二〇一号室。そこが私の部屋になった。角部屋だったことに驚いたが、空いているんだからいいのだと詩人は笑った。


二階にあり、しっかりしたドアを開けると6畳の部屋がある。寝具一式は、詩人だという一色さんが一組譲ってくれた。他の道具などは今度ディスカウントショップなどに行って買ってこようと思っている。


すっかり夜のとばりも降りていたため、その日は稲葉によって主要な場所だけ案内してもらった。


しかしいろいろとこの寿荘というアパートは変なところがたくさんある。


廊下には足跡が染み付いているのだが、その足跡も中には動物のようなものまで混じっていた。それに、ふと振り返ると廊下を通り過ぎる影があったりする。今このアパートには私を含めて3人しか帰ってきていないと行っていたのに、だ。つまり、一色さん、稲葉、私しかいないはずなのに、他に気配がするのだ。もしかして、何か霊感に目覚めたのだろうかと首を傾げる。


「田中は幽霊とか妖怪は信じるか?」


稲葉はトイレの扉を開けながらいった。共同トイレを覗き込む。稲葉が電気をつけると、綺麗な洋式のトイレがそこにあった。古いからボットン便所だったらどうしようかと思ったが、近代化されているらしい。


「んー、割と信じてるほうかも?っていっても、見たことはないんだけど、私の周りって結構霊感ある人が多くってさー。そういういろんな話しは聞いた事あるよ。でも、私、悪運が強いっていうか、なんていうか、私がいるとそういう幽霊って寄ってきにくいらしくて、霊感強い子には結構重宝されてたなー」


中学までの様子を思い出し苦笑する。


中学生の時に仲良くしていた友達は霊感が強い子だった。そして運が悪いことに、修学旅行に行った先に地縛霊なるものがいたらしい。実際に具合が悪くなる子もたくさんいた。その中で一番影響を受けていたのがその友達だった。しかし、なぜか私が隣にいるときは嫌な気配は薄れたらしい。だから、旅行中はなるべく一緒にいてと懇願された思い出がある。


「へえ。じゃあ幽霊とかは見た事ないのか?」

「うん。ないね。え、もしかして稲葉って霊感ある人なの?見た事あるの?」

「見た事あるっていうか・・・、まあ、ここにいたらわかることだし言っておくか」


稲葉はどこか困った顔をしてトイレの扉を閉めた。


「ここ、寿荘っていうんだか、別名妖怪アパートとも呼ばれてる」

「妖怪アパート?水木し○る?」

「ああ、そういうイメージだな。ここは特殊な場所らしくって、いろんな妖怪だったり幽霊だったりがくるんだ。あ、でも、結界で守られてるから悪いやつは入ってこられないらしいぜ」


なんともファンタジックな話に目をきょとんとさせる。現実主義なところがありそうな稲葉からまさか結界や妖怪という言葉が出てくるとは思ってもいなかったのだ。


「結界、ねえ?」


やっぱり常人には見えないものなのだろうか。とりあえず入れているということは、私は悪いものには分類されなかったらしい。というか、悪いやつってどんなの?


「信じられねえよな。えーっと、そうだ」


稲葉はおもむろに尻ポケットから何か小さな本のようなものを取り出しそれを私に見せた。中身をみるとタロットカードのようだった。しかし、文字を読み取ることはできない。タロット占いでもするのか?と首を傾げいていると、稲葉はその本を持って、フールと呼んだ。


「はい。ご主人様。お呼びでございましょうか!」


目を点にさせるとはまさにこの事だ。驚きすぎて言葉も出ない。


稲葉の肩には奇抜な格好をした小人が立っていた。しかも、流暢な日本語をしゃべり、動いている。プロジェクションマッピングかと疑うが、その姿は透けていない。操り人形かとも思うが糸もなければどこからどうやって操っているというのか。


「この本は、プチ・ヒエロゾイコンっていう魔道書なんだ。それで、俺は何の因果かそれの主人に選ばれた。だからこうして魔道書の中に封印されている精霊を使役することができるっていわけだ」

