窓も閉め切った部屋の中は空気がこもっているような気がした。ベッドはこんもりと盛り上がり、静かな寝息が聞こえる。
カーテンも閉め切られているため、室内は薄暗い。そのため、明るい廊下から入ってきた俺は、すぐに目が慣れなくてドア付近で立ち止まった。
「ん…。…祐希、かい?」
「よう。昨日ぶり」
「授業は?」
だるそうな声が耳に届く。寝返りをうつのすら緩慢な動作で体がだるいのだろうと察した。
「今日は休み」
「だめじゃないか」
「保護者が急病なんでね」
「僕のことは気にしなくていい」
「そういうわけにもいかない。薬の経過も見たいしな。で、何か食ったか?」
リーマスは何か言いたげにこちらを見たが、すでにベッドわきに椅子を置いてそこに座っている俺に、何を言っても無駄だと悟ったらしくため息を一つついただけだった。
「食欲がないんだ」
「昨日もそういっていたな。吐き気は?」
「少し」
「そうか」
手を伸ばして、リーマスの額に触れる。
「熱があるな」
「そうかい?」
「ああ」
やっぱり、ヒソクサリがまずかったのだろうか。それとも、トリカブトの分量を間違えたか?
「他に何か変わったところは?手足のしびれとか」
「ないよ」
「本当に?」
「本当だとも」
リーマスの目を見て本当だと納得する。
「ひとまず何か食え。吐いてもいいから」
「でも食べれる気分じゃないんだ」
「ただでさえひょろひょろなんだ。それ以上痩せる気か?」
「大丈夫だよ。いつものことなんだから」
「まさか、俺がセブルスの家に行っている間も何も食ってなかったのか?」
リーマスがごまかすように笑みを浮かべた。それに深くため息をつく。
リーマスは自分の身を顧みなさすぎる。もう少し自分を大切にしてほしいものだ。
俺はここに来る前にキッチンへ行って屋敷しもべに頼んでいたものを杖を振って出現させる。見事に俺が頼んだ通りのものが出来上がっているようだった。
「おかゆだ。日本で病気の時に食うものだ。リゾット、みたいなものかな?」
「おかゆ?」
「とりあえず、食え」
スプーンを手に取り、おかゆを一匙救う。それをリーマスの口元に持っていき、無理やり口の中に突っ込んだ。拒もうとしたのだろうが、それをさせないスピードだっただろう。
リーマスは眉をしかめ、俺を睨むが、そんなのは知ったこっちゃない。
「どうだ?」
「……味がしない」
「だろうな」
「どうせなら甘いものがいいんだけどなあ」
「体調が戻ったらな」
「祐希に作ってほしいね」
「なら、リクエストを考えとけよ」
今までもリーマスの家で炊事洗濯から何から何までリーマスと共にやってきている。もちろん一人でもできるようになっている。その中でリーマスが極度の甘党であることもあって、頻繁にお菓子作りをするのだ。だから俺もお菓子作りの腕があがっている。
学校に来ている間は料理に携わることもないため、久しぶりに厨房を借りるのも悪くないだろう。
おかゆを皿一杯分食べさせる。
しっかり口に収めたリーマスは、疲れたのかベッドに深く身を沈めた。
「そういや、なんでセブルスに授業を頼んだんだ?」
「…適任だと思わないかい?」
「知識に関しては適任だろうな。ただ、セブルスの性格的には不適任だろうな」
「?」
「何の授業をするか聞いたか?」
「いや、セブルスに一任したからね」
「まあ、いいけどな。あいつ、狼人間やるっつってたぞ」
「…そうか…。そういえば、今日はグリフィンドールの授業があったね」
「ああ」
「出なくていいのかい?セブルスなら、減点だってしてくるだろう」
「いいさ。もう宣言はしておいたしな」
「?」
「授業内容が狼人間なら、実物が身近にいるから必要ないって言ってきた」
「まったく…、君は」
「つまり、これは俺にとっての課外授業でもあるんだ。追い出すなんてことするなよ?」
おどけて見せればリーマスは苦笑するにとどめてくれた。
「今日の授業で、ハーマイオニー当たりは気づくかもしれないぞ」
「ああ、彼女はとても聡明な子だからね」
「いいのか?」
「もともと、教職につけたことが奇跡なんだ。いいんだよ」
何もかも諦めた顔で笑うリーマスに、眉をしかめる。
リーマスはでも、と言葉を続ける。
「祐希のことは心配だ。僕との関係も話しているんだろう?」
「当たり前だろ」
「君まで狼人間だと疑われるかもしれない。そうじゃなくても、いい顔はされないだろう」
「まったく、リーマスは心配性だな」
「祐希」
咎めるリーマスの顔色は青白く、やはりつらそうだ。もう一度、今度はちゃんとした体温計を取り出し、リーマスの口に突っ込んだ。しゃべることができなくなったリーマスがにらんでくるがそれを無視する。
赤い水銀がぐんぐんあがっていく。平熱の線を越え、発熱を記す値に達したところでようやく止まった。止まったそれを引き抜く。リーマスは数値を気にしていたが、見せずに熱があることだけ伝える。
「クスリだ。脱狼薬の効果を打ち消さないように作ったから、効果はあまりないだろうが、熱は下がるだろう」
「ありがとう」
「夜は月が出る前に叫びの屋敷に行くことになっている。今回の脱狼薬はどこまで効果を保てるかわかっていないからな。念のためだ。校長にも許可は取ってもらっている」
「叫びの屋敷、か…。懐かしいね」
「悪いな」
「どうして、謝るんだい?」
