ピエタ これのつづき/!バッドエンド/年齢矛盾につき麦わらの一味が来なかったパラレルワールド



ピ、ピ、と鳴る電子音。一定の波型を描き流れていく心電図。テゾーロはちいさな丸椅子の上に、そのおおきな体を乗せ、額に手を当てうなだれていた。傍らのベッドには、青白い顔を上向かせたまま昏睡状態に陥っている────ナナシ。

「…………」

テゾーロは重たい頭を持ち上げ、ナナシの顔を見た。酸素マスクをつけた姿は、いかにも重体といった感じだ。日に日に痩せていくことがわかる頬や腕。胸のあたりからは各種機器へとコードがのびていた。話しかけても返事はなく、二人きりの部屋には沈黙が降り積もるばかり。
かれこれ三日間。ナナシは、酸素吸入と点滴を欠かせない状態がつづいている。

テゾーロはナナシの首を見た。そこにはスカーフほどの大きさの白い布が、一見するとギプスでも嵌めた様に、頭部と胴体のつなぎ目を完全に覆っている。最初は包帯を巻こうとした。しかし肌にぴったりと密着する状態が締めつけている様に見えてならず、すぐさまはずして軽く巻きつけるだけにさせた。同様の理由で結び目もつくっていない。跡≠ェ痛々しいからと、誰の目からも隠すことだけを目的としているからだ。

ナナシが──────自殺を図った。

幸いにも発見が早く、未遂におわったのだが、それからずっと意識不明のまま。テゾーロにはわかる。こうなった理由を知っている。『彼』のことを十八歳で見つけ、それから五年が経った。

今は二十三────。ステラがこの世からいなくなった年齢。

彼岸に呼ばれたのだ。


「(行かせるものか……)」

ナナシのほそい指を束ね、ぎゅうと握りしめる。どうか、どうかとあてもなく祈る。この世に神はいない。ならば何に祈っているというのか。







以前、テゾーロにころされかけながらも、無意識に笑ったことで運良く一命をとりとめたナナシは、喋ることを許可された口でこんなことを訊いていた。

『金の像になったっていうのは、黄金に閉じ込められちゃう感じですか?それともお肉もぜんぶ黄金になる感じですか?』

同罪を犯した女の方は金の像になった──と伝え聞いてからの、素直な疑問である。テゾーロは危機感を感じられない暢気なナナシに呆れながらも、ちゃんと答えてやった。

『いずれは全て黄金になる』
『よかったー!息苦しい方だったらどうしようかと思って』
『……』
『なるほどなるほど。黄金になったら、その黄金もテゾーロ様は操れるんですか?』
『ああ……』
『ドロドロになったら、どれが誰だかわかりませんね』

自分もそうなっていたかもしれないという自覚はあるのだろうか。あまりにも他人事な、のびのびとした受け答えをするナナシに対し、眉を顰めるテゾーロ。そんなテゾーロに、ナナシは“今のうちに”と願いを口にした。

『俺のこと要らなくなったときには、ちゃんと黄金にしてくださいね』

死を理解していないのでは、とすら疑っていたテゾーロは、自らの最期のヴィジョンを口にしたナナシにかるく衝撃を受けた。受けながらも、それを表には出さず、つづく言葉に黙って耳を傾ける。

『像として残すんじゃないですよ。ドロドロの一部にするんです。そうしたら多分、きっと。俺は、元の姿で父ちゃん母ちゃんに会える気がするんで』
『…………』

くだらないことだ、と、テゾーロは聞き流していた。奴隷の処遇は死後に至るまで主人の自由だ。当人の願いを聞き入れる義理などありはしない。ならば心に留め置く必要もない。



────けれども昏々と眠りつづけるナナシを前にして、テゾーロの脳裏には当時の会話がよみがえってきていた。思い出したくて思い出したわけではない。むしろ余計な記憶でしかなかった。
あくまでもテゾーロにとってナナシという青年の価値は、魂のどこかで眠る彼女≠フ器──という点にしかない。彼の命運はすべてテゾーロの思いのままなのだ。仮に金の像として残したところで、どうして咎められようか。

そもそも、誰が死んでいいなどと言ったのか。







「荷物の運び出しを手伝ってもらう。この部屋を、改装しようと思ってな」

テゾーロはナナシに与えていた部屋へ幹部達を集めた。ナナシが今眠っているのは医務室。だがいずれは目を覚まし、この部屋へともどってくるだろう。ならば二度と同じ過ちが繰り返されないよう準備をしておかなくてはならない。ほんとうであればもっと早く、奇行が多くなったとわかっていた時点で防止策を講じておくべきだったのだ。