「わけだって言われても理解できないんだけど……」


ぽかんと口をあけながら稲葉を見る。稲葉はそうだよなと苦笑した。


「……それ、触れるの?」

「ああ」

「触っていい?噛みつかない?」

「失礼な!私めは獣ではございませんぞ!本書の案内人にして、夕士様の忠実なる僕、二ユリウスのフールと申します。お見知りおきを」


丁寧にお辞儀され、思わずお辞儀し返す。なんだかさっぱり意味がわからないが、とにかく、この小人は稲葉の僕らしい。実際にその小人フールの頭を撫でて見るとさわれたし、指先で握手だって交わせた。その頃になるとなんだか面白くなってきて、他には何があるのかを聞きまくり、害のないものをいくつか出してもらった。


閃光がほとばしる中でてくるものは結構くだらないことしか言わないものが多く、いったい何に役立つのかわからないもののほうが多かった。


「選ばれたって、なんか、まるで日曜朝のアニメみたいじゃん。変身しないの?悪と戦わないの?」


うきうきと尋ねると頭を叩かれた。


「するわけないだろ!俺は今でも将来の夢は一般サラリーマンだ!」

「えーっ!つまんない!衣装だったら、そういうの作るのが得意な子いるし、作ってあげるよ?ほら、某カードを集める女の子の親友みたいに、ビデオで収めてあげるし!なんだったら、プロデュースだってしてあげるからさ!」

「なんと!そんなことが!ご主人様ぜひお願いいたしましょう!」

「だあっ!もう!俺は!そんなものにはならない!」


全力否定され、腹を抱えて笑う。頭は未だに追いついていないが、存外冷静な部分で世の中不思議なことが多いもんだねえとしみじみと思っていた。


「つうか田中、随分冷静だな。長谷だってもっと驚いたぜ?」

「長谷ってのが誰かは知らないけど、言ったじゃん?結構周りに不思議な子いたんだよ。そういうのと知り合いが多い人が知り合いにいてね。いろんな話しをおとぎ話半分で聞いてたから、まああまり抵抗はないかな」


稲葉はふうとため息をついた。そのとき、肩から力が抜けたのをみて、もしかして緊張していたのだろうかと思った。


「なあに?そんなに緊張することだったの?」

「受け入れられないやつは、受け入れられないだろ。最悪、化け物だって思われても……、仕方ないしな」

「うーん。化け物っていうのはさ、こう、もっと人の心がないやつをいうんだよ。それに、稲葉は稲葉だしねえ。学校での印象しか知らないから全部知ってるとは言わないけど、稲葉は普通に私と同じ人間だよ。苦労人同士だね」

「そうだな。でも、俺、まさか田中の家がそんな感じだなんて思わなかったな。お前、普通に周りと話してるし」

「私の場合、生まれた時からあの親と付き合ってきたんだもん。さすがに今更嘆いたりしないよ」

「田中こそ、波乱万丈だな」

「私は手助けしてくれる人が周りにいたからね。それがなかったら、今頃生きてたかどうかもわからないよ」

「そんなにか!?」

「あ、舐めてるでしょ、うちの親のこと。自慢じゃないけどね、昔からネグレクト寸前、っていうか、私がしっかりしてなかったら、買い物もしないしご飯だって作らないことなんてざらだから食べていくことにそりゃもう大変だったよ。お金だけはどうやってだか作ってきてたから、なんとかなってたんだろうけど、昔から男が絶えなくってさ。その男に騙されてはほいほい付いて行って、音信不通。しばらくしたら振られて帰ってくる。で泣きながらやけ酒に付き合わされる。その繰り返し。だから、今更なんだよ。いろいろと」

「そうなのか」


二階の案内が終わり、階段を降りる時におばあさんが階段の掃除をしていた。お手伝いさんがいるのだろうかと思っていると、稲葉はあれも幽霊だと言った。鈴木さんというらしいく、いつもどこかを掃除してくれる。なんて善良な幽霊なんだと唖然とした。


階段を降りて玄関を通り過ぎ、食堂へ向う途中で、薄暗い一室で麻雀をする何かをみた。ジャラジャラという麻雀牌を転がす音が聞こえ、思わずそちらを見ると、稲葉からあそこでは鬼が麻雀をやってると言われた。


