。情けない男の姿に。縋って止まない、愛し方の分からない人間の哀れさに。
膝をのばし立ち上がるテゾーロ。そのまま去ってしまうかと思ったが、肩に手のひらを置かれたことで、ハッと顔を上げた。
「明日から休みを取るといい……。一時出国を、許可しよう」
険しい眉は解かれ、テゾーロの表情は落ち着きを取り戻していた。凶暴な衝動はずっと遠くへ後退したみたいで、久しぶりに顔をまともに見合わせる。
「何をするのか、どこへ行くのかは聞かない。わたしはおまえを信頼しているんだ、オーロ」
「テゾーロ……」
安堵にくずおれそうになった。テゾーロだけが唯一、切なさと喜びを与えてくれる。他の何ものも心を動かしはしない。彼の信じてくれる心さえあればいいのだ。それがあれば、やっていける。
そう思ったとき、広げていた海図を視界に入れ、ほんとうの全てをテゾーロに話すべきかもしれないと思い至った。何も収穫がなかった場合を考え内密に行おうとしていたが、果たしてそれは、彼の信頼に見合った誠実さと呼べるのか。
「テゾーロ。俺が行く場所についてなんだが、」
「そうだ」
出国許可の礼と共に明かそうとしたところで、テゾーロによって、なにか輪っかの様なものを頭から通される。
「これを着けていけ」
「――ぐッ……!」
ソレは首で瞬時に収縮し、気道を圧迫した。
「これっ、は……?」
苦しい。辛うじて息はできるが、明らかに肌まで食い込んできていた。自分では何を着けられたのか見ることができない。だが触れた感触は滑らかで硬質、重さもあった。そしてテゾーロの右手からは金の指環が三つ――消えている。推測でしかないが、確信を持てた。
テゾーロは指環を繋げて輪をひろげ、頭に通し、首の位置でチョーカーの様に装着させたに違いない。否、装飾品というよりも、これは――――。
「テゾーロ、どういう……息がしにくい……、外してくれ……!」
「緩くては意味がないだろう?」
「なに、を、」
見つめた先、見開かれ暗く深く濁った目にゾッとする。テゾーロの指の背が、頬から顎の線をなぞった。
「裏切ればどこまでも追いかけ……見つけた瞬間、この首を――――獲る」
戯れなどではない。これは、本気だ。目の前が真っ暗闇に閉ざされていく。
“あなたがあの男を増長させている”。
君は正しかったのかもしれない。サボ。
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