孤独な太陽


 マウンドに立つ太陽だ。孤独で、唯一無二で、絶対的なエース。観衆の関心もチームの期待も全て一手にその肩に背負って、その左腕を振り抜き打者を捻じ伏せる。成宮鳴は、初めからそんな男だった。他社と一線を画す、磨き抜かれた才能と高く聳え立つプライド。それを裏付けるだけの血の滲む努力。
 だから紆余曲折の末、私達の代の野球部引退を機に成宮鳴と付き合うことになったとき、私はひどく躊躇した。一歳の年の差や、野球部内の恋愛などさしたる問題ではない。ただ彼から注がれる愛は私には過分で苛烈で、与えられる幸せと同じくらい苦しくもあった。成宮鳴という男は、隣に立つにはあまりにも眩しすぎる。鳴のことは好きだ。しかし鳴の愛にどっぷりと足先まで身を浸してしまったら、太陽に近づきすぎて蝋翼が溶け落ち死んでしまったイカロスのように、いつか私も取り返しのつかない落魄を遂げるのではないかと時折、空恐ろしくなる。
「名前先輩は春から稲城大学かー」
「うん。私も野球漬けだったけど推薦取れてよかった」
 どこまでも裏方に徹するマネージャーは、表舞台に立つ選手と違って表立った功績が残らない。それは控えの選手も同じことだ。勉強との両立はひと苦労だったけれど、この三年間の私の野球部への献身は元が取れてお釣りがくるほどだ。稲実の選手達には甲子園の景色と、実現に文字通りあと一歩まで迫った全国制覇の夢を見せてもらえた。悔しさはあっても、後悔はないのではないかと思う。
「大学の野球部ではマネージャーやらないでよね」
「特にやるつもりなかったけど……どうして?」
「はあ!? オレ以外のマネージャーやるとかありえないでしょ!」
「別に今までだって鳴だけのマネージャーだったわけじゃないけど」
 食ってかかる鳴を、適当にいなす。私達の関係がチームメイトから恋人へと変わっても、どうしてもエースとマネージャーめいた態度が抜けない。鳴はそんな私を見て、不満げにふん、と腕を組んだ。Tシャツの袖から、隆起が影を落とす筋肉が覗く。童顔とは不釣り合いな鍛え抜かれた腕が、彼が誰であるかを物語っている。
 稲城大学には稲実の同期の何人かも進学するし、彼らは野球部に所属する。でも私は、野球に青春を捧げるのは高校までと決めていた。正直この先どんなエースに出会っても鳴以上に胸を高鳴らせることはないように思えて、そんな中途半端な気持ちでマネージャーをやるのは選手に失礼だという気持ちからだ。勿論そんなことは鳴本人には言ってやらない。
「じゃあさ、お料理教室に通いなよ。先輩のおにぎりとカレーの腕前は中々だけど、俺もさすがに毎日は飽きちゃうし」
「……鳴?」
「オレがプロに入って〜三年で独身寮出たらすぐ結婚して一緒に住んでさ。一歳差ってウザかったけど、先輩の大学卒業のタイミングと被ってちょうどいいね」
「鳴ってば! 一体さっきから何の話?」
「未来予想図。あ。でもオレの場合予想というよりは予定?的な?」
 著名なラブソングのタイトルを口にする鳴に、「はい?」と思わず怪訝な目を向ける。鳴は普段あまり将来の話をしない。甲子園という明確な目標と絶対的エースという明晰なビジョンの元で生きる鳴には夢物語など縁のない話だと思っていた、のだが。何にしろ、他人を勝手に組み入れた予定を立てる辺りが成宮鳴らしい。
「勝手に決めないでよ」
「俺が勝手に決めないと、先輩はオレの人生から勝手にフェードアウトしてくつもりだったでしょ。だから予約しとくの」
 思わず瞬きする。たしかに私は鳴との永遠を夢見られるほど幸せな頭をしていなかった。成宮鳴の実力は既に日本全国の認めるところであり、近い将来きっと世界は鳴を見つけるだろう。このまま鳴は日本のプロ野球に行って、メジャーリーガーとしてアメリカの地を踏む日も来るかもしれない。希望的感想ではなく、可能性として十分あり得るのだ。私は鳴の愛を信じきれない一方で、彼への信頼は盲目的な信仰ですらあった。いつしか私は鳴を通して、世界を見ていた。
「鳴はどこにでも行けるし、誰だって選べるし、何にだってなれる。……私を選び続ける理由なんてないんだよ」
 そう言うと、鳴は目をまん丸にした。驚いた猫のようだ。