鬼って悪いやつらに入らないのかと聞くと、ただ麻雀をやりにくるだけで悪さはしないらしい。鬼って、なんなんだろうと疑問に思った瞬間だった。


食堂に入ると一色さんがお茶を飲んでいた。住人が10人ちょっとしかいないアパートにしては食堂は広かった。その一角でひっそりお茶を飲んでいた一色さんが声をかけてくれて、彼の前に座る。


一色さんのそばによる前にこっそりと彼は人間かを確認した。当たり前の問いだろう。ここまでくると。


稲葉曰く、「人間だと思う」だそうだ。つまり確証がないらしい。


「どうだい?慣れそうかい?」

「あ、はい。あの、一色さんも、稲葉のプチなんとかとか、幽霊とか見えてるんですよね?」

「プチ・ヒエロゾイコンな」

「長くて覚えられない」

「うん。見えてるよ。アタシもここに住んで長いからねえ。そうだ。七海ちゃんはご飯は食べたかい?ルリルリが食べてないなら作るって言ってくれてたよ」

「え!本当ですか!?今日はもう時間オーバーで無理だと思ってました!」


願ってもない申し出に諸手をあげて喜ぶ。なんていったって、いつも美味しい稲葉のお弁当を作ってくれている賄い料理だ!喜ばないわけがない!


「ルリルリっていうんですか?」

「ルリ子さんっていうんだよ。厨房覗いてみろよ」


稲葉がにやにやと笑いながらいうから、用心しながら厨房に近づき中をのぞいた。コンロの火が灯り、その上には鍋が置かれている。お湯が沸騰するコトコトという音と、調理器具が重なり合う金属音。そして美味しそうな匂いが鼻をかすめたが、何よりそれら調理器具を操っている白い手が見えた。しかし、その手の先がなかったのだ!文字通り手だけのそれに、思いっきり体をのけぞらせた。とっさに悲鳴もあげることもできず、尻餅をつく私に、詩人と稲葉はお腹を抱えて笑いだす。


「い、稲葉!?」


ここにきて、初めてみる幽霊らしい幽霊だった。よく肩に乗っている手とか、電車の下から足首をつかむ心霊写真なんかは見たことがあるけれど、普通に動いていた。私の初めての幽霊目撃だった。いや、鈴木さんとかも幽霊らしいけれど、あれは幽霊っぽくないから例外だ。


「ルリ子さんは、ここの賄いさんで、その味はお前も知ってるだろ?生前はホステスだったんだけど、小料理屋を開くのが夢だったんだ。でも、付きまとってた客に殺されて遺体はバラバラに。見つかってるのは手首だけらしい」

「そう、なんだ……」


そうやって事情を聞くと、同情の念さえ湧いてくる。


「まあ、手首だけとか関係ないよな。なんていったって、ルリ子さんの料理は絶品だぜ!」


なんとか立ち上がりもう一度厨房を覗いて見る。手が一度こっちに向いたから、手を振って見ると小さく振り返してくれた。その仕草に思わずきゅんと来る。


「稲葉!ルリ子さん、手振ってくれた!!」

「はははっ、七海ちゃんは順応力が高いねえ」

「あー、昔から、あまり細かいことは気にしないことにしてるんです。考えても仕方ないことって多いでしょう。考えただけわからなくて苦しくなるから、そういうのは一度横に置くようにしてる、んだと思うんですよ。だからですかねえ」

「柔軟な考え方は大事だよ。自分の世界をうんと広げられる」

「おっかしいな。俺の時はもっと驚いたんだけどなあ」

「稲葉よりは柔軟性が高いってことだね!」


笑ってやると稲葉に小突かれた。そのうち、ルリ子さん特製の豚の生姜焼き定食が出来上がった。ふわっふわのご飯からして感動的に美味しい。


「ん〜っ!これが噂の賄い飯!こんなの毎日食べてたなんて!稲葉贅沢!」

「これからはお前も食えるんだぞ」

「ここにきてよかった!っていうか、ルリ子さんに作りかた教えて欲しいぐらい!」

「へえ、田中、料理作れるのか?」

「何を言いますか!稲葉くん!物心ついてから今まで毎日朝昼晩全部自分で作ってたよう」

「え!」

「へえ、そりゃ年季が入ってるねえ」

「あの人、料理めちゃくちゃ下手なんですよー。だから食べられるもの作るためには仕方なく!そうじゃなかったら、三食コンビニ飯だもん。そんなの嫌だよね」

「料理は誰かに教わったのかい?」

「近所に住んでたお兄ちゃんが結構面倒みてくれてたんですよね。私が小学校低学年くらいまでは、いろいろと連れて言ってくれて、お兄ちゃんっていうかお父さんっていうか、そんな感じでした」

