「腐れ神…?」
「一体何処のどいつだ」

「そ、それがなんとも…!我々もあのような大きさの御腐れ様など初めて見たものですから……!!」

私を抱きしめていた久々知様の手の力が強まった。少し険しい顔をされておられるが、"オクサレサマ"とは一体何者なのか。
蛙が許可もなくこの大部屋の中に飛び込んでくるだなんて、絶対にありえない。声をかけて入っていいと言われてから入ることができるのが、この部屋に泊まる神様達の偉さ。ってことは、まじで緊急事態ってことですが。ぐへぇ、今度は一体何が起こるのやら。


「ハチ、」
「………ダメだ、今日は風が強いから何も臭わねぇ」
「チッ、風向きは真逆か…」

窓をお開けになられ、竹谷様は上半身を外に乗り出してふんふんと空気を嗅ぐように鼻を動かした。だが風はどうやら逆に吹いているらしく、さすがの竹谷様の鼻でもとらえることはできなかった。

「それに、近いうち一雨来そうだ」
「そりゃやっかいなのだ。解った。何かあったらまた連絡をくれ。お前は下がれ」

「は、はい、大変失礼いたしました!」

久々知様がしっしっと手を振るように蛙を追い出すと、ピシャリと障子は閉められた。


「あ、あの、久々知様、」
「んー?」
「オクサレサマって、なんですか…?」

酒にガンガンする頭を必死で動かし、私はやっと疑問を投げかけることが出来た。


「んー、早い話、人間のエゴで出来上がった恨みの塊だ」
「…???」

「見てみりゃ解る。来い夏子、」
「は、はい」

竹谷様にちょいちょいと手招きをされ、窓淵に座り外を見る竹谷様に近寄った。あそこだ、と外を指差す先には、大きな黒い塊が。




「……!」





まるで、ヘドロのようなものが動いている。ゆっくりとゆっくりと、この湯屋に近寄ってきている。なんだあれ。ばばば化け物だ。



「な、あ、なんですかあれ…!」
「あれが御腐れ神だよ。多分、元はもっと別の体だ。人型か獣かは解んねぇけど」

「あそこまでデカいのは見たことがないのだ」
「じゃぁお前の側近じゃさなそうだな」


御腐れ様と呼ばれたその塊は、ゆっくり湯屋の橋を渡り始めた。その前方には蛙達が提灯を揺らしながら、必死に「こっちへ来るな」とストップさせているように見える。
………迎え入れないのかな。あんなに大変なことになっているのに…。

此処で迎え入れないんじゃ…ほかのところになんて………。



「久々知様、竹谷様!失礼します!代わりの蛞蝓を寄越しますから、お酒を続けていてください!!」

「おい夏子!何処へいく!」
「席を外すことお許しください!私、あの神様のお背中流してきます!!」


勢いよく駆け出し、障子を思いっきり横へを引き外へ飛び出した。廊下へ出て吹き抜けから下を見ると、蛙や蛞蝓が必死にお客様である神様を部屋へと非難させていた。御腐れ様がくると言い風呂場から追い出していた。


「蛙お願い下へ連れてって!」
「やめろ夏子!下は御腐れ様が来る!人間のお前なんかに何ができる!!」

「だってあんたたち何もしないんでしょ!?追い返すだけなんでしょ!?だったら私があの方を綺麗にする!!」

「……っ!エレベーターはお客様を部屋へ運ぶために使っている!!お前を乗せることなんかできない!!」
「使えねぇな蛙畜生!!今度丸焼きにしてやる!!」


肩パンチを食らわせ私は身をひるがえし階段を駆け下りた。蛞蝓たちが階段を駆け上がりながら私の名を呼び引き止めるが、私はそれを聞かぬふりをして階段をただただ駆け下りた。
顔見知りの神様も行くなと腕を引きぶんぶんと首をふるのだが、その手をそっとほどいて、私はただ、あの神様の許へ向かった。

嗚呼、なんてことだ。原因は解らないけど、さっき久々知様はあのようなお姿になってしまったのは人間のせいだと言った。まただ。また人間のせいで迷惑をかけてしまってる。私のせいじゃないのに、此処にいる限りは人間関係は全て私がなんとかしなければ。あの方に少しでも償いをしなければ。きっと、きっともとは久々知様や竹谷様のように美しいお姿だったに違いない。

困ってるなら、助けなきゃ。


「弟役!!」
「夏子!?何をしているお前も非難しろ!!」

「私があの方のお世話する!!私一人でやるから!!だから、弟役たちはどっか行ってて!!」

「何を寝ぼけたことを言ってる!お前ひとりで相手をできるほどのお相手ではないわ!!」
「うるさい!!追い返すぐらいなら私がなんとかする!!早くどっか行け!!」

「………夏子、」
「なんじゃい!」
「相手は手強いぞ」

「……知ってるよ、どんだけ此処で神様に酒ぶっかけられたと思ってんの。それぐらいの覚悟あるよ」


私を気に入らない神様たちや、まだ仲良くなかったときの蛞蝓や蛙から何度酒をかけられたりしたことか。今更泥だらけになることなんて怖いもんか。

懐から紐を取り出し、袖をぐるりと縛り上げた。折られてしまってテープでぐるぐる巻きに補強したタカ丸兄ちゃんからの簪で髪の毛をまとめ上げぐいとそれを差し込んだ。
蛙が階段を駆け上がり、玄関に残った従業員は、私一人になった。