「たしかに俺はNo.1サウスポーだしプロもメジャーも夢じゃないけどさ、後半二つはさすがに過大評価じゃない?先輩ってホント俺のこと大好きだよね」
 そうだろうか。不遜な鳴がそう呆れるのだから、私の鳴への入れ込みようは相当なのかもしれない。でも考えるほど、それが客観的な評価に思えてわからなかった。
 脳裏に焼き付いて離れない景色がある。ぎらぎらと熱を持った直射日光が容赦なく肌を焼く甲子園球場で、抜けるような青空に浮かぶうろこ雲とピッチャーズプレートの白さがあまりにも眩しくて、私は泣きそうになった。燦々と降り注ぐ太陽に汗に濡れた鳴の金髪がきらきらと輝いて、吠える姿は黄金の獅子のようだ。太陽もスタンドも味方につけて、成宮鳴は圧倒的な存在感を纏ってマウンドに立っていた。いつだかそれを話すと、鳴の女房役である原田にまで「夢見がちだな」と呆れられたのを思い出す。私はどうしようもなく成宮鳴に魅了されていて、だからこそ身を焦がしている。
「オレをちやほやしてくれる女の子はたくさんいるけど、名前先輩ほどオレにメロメロな女子はいないからね。そういうところを好きになったんだけど」
「よくわからないよ。私には鳴に恋しない女の子の気持ちが分からないから」
「もーッ、そういうさー! 殺し文句をを恥ずかしげもなく言うから! ズルイよ!」
 なぜか一人で悶えている鳴に白けた目を向けていると、鳴は気を取り直すようにコホンとわざとらしい咳をした。鳴の青い目が感情を消して、すぅと細められる。エースの瞳だ。普段の騒々しさや愛嬌は存在を潜め凪いだ海のように静かで、しかしその心には爪を隠した猛獣を飼い慣らしている。私はその瞳に見つめられると、催眠術にかかったかのように声が出せなかった。
「名前先輩が何を不安がってるかは知らないけどさ、……まあ大体予想はつくんだけど。ぜんぶ杞憂だから!俺は先輩が好きだし、俺がどこへ行こうと好きな女一人を連れて行けるくらいの器はあるし、周りの目なんて知るかよ。釣り合うとか釣り合わないとか、どうせそんなことだろうけど。下らないね、愛の前では」
「え」
「……まあ信じるか信じないかは、先輩次第だけどさ」
 目線をやや下として急に声が萎んで、まるでどこかのやりすぎた都市伝説のレポーターのような言葉を付け足す鳴に、私は小さく笑う。
 鳴は常に自信が漲っているようで恋愛では必ずしもそうではないことを、付き合い始めてからはじめて知った。不特定多数からの称賛の声に困ることはない鳴だけれど、そんな彼でも私ひとりの承認が欲しいと感じることがあるなんて。嘘みたいで夢みたいで、奇跡のようだ。同時にそんな鳴がとてもいじらしくて愛しくて、私は胸がぎゅっとした。
「でも信じて欲しいとは思ってるよ。信じてもらえるように、愛してるつもりだよ」
 私の手を、鳴の手がとる。何度もマメができて潰れ、それでもバットを振りボールを握り、ざらざらと硬くなった野球人の手だ。触れた体温が高くて、冷えた私の指先まで熱が伝わる。
 まるでヒーローに憧れる少女のような気持ちで、私はいつもマウンド上の成宮鳴を見つめていた。二年越しに晴れて成宮鳴の恋人の座を手に入れても、どこか夢心地で現実感が伴わなかった。鳴はちゃんと私の側に居て私を見ていてくれたのだと、この時やっと気づいた。
「鳴が熱すぎて、火傷しそう」
「大袈裟だなあ」
 「しないよ。同じ人間なんだから」とニシシッ笑う鳴の笑顔が眩しくて、思わず目を細める。鳴と居たら、いつか私は彼の熱に焼け死んでしまうのではないかと思っていた。でもこの人には、周りの人まで照らし出してしまう生来の輝きがある。人の命を容赦なく奪う熾烈な光ではなく、温かく包む光だ。だから私はこれからも、この人の側で生きていけそうだ。
「今キスするから!」
「宣言するんだ」
 鳴が顔を近づけてきて、私はゆっくりと目蓋を下ろす。目を閉じたくらいでは鳴の眩さは消えない。目蓋の裏で幾筋もの光が走って、あの泣けるほどに青い夏空が広がっていた。
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