「天井を高くするか……。『奴』は、照明からロープを吊るしたんだったな」

皆で一斉に天井を見上げた。見上げて、一様に静止する。シャンデリアの位置は、上背のあるテゾーロですら、能力を行使しなければ手の届かない様な高さにあった。部屋のどの家具を足場に使ったとしても、ナナシには届かないことだろう。

「……ああ、いや。すまない。カーテンレールだった」

一斉に見遣った先。カーテンのない窓が夜空を切り取っていた。窓枠の上にはカーテンレールも存在しない。テゾーロは頭の皮膚がきゅうと引き攣る感覚をおぼえ、こめかみを押さえた。

「……ああ、いや、ドアノブだったか……よほど気が動転していたらしいな。おかしなことばかり、すまない」
「いえ!」
「大丈夫ですよ、テゾーロ様」
「荷物を運び出しましょう!」

目的を共有したバカラ、タナカさん、ダイスがそれぞれ行動を開始した。使用人の出入りも始まり、作業は手際よく進められていく。その忙しない空気につられて、テゾーロも静かに部屋の変形を始めた。

ロープの代わりになりそうな物は取り去った。服も破れやすい素材を用意する。ペンの類いも常備しておく必要はないだろうと撤収させ、怪我につながりそうな物はすべて排除した。木製の椅子やテーブルも、割れて破片の先が尖れば危険だと思い至る。そのとき、理解した。

────この部屋には、何もなくていい。

すっかり殺風景になった部屋は、指紋まで拭き取られたのではと思えるほどに何ひとつ残されてはいなかった。うっかり転倒して頭を打ちつけでもしたら危ないと、床、壁の全体にはクッションマットが敷き詰められる。タナカさんの能力を使えば無機物をすり抜けられる為、ドアも取り払われることになった。外とのつながりは、天井に近いはるか彼方にぽつねんとある明かり取りのみ。

これでもう大丈夫。これでもう。安全になった部屋を見渡し、テゾーロは満足げに溜息を洩らすのだった。







──────……ナナシが昏睡に陥ってから一週間が経過した。いまだ一ミリも、睫毛はゆれていない。
テゾーロはナナシを安全な部屋≠ヨと移動させていた。グラン・テゾーロで最も腕のいい医者に、容体は安定している、あとは目覚めるのを待つのみ──そう言われたからだ。窓もない無機質な部屋よりも、すこしでも日の光を感じる場所に居させたかった。
テゾーロは肉づきの薄くなったナナシの手をそっと掬いあげる。体温は低く、皮膚はかさついていた。その甲に、温度をわけあたえる様に頬で触れる。

「ナナシ……もどってこい。お前が言ったんじゃないか。おれに、がんばれと……」

──テゾーロ様が諦めなければ、奇跡は起こるかもしれませんよ。
テゾーロの脳裡に、かつてナナシが述べた言葉がまぶしい笑顔と共に映し出される。彼女≠ニ寸分たがわぬ笑い方。唇のしなり、眉のひらき、目の細め方──瞳の、美しいホライゾンブルー。それをこの目で確かめたからこそ、希望は灯された。

「教えてくれ。なァ、教えてくれ……ナナシ。おれは……おれはいったい、なにを間違えた……?」

テゾーロが瞼を閉ざし、眉間に力を入れたとき────……。


規則正しく刻まれていた電子音が、けたたましい警告音へと変わる。


────テゾーロの呼吸は一瞬完全に止まった。魂が抜けた気にすらなった。すぐに我を取り戻しモニターを確認する。光の波形は乱れ、心拍数が次第次第にさがっていっていた。ナナシの顔色を一瞥したのち、急いで子電伝虫を取りだす。

「タナカ!すぐに医者を連れてこい!全員だ!!」
『はっ、はい!ただいま!』

血管がブチブチと切れそうだ。誤診を下した無能をどう殺してやろうか──。そんな煮えたぎった怒りは、ナナシの生気の薄れた顔を見て急激に冷えていく。アラーム音が耳の中でこだましていた。音が何重にもなって響く。焦りを刺激される。
ナナシの表情は変わらないままなのに、モニターに写し出される状態はどんどん悪化するばかりだった。どうすればいい。どうすれば。(何もできやしない、お前は無力だ──)幻聴をふり払い、テゾーロは力を加減しながらもナナシのやせ細った体を抱き寄せた。

