レコード・コンサート


「テゾーロ、テゾーロ大丈夫だ。此処には君を苦しめる者はいない、テゾーロ、大丈夫だ」

奴隷時代の記憶に魘されるたび、穏やかな声が暗い意識の底から引っ張りだしてくれた。



「わたしは海賊として海に出る」
「なら付いていこう」

彼はじぶんの力で築き上げた一切合切をあっさりと捨ててしまった。それ程までに強い気持ちを抱き、覚悟を決めていたということなのかもしれない。



「どこまで行こうか――テゾーロ」

思えば彼には情けない姿ばかり見せていた。






「テゾーロ様にとって、オーロ様はどんな存在なんですか?」
「……それはどういった意味を含む問いだ?」

テゾーロの顔が一瞬硬直していた。バカラの告白からの流れでは、その言葉に含みを感じずにはいられなかったのだ。

「ずっと不思議に思っていたんです。テゾーロ様のお怒りに触れてもけっして手に掛けられることのないオーロ様のことを。お二人に長い付き合いがあることは存じています。けれどそれだけでは説明がつかないところがある様に思えて……オーロ様がテゾーロ様にとって特別な方であることにまちがいはありません。その理由を、お訊きしておきたくて」

特別か。確かにそうだなと、テゾーロはグラスを揺らしながら頷いた。

「――あいつの笑顔を見たことはあるか?」
「え……?」

そんな質問をされるとは思わなかったのだろう。さらにはその内容にも戸惑ったにちがいない。オーロの能面はこの国に住む者ならば誰もが知っていることだ。

「驚くだろうが、あの男もあれでいい笑顔ができたんだ。昔はよく見せた。歌を聴いているときにな。そしていつも、賞賛の言葉をわたしに寄越した……」

――――たった一冊の本に、一枚の絵に、一遍の詩に、誰かの何気ない一言に、ほんの些細なできごとに、心救われる人間がいる――――。

「もう長いこと、あの口から聞けてはいないが」
「きっと気恥ずかしいのですわ」



『……再会したときに言った筈だ。かつての歌声を取り戻す為ならどんな事にも手を貸すと。あれは、本心だ』

『興味を失くしたんじゃない。俺は待ってるんだ、テゾーロ』



「……だといいがな」

寂しげに睫毛を伏せる姿を見て、バカラが何を思ったかなどテゾーロは知らない。――――ああ、あの方は、あなたの心の柔らかいところにいるのですね、と――答えに辿り着いたことなど。

「そして奴はわたしと同じ傷を負う者だ。昔、同じ女を愛し、喪った男としてな」
「えっ」
「……どうした?」

先程よりも戸惑いが大げさだった様に聞こえて、テゾーロは不思議に思いながら正面の様子を窺った。口元に手を寄せたバカラは視線を泳がせていて、少ししてから、言いづらそうにくちびるを開く。

「確かオーロ様は、特別な感情は抱いていなかったと……」
「聞いていたのか」
「申し訳ありません……」
「……あいつは気がついていないだけだ。自らの感情に鈍いところがあるからな。わたしにはよくわかる」

それは正しくもあり、まちがいでもあった。しかし訂正できる図太さを、バカラは持ち合わせていなかった。


――――特別、か。
テゾーロはオーロと歩んできた道を思い返していた。バカラに話すうち、大事なことを思い出したように思う。テゾーロとオーロの繋がりはけっして浅いものではない。それはどうしたって忘れることの出来ない、二人だけが共有する過去があるからだろう。
その相手の事情をテゾーロは何も聞いていないことに気がついた。思えば当時のオーロの行動は貴族としておかしな点ばかり。はぐらかされはしたが、嘘を吐かれていたわけでもない。何者だろうと構わない、踏み込まないでいようと決めていたのは、テゾーロの方なのだ。

話を聞こう。

きっと彼には彼の複雑な事情があったにちがいない。上流層の人間ほど面倒なしがらみが多いということはカジノオーナーとして彼らと接するうちに否でも分かる様になった。だからちゃんと話を聞いて、そして寛大な赦しを与えよう。それですべては元通り。
そう、思っていたのに――――。



「テゾーロ。もう、船を下りよう。君は……此処から離れるべきだ」


なぜそんな事を言う、なァ、どうしてそうもおまえは――――――。


  
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