「いい人に出会ったんだねえ」

「本当に!今の私がいるのは、あの人のおかげです」


ルリ子さんの賄い飯を堪能したあとは、お風呂場へ連れて言ってもらった。今は男子の方も誰もいないということで覗かせてもらうと、そこは露天風呂になっていた。しかも、天然温泉らしい。なんじゃそりゃ。


女子風呂は男子ほど広くはないが、こちらも同じように岩風呂だった。空も見える。稲葉曰く、ここは別の場所につなげられているらしい。某青だぬきのロボットを思い出した。


体も洗い、一人風呂を堪能していると、脱衣所の扉を開け放つようにして女の人が入ってきた。しかも、みたことがないほどのナイスバディだ。


「はあい!女の子が新しく入ったって聞いたからきちゃったあ!」


テンション高いその人は私の姿を認めると、勢い良く飛び込んできた。おかげで暑いお湯をかぶり、私はあわあわと慌てる羽目になる。その間にいつのまにか首をホールドされ、豊満な胸を押し付けられた。その柔らかい感触に、そっちの気はないというのに気恥ずかしさにたまらなくなる。


「私、まり子っていうの!」

「は、はじめまして。田中七海です」


ようやく少しだけ距離をあけてくれた、といっても首は未だにホールドされたままだが、マリコさんの全体を見ることができた。


栗色の長い髪をラフに結い上げており、ぱっちりとした目、可愛らしい鼻。ちょっと厚めの唇。上目遣いをするように小首を傾げて話しかける彼女はあざとかわいい。というか、本当にかわいい。


「訳あって201号室に引っ越してきました。稲葉と同じ学校で学年です」

「私は、森住神社にある託児所で保母さんやってるわ!あ、訳あって成仏してません!よろしくネ」


託児所の下りでそんなところにあったっけ?と首をかしげていた私は、まり子さんの最後の言葉に、愕然とする。こんなにもはっきりと見えてしゃべっていて、しかも体の柔らかさまで感じるのに幽霊だというのか。


「ゆ、幽霊なんですか!?」

「そうよー」


あっけらかんと肯定するまり子さん。それに呆然とする。


「って、働いてるんですか!?幽霊なのに!?」

「あら、幽霊でも働く人は働くわよー。ここにいる佐藤にはあったことある?」

「い、いえ・・・。まだ、一色さんとルリ子さんと鈴木さんだけ」

「そ。佐藤っていう、妖怪なんだけど人間社会で社会人やってるやつもいるわよ」

「ええ!紛れてるんですか!?」

「そうよー。うまく化けて、歳もいいスピードで取っていって、定年退職したら、もう一回別の会社にってやってるわ」

「へえー。すごいですね。働くのが好きなんですかね?」

「さあ?人間が好きだって本人は言ってたけどね」


まり子さんとゆっくり温泉に浸かりながら話す。時折吹き抜けていく風が火照った顔を冷やしてくれる。そういえばここはどこだかわからない場所に温泉があるんだっけ。だとしたらこの風も全く別の場所の風なのだ。そう考えたら、すごいなあと思った。現実味は湧きそうにない。