うわ、段々匂いがキツくなってきた。

外で引き取るように願っていた蛙も徐々に入口から入ってきて、階段から上に避難。うおおおついにご対面、デアルカ。

じゅわりと暖簾が汚く汚れ、暖簾はゆっくり横に開かれてた。


「っ!?!?!」


さっきの酒といい、御腐れ様の腐敗臭といい、私の胃は逆流しようとしていた。ぐっと口元を押さえ、それを出させまいと涙目になりながらも耐えた。くそ、竹谷様絶対に許さない。
暖簾をくぐり中に入ってきたのは、私の倍はあるであろう、泥の塊のようなお客様だった。これは、凄い。


「い、いらっしゃいませ!本日お客様のお世話をさせていただきます、夏子と申します!何なりとお申し付けくださいませ!!」

「……」


御腐れ様は、触角のような腕を伸ばし、私へ突き出した。あ、お金か。


「ヒィっ!?」


手を伸ばし、それを受け取る体制にはいると、ベタッ!!と、気持ち悪い泥の塊が手のひらへ落ちた。ひぃいいい金額確認できないまじツラい。もういいや足りなかったら私の給料から天引きしてもらおう!!


「ど、どうぞこちらへ!お背中御流ししますね!!」


冷や汗を何リットルかいてるかわからないが、私はお湯場の奥を手でしめし、大きな泥の塊のような御腐れ様をご案内した。

お湯場の入口にある番台には、今は誰もいない。私はそこによじ登り、適当にお札を盗もうと試みた。くそー!届かない!!


「…く〜〜っ!……っ、え、」

「……」

「…!あ、ありがとうございます!」


御腐れ様は、私が何をしようか理解してくれたのか、足の下に手を入れ、ぐいと私を持ち上げた。びっくりした、持ち上げられるだなんて思ってなかった。ひやりとした泥の感触が足の指の間に侵入して背筋がぞわぞわとしまくったのだが、無事にお札を手に入れることが出来た。

「あ、あの、もう降ろしていただいても…」

「…」


御腐れ様は、私を下すこともなくそのまま、大湯の方へと進んでいった。
残念なことに久々知様と竹谷様が入った後の残り湯だ。少し冷めてしまっている。御腐れ様は私を大湯の入口に降ろすと、のそのそと湯釜に上った。


そして



「ひょぇぇえええーーーーーっっ!!!」



物凄い勢いで、湯釜に飛び込み、津波が起きた。

津波と言っても湯が出たのではなく、もうほとんどが御腐れ様の体の泥。きっともう湯釜は御腐れ様の泥でいっぱい。湯なんて残っていないはずだ。


「……」

「あ、ちょ、ちょっと待ってくださいね!」


ペタリと湯釜に手を付け、こちらをじっと見つめていた。湯が足りないと訴えかけているーー!!
ベタベタネチャネチャと凄い音を立てながら、私は泥をかきわけお札を飛ばすため壁へ歩み続けた。うおおお何これ進まない。

やっと壁にたどり着き、ドンッと叩くと、壁は開きベルトに札をひっかけそれを上へと飛ばした。


くるりと体制を戻すと、壁から筒が外れ、御腐れ様の頭上に降りてきた。


「お客様、このままお湯出してもいいですか!?」


湯釜を上りながらそう問うと、ゆっくりだが確実に御腐れ様は頷かれた。

ほっと背伸びをして紐に手を伸ばし紐を引くと、どどどどとお湯が流れた。やばいこれ最高級にいい薬湯だ。これヤバいやつや。どうしようこんな札盗んでたのか。え、どうしよう本当ン私の給料無くなっちゃう。
ひいいいと凄い妄想を進めていると、


大湯の入口から












「おい!滝夜叉丸!無事か!!!」











見知らぬ神様が。


「???」

「お前、蛞蝓か!?」

「あ、いえ、その、」

「おいそいつをなんとかしろ!!」
「ななななんとかと言われましても……ん?」


見知らぬ神様は、真っ赤で綺麗な目をされている方だった。何とかしろと言われなんとかしようととりあえず手を御腐れ様の体へ手を伸ばす。すると、コツンと何かに手が当たった。

………なにこれ、トゲ?


「夏子無事か!」
「竹谷様!」

「竹谷様!?」

「田村!こいつ滝夜叉丸なのか!?」
「く、久々知様まで!?何故このような場所へ…!?」

「答えろ何があった!!」


犬神様の姿となって吹き抜けから飛び降りてきた竹谷様は湯釜にの淵に立つ私の側へ降り立った。久々知様はさすが龍だと言うべきか、私の横でふわふわと浮遊していた。顔を上げたときに見えたのだが、吹き抜けから蛞蝓や蛙、お客様達が興味津々なのか心配なのか、凄い数が下を向いてこっちを見ていた。うわなんでこんな注目の的になってんの。


「喜八郎に御神体である数珠を盗まれたんです!」
「何!?」

「くだらないことが原因だったのですが喜八郎が本気で怒ったらしくて…!あれがなければ私と滝夜叉丸はこれ以上、生気を保つことは出来ません!!」
「その数珠は何処へやったのだ?」

「この湯屋にいる人間に渡してしまったと言って…!こんなところに人間なんているんですか!?」





赤目の神様がそういうと、久々知様と竹谷様が、ギュルンと勢いよく私の目を見た。

はい、私が人間です。

退 

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