稲葉が滝修行を始めてしばらく経ったある日、稲葉が私をみてぽかんと口をあけた。
「田中・・・、なんかお前、光ってるぞ?」
「は??」
それを聞いたクリが、私の周りが黄色い何かでコーティングされた絵を描いてくれた。まるでサイヤ人のようだと思った私は悪くない。絵自体は嬉しいのだが、なんとも複雑だった。
「ああ、それは七海ちゃんの守護霊ね」
「・・・え、もしかして私、常にサイヤ人状態なんですか?」
「あははっそんなわけないじゃない!確かに、修行を積んだ人なら、気配は感じられるけど、目に見える状態なのは集中している時だけよ。夕士くんはさっき修行して霊気が高まったから見えたのね」
「ああ、確かにもう見えなくなってるな」
稲葉の言葉でようやく安心できた。
ずっと周りが光ってるとか、めちゃくちゃ怖いじゃん。秋音さんや龍さんにはそう見えていたのかと思うととても複雑だったのだ。
今夜は十五夜だったらしい。十五夜というのを意識したことがなかったため、アルバイトから帰ってきてから月見のための準備がされていた。
クリが何か黒い塊を差し出してきた。食べろということらしく、それを口に入れると餡ころ餅だった。
「おお!おいしいっ!」
クリは満足げだ。どや顔をしているクリの頭をなでまわす。
「それ、夕士くんがついたんだよ」
「ええ!そうなんですか?餅つきしたんですか・・・」
さすが、本格的だ。
「さて。あたしたちも行こうかネ」
一色さんが選び抜いたらしい日本酒を5本抱え、お風呂に入ってきたらしい稲葉にも5本もたせた。
「稲葉、餅つきしたんだって?」
「ああ。もうくたくただよ。さっき気づいたんだけど、精霊のジンとかにやらせればよかったよな」
それを聞いてお腹を抱えて笑った。
プチを作った人も、まさか精霊たちが餅つきをさせられるなど思わないだろう。どんな主人だ。
「た・・・ただいま〜〜」
ヨレヨレで、洋服は汚れまくり、髪の毛もバサバサ、無精髭もいつもの倍くらい生やしており、一瞬不審者かと思ってしまったが、彼は古本屋さんだった。
そういえば最近見かけなかったなと彼を見てから思い出した。
近づこうとしたが、臭くて思わず足を止める。
「うっ・・・くさ・・・」
「ううっ・・・七海ちゃんひどい・・・。急ぎの用事でインドまで・・・。なんか食わせて」
元から細い人だったけれど、さらにげっそりとしている古本屋さん。また無茶な旅をしてきたらしい。
「じゃあ夕士くん。お風呂に入れてあげて」
「じゃあお酒は私が持つよ」
「まかせてくださいっす!きっちり入れさせていただきます!」
いつも入れてもらう側だからか、妙な張り切りを見せた稲葉は、お酒を私に渡すと嬉々として古本屋さんを持ち上げ始めた。
「わあい、嬉しーい!隅々まで洗ってね!」
稲葉と違って男のプライドうんぬんをかなぐり捨てている古本屋は嬉々として稲葉に抱きつき押し倒していた。稲葉から悲鳴が上がるのを聞きながら私たちは会場へ向かった。
地下温泉には、別の穴があけられ、その向こうに広大なススキ野原が広がっていた。
紺色の夜空に巨大な満月がぽっかりと浮かんでいる。ここもまた別の世界なのだろうか。少なくともこの近所ではないことは確かだった。久しぶりにこんなにも大きな月を見たものだ。
その中に宴会のセッティングも万端に整っていた。
三方にお神酒、団子、野菜が供えられ、秋の花が活けられていた。テーブルには椿色のクロスがかけられ、山積みのごちそうの間にイガ栗やどんぐりなど秋の木ノ実がさりげに飾られている。皿や碗はすべてうさぎ柄という凝りようだ。釜戸にかけられた大鍋からはいい匂いが立ち上っていた。
「素晴らしい!!完璧だネ」
一色さんが感嘆のため息をついた。
本当に、ルリ子さんは完璧だ。食の隅々まで行き渡らされた気配りには脱帽する。彼女が本当に料亭をやっていたら、繁盛していたこと間違いなしだろう。私だって通う。
そこへ、どこからともなく、バンが3台やってきた。秋音さんのバイト先である月野木病院の患者さんやスタッフたちだ。今日は一緒にお花見をするらしい。ここで、妖怪アパートなのだから妖怪とか大丈夫なのかと疑問に思うが、月野木病院自体が妖怪用の病院もやっているため、慣れているのだとか。そしてお客さんの中には普通に妖怪も混じっていた。
妖怪が病院にかかるというのも変な感じがするが、そこは人間と同じ感じなのかもしれない。
「お招きありがとう。素晴らしい宴会場だね」
「これはこれは藤之先生。お久しぶり」
一色さんが握手を交わしたのは、五十代ぐらいの紳士そうな人だった。白髪混じりの髪をオールバックに固めている。ぴんと伸びている背筋が、年齢を感じさせない。
彼が秋音さんの師匠だ。
私はもっと怪しげな人だとばかり思っていたのだが、思った以上に普通に病院の先生っぽくて驚いてしまった。
「夕士くん、七海ちゃん。藤之先生よ」
「は、初めまして!七海です」
「稲葉夕士っす。よろしくお願いしまっす」
藤之医師は上品そうに目を細めた。背広に杖とか似合いそうだなあと思ってしまう。
「この子が例の魔書使いか」
「夕士くんすっごくがんばってるんですよ」
「可愛いなあ。それで、こっちが・・・ほう、確かに面白いものがついているねえ」
やっぱり言われた。面白いものが憑いているって!自分じゃまったく自覚がないため、未だによくわからないが、力がある人に会うと必ず言われるようになったこの一文。思わず微妙な顔をしてしまうと、藤之先生は笑いながら私の頭を撫でた。
「・・・なんか、ちっちゃい子になった気分」
「俺もだ」
私たちはそろって顔を見合わせた。
大きくまんまるのお月様を愛でながら、外で食べる料理はいつも以上に格別だった。
大人組はうまい酒にうまい飯で上機嫌だ。患者たちも、それはそれは楽しそうに食事を進めている。
私も、患者さんたちに紛れてご飯を食べながら談笑してると、クリと稲葉とおばあちゃんが見えた。そのおばあちゃんはクリと稲葉のやりとりを見てはにこにこしている。
「あなたのお子さん?」
と訪ねていて、私は思わず吹き出した。肩を震わせて笑う私に、私の周りの患者さんたちは首を傾げているが、若いっていいわねえとほのぼのしている。
「いずれは死ぬ身。だったらその時は幸せにと、そう思わせてくださって本当にありがとうございました。おかげでこんな私でも成仏できます」
そのときにようやく気づいた。
おばあちゃんの身体が透けていったのだ。
藤之先生や秋音ちゃん、他スタッフが手を振りながら見送る。
「やれやれ、ハツさんも気が早い」
「では、わしらも行こうかの」
私の近くにいたおじいちゃんも立ち上がった。
人間たちは妖たちと言葉を交わしあい、スタッフに挨拶するとハツさんと同じように光の玉となって消えていった。
彼らは幽霊だったのだ。
「今日亡くなった人たちよ。最後にいい思い出を作ってあげられてよかったなー」
秋音ちゃんの言葉に月を見上げた。
確かに、最後の思い出が、こんなに大きな月の下、絶景を見ながら美味しいご飯に美味しいお酒があればこの世の中こんなに幸せなことはないかもしれない。
不思議とそう思えた。