「まり子さんは託児所って言ってましたけど、普通に人間のなんですか?」

「違うわ。妖怪や幽霊の託児所よ」

「へえ!そんなのがあるんですね!」


ということはやっぱり妖怪の学校もあるのだろうか。水木○げるの妖怪の歌を思い出して一人くすりと笑った。


まだ話していたかったが、のぼせそうになったので先に上がらせてもらった。部屋へ戻るときに目の前の廊下をふらっと通りがかった黒い影にびくりと体をすくめる。


長い黒髪の女だった。それがふらふらと通りすぎて言ったのだ。ぞわぞわっと背筋に寒気が走り慌てて自分の部屋、ではなく稲葉の部屋に駆け込んだ。


「うわっ!田中!?せめてノックぐらいしろよ!」


ドアを勢い良くしめ、扉に背をくっつける私を見て、稲葉は怪訝な顔をする。


「何かあったか?」

「い、いま、そこ……なんか、女の人っ」


支離滅な言葉だったが、それでも通じたらしい稲葉は訳知り顔で頷く。


「ああ、貞子さんだな」

「貞子さん!?やっぱりあの貞子!?」

「いや、名前はわからないから、俺がそう呼んでるだけ」


あっけらかんと答える稲葉はさすが以前から住んでるだけあるというか、すっかり慣れてしまっているらしい。あのホラーな見かけに。


「ははっ、結構けろっとしてるなって思ってたけど、やっぱり怖かったんだな」

「あっ、当たり前じゃん!?本当に見たことも感じたこともなかったんだって!幽霊がいるのは信じてたけど、見ることもないと思ってたし!」


稲葉はお腹を抱えて笑いだす。その合間に長谷と同じことをいっているとか言っていたが、その長谷という人とはぜひ語り合いたい。ここの異常さについて。


「ルリ子さんは手だけだったけど、綺麗な手だったしご飯美味しいし。鈴木さんは掃除してるだけで普通におばあちゃんだし、まり子さんも普通に女の人だし、幽霊っぽくないから大丈夫だったけど、あれはアウトでしょ!」

「まり子さんにあったのか?」

「お風呂場で」

「ああ。今日は女風呂にいったんだな」

「え?」

「あの人、長年幽霊やってたせいで男女の概念がなくなってて、たまに男風呂に普通に入って来るんだよ」

「まじか。あのプロポーションでとか、稲葉棚ぼたじゃん」

「うっせ!」

「引くわー」

「お前な!」


ヘッドロックをされて、慌ててタップする。すぐに離してくれたが、ふざけたおかげで怖さも吹っ飛んだ。


「貞子さんは何もしないから。たまにトイレ出たところとかにいてビビるけど」

「うっわ、それホラーじゃん」

「ホラーだろ」


真面目くさって頷く稲葉にこちらも笑いがこみ上げて来る。


やっぱり現実味がないが、なんだかんだ悪い場所だとは思えない。まあ、悪い場所だったとしても私には他にいく場所なんてないんだけどね。


「そうだ。ここの住人のこと教えてよ。まり子さんが、妖怪で社会人やってる人がいるって言ってたけど」

「ああ。佐藤さんだな。化粧品の「ソワール」の経理課長をしてるらしい」

「めっちゃ大手!私も使ったことある!しかも課長!?」

「なあ、びっくりするよな。しかも、人望は厚いぜ」

「へえっ!」

「あとは、あ、来たな」


稲葉が私の背後を見たため振り返ると、扉が少しだけ開いていた。そして、そこからのぞいていたのは赤ちゃんだった。2、3歳くらいだろうか。くりりとした目をこちらに覗かせている。


「クリ。おいで」


稲葉が手招きすると、クリはたたたと稲葉に駆け寄った。稲葉は慣れた手つきでクリを抱き上げると膝に座らせる。その堂に入った仕草に目が点になる。


「もしかして……、稲葉の隠し子?」

「はあ!?」


すっとんきょうな声をあげた稲葉に、クリは驚いたようで稲葉を見上げていた。


「違うわ!お前まで変なこというなよ!」

「だって、随分手慣れてるみたいだったから。あ、わんちゃんも入って来た」

「そいつはシロ。クリの母親みたいなもんだ」

「?そっかあシロっていうのかあ」


シロの頭を撫でると、気持ちよさそうにすりよってきた。やだめっちゃかわいい。


「クリも幽霊だ」

「え!?」


クリをまじまじと見る。そっと手を伸ばしてクリの頬をつつくとぷっくりとした頬はとても柔らかかった。じっとこちらを見返すクリはとてつもなく可愛い。こんなに可愛いのに幽霊だということに驚きだ。


