彼は、瞽目


「長官」

「おおおぉおれはべつにサボってるわけじゃねェからな!?」
「長期任務の申請書です」
「あ、ああ、サインか……。そこらへんに置いとけ」

突如気配を現したルッチは、スパンダムの指示通りに書類をデスクへと置いたが、その足でバルコニーまでやってくる。何もやましいことなどないというのに、スパンダムは意味もなく身構えてしまった。マジでサボってなんかねーぞ!

「ひとつ、質問をよろしいですか」
「な、なんだ?」

「……そちらに」

ルッチの視線が、ファンクフリードの鼻を撫でているスペッキオへと移される。スペッキオはルッチに背中を向けたままで、呼びかけられていることに気づいていないのかと思ったが、

「……僕?なんだい?」

────その控えめな応答に、スパンダムは違和感をおぼえた。正体をさがして、スペッキオが“話し手に顔を向けていないからだ”と気がつく。
スペッキオは会話をするとき、相手の声がよく聞こえるようにと体を正面に向けることが多い。目を負傷してからは尚更。なのに今は、撫でる手を止めるどころか、耳だけでも向けようとする様子すら見受けられなかったのだ。
さらにいうなら、二人が話しはじめた途端に空気が硬くなった様に思えるのは、なぜなのか。

「今、話が聞こえてきたのですが……。落ちこぼれだった方が、その後、どのようにして変わっていったのですか?」
「んー……。わざわざ話すようなこともないかなァ」
「政府は常に優秀な人材を欲しています。後進の育成にも、なにか役立てる話があるかもしれません」
「はは、知らなかった、君がそんなにも教育熱心だったなんて」
「あなた程ではありません」
「僕?…………あァ……根にもつね」

「??」

ギス、ギス。快晴で、開放的なロケーションのはずだというのに、辺りは一歩もうごけない息苦しさに包まれる。誰だよこいつらが恋人うんぬんとか抜かしやがった奴は。たとえ嗜好対象の範囲がひろくとも絶対にありえない組み合わせだろ、とスパンダムは確信に至っていた。というか根にもつって、何をだ?

「話を勿体ぶるのは──」

まだ続けるか、とついルッチを睨んでしまうスパンダム。


「そこになにか、誰かに聞かれてはまずい想い≠ナも、隠されているからでしょうか?」


──────思い…………?
スパンダムの疑問は声に出てしまっていたらしい。ルッチにじろりと睨まれ、「あ、いや、悪ィ」と反射的に謝る事態に。いやなんで謝らなきゃならねェんだと言ったあとで我に返るも、“会話に入ってくるな”というプレッシャーをCP9最強の方角からひしひしと感じてしまえば、口を噤むしかなかった。
先ほどうっかり口を挟んでしまったのは、この緊張に耐えきれなくなった所為もあったかもしれない。理由は見当もつかないが、スペッキオとルッチのあいだに流れる空気はまるで、怨敵同士が腹の探り合いでもしているかの様なのだ。

場はスペッキオからの返答待ち状態となった。
さてはて、思いとは何か?聞かれてはまずいとは?そもそも『誰』に聞かれたくない?とまで考えて────まさかおれへの悪口じゃねェだろうな!?と、スパンダムは急に腹が痛くなってきた。
スペッキオとは長年うまくやってきた。と、思っている。少なくともスパンダムは。いまさらになって『こんな男の下で働きつづけるなんて真っ平ごめんだと思って必死に力をつけた。仕方なく腐れ縁がつづいてるけど』なんて具合に、実は腹のうちでクソミソに貶されていたなどと知ったら、精神的ダメージは特大である。

そんな煩悶をしている人間がいるとも知らず、周囲のことなど意に介さないという様にのんびりとしているスペッキオは、ゆっくりと、ようやく、ルッチの方を振り返り──────。


「軍・極・秘」


……完全に、ルッチをおちょくる気満々の返答をしてみせたのだった。スパンダムの皮膚から冷や汗がふき出てくる。こいつらを止める道力なんておれにはねえぞ?と、逃げるルートを目で確認していた。
大惨事が引き起こされやしないかとひやひやしていたスパンダムだったが、恐るおそる見遣った先のルッチの顔面は、強張ることもなく──どころか静かに目まで瞑って、「そうですか」と応えるにとどまった。爆発前の静けさというわけでもない。そのまま背中を見せ、「失礼します」と退室しようとしてくれた。

「そういえば、長官」

早く行けよ、と言いそうになった唇をきゅっと結ぶ。

「長官がそちらの方に贈った寝具についてですが……」
「……?」
「どうやら、一度も使用されたことがない様です」
「何!?」

曰く。ルッチはどこかの通りがかりに、下働きの女が「“ベッドも使ってないから部屋に入る必要はない”って言われてるだけなのに、あたしがサボり扱いされるなんて納得いかない」と愚痴をこぼしていたのを、偶然、たまたま、はしなくも耳にしたらしい。
それを聞いたスパンダムはスペッキオの肩にガシッと掴みかかった。

「今の本当かスペッキオ!?」
「うん、そうだけど?」
「……!!」
「スパンダム……?」

あっけらかんと。あまりにあっけらかんと答えるスペッキオに、スパンダムは愕然とし、体をふるわせ、肺腑から流れ出てきたのは────怒りだった。

「家具の返却は許さん!」
「──え」
「掃除も定期的に下働きにさせる!」
「えっ」
「やたら多い鍵も全部没収だ!」
「ええっ?待ってくれ、スパンダム、急にどうして……」
「自分で考えろっ!」
「そんなこと言われても」

スペッキオはこだわりがないだけの男なのだと思っていた。スパンダムの屋敷にいた頃を思いかえしてみても、スペッキオに宛がわれていた部屋にあった物といえば元から置かれてあった調度品ばかり。そこから増えた物といえば、スペッキオの親が贈ったオモチャやぬいぐるみ、スパンダムがおさがりとしてあげた本や嗜好品しか思い出すことができない。
今回、スペッキオの部屋に必要最低限の家具すらないとわかったとき、こいつは従者根性が染みついているのだと思った。与えられた物のみで満足し、主人に自ら願い出ることはしない。そんな遠慮深い男を感激させてやろうと、上質な素材を選び、名のある職人を使い、人間工学に基づいた最高のベッドをつくらせた。何も感想を言ってこないなとは思っていたが、まさかあの殺風景な部屋の唯一が、一度も使われたことがないなんて────!


「おめーは一体『何なら慾しい』んだ!」


「──────…………っ」

「この無神経が!」と吐き捨てルッチの横を通りすぎたスパンダムは、スペッキオが氷像の様に凍りついていることに気がつかなかった。


  
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