「頼むっ……頼む、頼む!おいしぬなっ、しなないでくれ……!」


────これまでの五年間の記憶が、断片的に、走馬灯の様になって頭を駆けめぐっていく。

ヒューマンショップの牢から明かりの下へと引き寄せた顔、冴えざえとしたホライゾンブルー。

はじめて笑ってみせたときの衝撃。

理解の及ばぬ論理で生きる者。

『テゾーロ様が諦めなければ、奇跡はきっと起こりますよ』
天啓。決意を新たにした日──。

ドレスを纏い、グラン・テゾーロを遊びまわり、駆けまわり、風に髪をとかれ夜空を背にする姿。


それから、それから。


頭からシーツをかぶり、淀んだ双眸をして────。
(キシ、)

粘っこく艶を帯びた目が、すぐ傍までやってきて────。
(キシ、)

違う。違う?何が。
(キシ──キシ、)

分からない。よく分からないが、
(キシ、キシ、キシ、)

こんな
(キシ、)

記憶は──────。











(ギシリ)











ぱさ。

「………………」

テゾーロの足元に、白い布が落ちていた。数瞬考え、ナナシの首に掛けてあった物だと理解する。拾う気力も起きないままナナシの首元に顔を埋めようとしたとき、ふとなにかに気がつき、テゾーロはナナシの体を離した。

布に隠されていた肌。そこに残る赤紫色の跡≠見て、目をおおきく見開く。







(ナナシに押され、倒された先のベッド)
(白いシーツに囲まれた世界)
(はだかで乗りあげてきた華奢な肢体)
(ブロンド、ホライゾンブルー)
(婉然とわらう愛しい顔)
(まるで「テゾーロ、愛してる」と囁く様にうごいた唇)
(ベルトに手をかけ、────、銜えようとしてくる────)

ステラの、最後の笑顔と、天竜人の顔がフラッシュバックした。

いやでも想像してしまった。彼女がどうなったか、何をされたのか。なにもわからない。わからないからこそいつまでも拭えない悪夢の想像。彼女が、醜い生き物に望まないことを強要される────そう、目の前の、様なことを────────。


『やめろ!!』


テゾーロの両手は、細い首にのびていた。

『やめろ!やめろ!やめろ!やめろ!やめろ!違うっ……こんなのは、こんなことは無かったんだ!!』
『……!……!!』

テゾーロの手に、やわい指が縋りつく。

『彼女じゃない……お前はステラなどではないッ……!彼女は……!彼女のさいごは────……ッ!!』
『………っ……、…………』


────ナナシの手が、テゾーロの頬に触れた。涙の筋に触れていた。泣いていたのだと、テゾーロもそのときはじめて気がついた。瞬間、テゾーロの体が、スイッチを切られたロボットの様に停止する。
ナナシの唇が、なにかを紡いだ。

ご め ん ね

その表情は、純粋な慈しみに満ちていた。指先が、子をあやす様にテゾーロの頬をひとなでし────するりと落ちていく。



『…………おい……?』

テゾーロはナナシの白い頬をぺちぺちと叩いた。反応はない。体の反射的な抵抗ともいえる筋肉のこわばりすら消えていた。とっさに首から手を引き、焦りがこみ上げてくる。
ステラのまぶしい笑顔を思い出していた。それが出会い当初のナナシの姿へと変わっていく。

『ぁぁぁ……』

あのときステラを見出だしたはずだ。否、見つけた<nズだ。これは試練。尽力すると誓ったじゃないか。なのにおれは、何をした?

『ぁあああ……っ』

これは運命の強制力だ。おれはまた、失うのか。
また!目の前から──────!













「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ……──────」













しぼり出す様な慟哭が、テゾーロの胸を裂き、溢れ出した。






「テゾーロ様!連れてきまっ……」

先頭になって壁をすり抜けてきたタナカさんは、ピーと絶え間なく鳴りつづける高い機械音を耳にし、言葉の途中で立ち尽くした。タナカさんと手をつないで入ってきた医師達も、部屋の光景を目にし揃って言葉をうしなう。

「テゾーロ様……」

タナカさんの瞳が揺れていた。視線の先、わずかな光が降りそそぐ窓の下。ベッド端に座るテゾーロのひざの上で、青年が穏やかな顔をして眠っている。



陽射しを受けて────。一つになった像は、黄金に光りかがやいていた。


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -