シンクホール女の子は知恵で生きぬかないとね。
その為のアンテナを常に張りめぐらせているカリーナは、昔から人をよく観察し、つけこむ穴を見つけては巧みに利用しながらこの世界を生き延びてきた。ここ、グラン・テゾーロへ来てからも、その生き方は変わっていない。目指すはカジノ王ギルド・テゾーロの所有する金融資産すべて――通称『テゾーロマネー』の、獲得。
カリーナはこの間、プライベートエリアの廊下でおもしろいものを見た。テゾーロとオーロの言い争う姿である。否、声を荒らげ手を出していたのはテゾーロの方のみで、オーロは一方的に攻め立てられていた。
カリーナは咄嗟に物陰に隠れ、その一部始終を見守っていた。
『今宵のショーはどうだった?』
『……最高のショーだった』
蹴り飛ばされた車椅子が金色の壁にぶつかる。そのまま壁際に追い詰められたオーロは、トン、と胸部にテゾーロの拳を押し当てられていた。
『笑え』
『…………っ』
『おれが笑えと言ったら笑え!』
鳩尾に食い込む拳。歪む表情。
二人は強固な絆で結ばれているものだとばかり思っていたカリーナは、驚愕すると共に、直感でとても有益な現場を目撃できたと理解した。
オーロは気づいていない様だったが、テゾーロがオーロに求めていたのはおそらく、『歌』そのものに対する賞賛だ。歌う直前の彼がいちばん人間らしいことを、同じ舞台に立つカリーナは知っている。押し潰されそうな不安。それを上回る昂揚感。程よい緊張、研ぎ澄まされいく集中力。目の前のステージにのみ意識を向けるテゾーロは、重い鎧を脱ぎ捨てた様にいつだって軽やかに輝いて見えた。
カリーナはそこを狙い目だと感じ取った。歌姫として契約を交わせた今、次は気に入られ、信頼を勝ち得ていきたい。以後、ショーの後でテゾーロから褒められれば必ずこう返すようになった。
――テゾーロ様の歌には敵いません、と。
それは見事、正解だったのである。
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黄金帝の右腕にして参謀・オーロ。
カリーナには、彼についてすこし気にかかることがあった。とある『小さな可能性』について。もしかするとそれは、テゾーロマネーを手に入れる確率を飛躍的にあげるかもしれない、大きな可能性〈チャンス〉でもあった。
だから元々彼には近づこうと決めていたのだが、まさか運まで味方をしてくれようとは。骨董趣味をきっかけに、二人の距離はぐんと縮まっていった。
だからその日も、彼の部屋へ呼び出されたことにさほど危機感は抱いていなかった。けっして侮っていたわけではない。が、しかし――オーロという男は、抜かりのない人物なのだと思い知らされることになる。
「――イーストブルーに、君と同名の盗人がいるそうだ」
「……!?」
ウエストブルー出身と告げていたカリーナの背に冷や汗が伝う。
「世界的な知名度というわけでもないが……若手ながら、なかなか腕の立つ少女らしい」
オーロの視線が、細い針先となってカリーナを刺す。
骨董品の件で、若い娘が年齢にそぐわない審美眼を持っていることにひっかかりを覚えたオーロは、彼女の素性を秘密裏に調べあげていたのだ。
「カリーナ……。君の本当の目的を、聞かせてもらおうか」
「……っ」
絶体絶命だった。ひとまず笑顔をつくろうとしたが、頬があがらない。オーロから放たれる無言の圧力に唇は重く閉ざされ、不自然な間をつくってしまえば、空気はどっと重力を増した。
次に述べる一言。その一言で命運は決まるとカリーナは予感した。逃げの一手、しかないのだろうか。しかし活路はあまりにも狭い。金の像となる未来が脳裏をちらつく。
――――……目を瞑り、呼吸を整え、カリーナは“賭け”に出た。
「ええ、……そうよ。わたしはたった一人で泥棒稼業をして生きてきた。ここへ来た目的はもちろん、テゾーロマネーを手に入れること」
「……」
素直に認めるとは思っていなかったのか、オーロがすぐに次のアクションを起こそうとする気配はなかった。
扉の外に誰か待機させているのだろうか。わからない。けれど妙な自信があった。彼は今、“ひとり”で、カリーナと対峙している。カリーナが感じていた『小さな可能性』が、確かな質量をもって目の前で肥大化していく。
眉を力強くつり上げ、正面から見つめ返すカリーナ。そう、女の子は知恵で生きぬかないと――。
「ねえ……。わたしと、取り引きしません?」
そして同じくらい、度胸だって必要なのだ。
≪ ◎ ≫