「クリは、母親に虐待されて殺されたんだ。シロはずっと虐待されていたクリを育てていた。守ってやってたんだ。でも、母親に殺されたクリを見て、シロは母親を殺した。それを見て、周りの奴らがシロを殺した。でも、それはシロがクリを一人にしておけなかったからだ」

「ってことは、シロも?」

「ああ。こいつらはいつも一緒にいる。シロは今でもクリを守ってる」

「成仏、できなかったんだね」

「クリの母親の執念でな。母親はぼろぼろになってもまだクリに執着しているんだ。その執念があるから、クリはあの世に行けない。でも、ここにいたら、その母親にとらわれることはない。だからクリはここにいるんだ」

「そっか……」


クリに手を差し出して見ると、クリもこちらに手を差し出した。稲葉からクリをもらい自分の膝に載せる。向かい合わせて抱きかかえると、クリは私を見上げて私の頬に手を伸ばした。


「はじめまして。七海って言います。クリ、よろしくね」


私がたどるかもしれなかった未来のように思えた。あの母親だったら一歩間違えたら同じようになっていただろう。虐待のすえ殺されるなんて、今じゃさして珍しい話ではない。だからって、それがあっていいわけがないのだ。


「シロも、ここでお世話になります」


シロも撫でていると、服をくいくいとすっぱられた。下を見るとクリが私を見上げている。なんだこれ。くそかわいいなおい。


「どうしたの?」


クリは私の服をつかんだまま稲葉へ手を伸ばした。稲葉と顔を見合わせ首をかしげる。


「もしかして、長谷みたいに一緒に寝ようって言ってるのか?」


クリはこくりと頷いた。


「どういうこと?」

「この前、俺のダチにここの事、教えたんだよ。その時に、この部屋で3人で寝たんだけど、たぶん、その時みたいに寝たいって言ってるんだ」

「ここで、川の字で寝たの?同じ布団で?」

「ああ」

「ふうん。クリ、私もここで寝てほしいの?」


クリはこくりと頷いた。その仕草が可愛くて頭を撫で回す。本当にかわいい。


「じゃあ、お兄ちゃん!ここで寝させてもらうね!」

「はあ!?本気かよ!っていうかそのお兄ちゃんってなんだ!」

「だって、もともと稲葉の部屋に泊めてもらうつもりだったし。別に稲葉だし。さっきのじゃれあいとかしてると、お兄ちゃんいたらこんな感じかなって思って」

「なんだそれ」


はあと深いため息をついた稲葉はごろりと布団に横になった。


「仕方ねえなあ。今日だけだぞ。俺は明日も水行があって忙しいんだ」

「水行?何それ」

「今、プチを使うために修行してもらってるんだよ。このアパートに俺らの一つ年上で鷹ノ台高校に通ってる秋音ちゃんていう人が住んでるんだけど、その人が霊感があって除霊師の修行してるんだ。夜は月野木病院で師匠に教わりながら修行してる」

「除霊師……そんな人がいるんだ?」

「おう。その人に修行をつけてもらわないと、プチを使うたびに俺の寿命が使われていくらしい」

「うっわ、命がけじゃん。大丈夫なの?それ」

「大丈夫にするための修行だろ」

「ふうん。大変なんだねえ」

「ふうんって…ほら、もうクリも寝そうだから布団入ろうぜ」

「はあい。お邪魔しまあす」

「つうか、本当にここで寝る気か?」

「稲葉なら何もしないって信じてる」

「いや何もしないけど、信じられるのも複雑っていうか……」


稲葉は頭の下で腕を組み、天井を見上げたまま眉をよせる。稲葉の隣にいつのまにか眠ってしまったクリを寝かせ、その隣に入り込む。狭い布団の中だから、すぐ近くに稲葉の体温が感じられて気恥ずかしくもなる。でも久しぶりに感じる人肌の温もりに、今日あった出来事の多さも相まってすぐに眠気がやって来た。


「明日さ、いろいろとまた、紹介してね」

「ああ」

「おやすみ」


静かに眠りに落ちた私を見て、稲葉が困ったように笑いながらも布団をかけ直してくれるなっていう、保護者っぷりを発揮してきれていることを私は知らなかった。


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