「俺の作ったものが原因だからな。新しい薬を開発するためとはいえ、実験体にしていることに変わりはない」
「僕の意志でそれを受け入れているんだ。君が気にすることじゃない」
「だが」
「と言っても、君は気にするだろうからね。だからさっき言っていたお菓子で手を打つよ」
「リーマス…」
「祐希、とびっきり甘いのを頼んだよ」
「わかった」
俺は立ち上がり、一度俺も昼食を食べるために部屋を出ようとする。その時リーマスから呼び止められた。
「それと、もし私のこの問題のことで何か言われたらすぐに言うんだよ」
「嫌だね。それを言ったら、リーマスは俺から離れるつもりだろう?」
「祐希。これは君が考えているよりも、ずっと深刻なんだ。君の将来に関わってくる」
怖い顔をするリーマスに、肩をすくめる。
「何度も言ってるだろ?リーマスのそんな小さな問題ぐらい、俺にとってはどうってことないんだって」
「祐希…」
「俺のために離れようなんて思わないでくれ。俺はもう、リーマスを家族だと思っていて、リーマスだから家族でいたいんだ。リーマス自身が俺を邪魔だと思うようにならなければ、離れられると思うなよ」
「……そんな日、一生来ないよ」
「それこそわからないぞ。いつか彼女ができたとき、コブ付きだったら困るだろ?」
「それこそありえないけれど。もしそんな存在が僕にできたとしたら、きちんと説明して受け入れてくれる人じゃないと選ばないよ」
「ならいい。とにかく今は休め。昼飯を食べたらまた来る」
「授業に出ておいで」
「嫌だね。リーマスが心配でおちおち授業に集中なんてできやしない」
「まったく…、君って子は」
「っていうことで、じゃあな」
飛んできそうな小言を扉で跳ねのけ、まだ授業中だろう廊下に飛び出した。とりあえず自分に姿くらましの術だけをかけ、ひとまずセブルスの私室へ向かう。そこに脱狼薬に関するあれやこれやがあるからだ。リーマスを実際に診てわかったことなどをまとめるために向かった。
セブルス自身は今の時間は初めてのDADAの教鞭を取っていることだろう。きっと彼自身いきいきしているに違いない。そしてその高揚感はきっとグリフィンドールの点を大幅に削っていくことだろう。
その減点に大いにかかわっていることは百も承知だが、足はやはりセブルスの私室へ向いたままだ。
まあ、今更行ったところで、遅刻で減点にさせられるだけなのだから、いかないほうがいい。
セブルスの私室へ勝手に侵入し、少しだけ脱狼薬についてまとめる。
そうこうしているうちにチャイムがなり、廊下が騒がしくなったのを聞き、ようやくセブルスの私室から出る。鉢合わせしたら、それはそれで面倒なことを押し付けられるのは目に見えているからだ。
昼食をとるために大広間へ向かう生徒の流れに身を任せる。
大広間へつくころには、DADA帰りのグリフィンドール生の後ろ姿が見えてきた。その中にものすごい形相をしたロンとハリー、ハーマイオニーがいた。ロンは何かを叫ぶようにして吐き捨てている。
「ブラックがスネイプの研究室に隠れてくれてたらなあ。な?そうしたらスネイプを始末しといてくれたかもしれないよ!」
「よ。何をそんなに怒ってるんだ?」
「「「祐希!!!」」」
声をそろえた3人に、再び挨拶をする。
「君、今日は朝からいなかったけど、どこにいってたんだい?」
「おかげで、スネイプがカンカンだよ。そのせいでグリフィンドールから5点も引かれたんだ」
「まったく、君ってやつは運がいいよな。今日はルーピンが休みで、代わりにスネイプの奴が授業をしたんだぜ!しかも、狼男!ハーマイオニーがいくら、次の授業はヒンキーバンクだって言っても聞きやしないんだ!」
「そうか。セブルスは本当に狼男をやったんだな」
「祐希、知ってたの!?今日、スネイプが授業をするって!」
「聞いたのは昨日の夜だけどな」
「教えてくれたらよかったじゃないか。そうしたら、僕だって別のことをするのに!こんなことなら、ディメンターと会話してたほうがよっぽど有意義だ」
ロンが憤慨するのは、聞くとセブルスに反論して罰則を食らったらしい。まったく、あいつも随分はしゃいだものだな。
あこがれていたDADAの授業ができるってんでハイテンションのまま授業に臨んだんじゃないか?
心を浮き立たせて嬉々として授業をするセブルスを思い浮かべ、ぶるりと背筋に悪寒が走る。うん、怖い想像はしないでおこう。むしろ、吹き出して抱腹絶倒しそうだ。
「まあまあ。いつかはやる授業なんだから、ちょっと早まったとでも思っておけよ」
「そうだ。祐希。課題が出たわよ。人狼の見分け方と殺し方について、羊皮紙二巻、月曜の朝までに提出ですって」
顔がひきつった。
「…そう来たか」
「祐希?」
「なんでもない。そうか…。まあ、やらなくてよくなるだろうよ。リーマスには伝えといてやる。セブルスから授業の引き継ぎなんてないだろうしな」
「本当!?僕、あいつの授業なんて聞く気なかったから、ノートのひとつも取ってなかったんだよ!」
それはそれでどうなんだと思わなくもなかったが、そこは仕方がないだろう。
それにしても、見分け方と殺し方、か。
彼の遺恨はかなり深いモノらしい。
大広間でいくつかの食べ物を適当に口の中に放り込み、引き止めるハリーたちには手をひらひらと振ってかわしそうそうにリーマスの私室へと戻ることにした。