ウツボなもんで
フロイドは、オクタヴィネル寮の談話室のちょっとお高そうな革張りのソファーにどかりと腰掛け、長い足を投げ出していた
意味もなく天井付近のクラゲを模したライトを睨みつけたり、地震が起きそうな勢いで貧乏ゆすりをする
一言で言うなら、彼は機嫌が悪い
人が折角、乗り気でないのに授業に出てやったというのに、昼寝しようとしたら何度も当てられて寝られねぇし、ちゃんと答えてやったのに態度が生意気だと追加課題を出された
誰がやるかと放りだそうとしたが、寮長であるアズールに報告され、めちゃんこ怒られたし絶対に課題をやれと口を酸っぱくして言われた
オクタヴィネルの評価を下げることを、アズールは物凄く嫌う
こういう時片割れはおやおやと言うだけで、助けてなんてくれやしないのだ
時折唸ったり苛立たしげに長い足が床を蹴る
その度、近くにいた寮生達はビクリと肩を跳ねさせ、刺激しないよう海草に隠れる小魚のように談話室から足早に去っていく
機嫌の悪いフロイドは存在自体が地雷なのだ。血を撒き散らした海域に集まった興奮中のサメと同じくらい怖い
いつまでもここでイライラしていても課題は進まないし、この姿を見ればアズールの小言もまた追加される
「チッ」
鋭い舌打ちを発し、全くやる気は出ないが部屋へ戻るかと背もたれから背中を浮かせた時、バタバタと騒がしい足音が聞こえてきた
気の立っているフロイドにはかなり神経を逆撫でイラつかせる雑音だ
発散がてら絞めよ。とそちらに視線を向けるとほぼ同時に、雑音の発生源がフロイドの胸へと飛び込んできた
「あ゛ぁ゛?…小エビ?」
「ブロ゛イ゛ドぜん゛ばい゛」
自分に懐く小エビが、何故かギャンギャン泣きながら縋り付いてくる
フロイドは頭に響く泣き声に顔を顰めつつ
「小エビちゃん、オレ今機嫌わりぃの。悪いけど、後にしてくんね?」
と小エビの手を優しく解く
監督生の突然の登場に驚いていたたまたま近くにいたオクタヴィネル寮生が、あんぐりと口を開ける
天上天下唯我独尊不機嫌MAXなフロイド・リーチが問答無用で絞めるでもぶん投げるでも半殺しにするでもなく、物凄く譲歩してる
あれ本物?多分ホンモノ…。操られてる?いや、あれジェイドじゃね?ジェイドでもあんな優しさねぇよとコソコソ小魚達が言い合っている
フロイドがギュルルと威嚇音を鳴らしつつギロリと一睨みすれば、あっという間に小魚は黙った
ん?そいや静かだなぁと小エビに視線を戻す
小エビはフロイドの膝の上でポカンと大口を開けて間抜け面を晒していた
目が合うと、じわじわと涙を溜め、口を歪める
あ、やべ。と慌てて耳を塞ぐ。その瞬間、小エビは大爆発した
「小エビにはそんなの関係ない!!小エビが泣いてんの!!フロイドの小エビが泣いてんの!!!フロイドはちゅっちゅペロペロして慰めてくれなきゃダメなの!!!」
超音波でも出てるんじゃないかという勢いで、プリスクールを卒業したら許されないレベルのギャン泣きだった。
「子分ー!!」
「あー!いたぁ!!」
「すみません、リーチ先輩!!」
ギャンギャンフロイドに縋り付き泣き喚く監督生に、駆け付けたグリムとエースとデュースが顔を青くしたり赤くしたりしながら寄ってくる
「子分、やっと追い付いたんだゾ!!」
「すんません、コイツ、嫌がらせに一切我慢ができない薬品ぶっかけられちゃって!」
「薬品を被った瞬間に「フロイド先輩のとこ行く」って全力で走り出したんです!!」
「勝手に他寮に入るのはマズいと思ったんだけど、めっちゃ足早くって止めれませんでした」
「あーはいはい。状況はわかった」
順に説明するアザラシとカニとサバに、フロイドは顔を顰めたまま面倒臭そうに小エビの後頭部を撫でる
「そいつ絞めるからあとで名前教えて。」
「はい!わかりました!」
「ほら、帰るぞ監督生」
「ん゛ー!!」
「子分、離れるんだゾ!」
「ん゛ん゛ー!!!」
デュースに腕を引かれると、監督生は小さい子がぬいぐるみを取られまいとするようにフロイドの首に抱きつき、威嚇の声をもらす
顔を青くして必死になる1年共に、フロイドはひらひらと手を振って
「あー、いいわ。後で落ち着いたら返すから」
と言う。食い下がろうとしたアザラシカニサバコンビに、フロイドは面倒臭そうにする
「小エビちゃん、こうなるとテコでも動かねぇから。オレの首締まってるし。」
あとお前らいるの見られるとオレがアズールにキレられるし、さっさと帰って。
「ほら、小エビちゃん。お兄ちゃん達とアザラシちゃんにバイバイはぁ?」
「ばい゛ばい゛」
完璧に幼児扱いである。そしてそこは素直に返事した監督生に、エースは思わず笑う
「あー、じゃあ頼んます。またな、監督生」
「すみません、よろしくお願いします!」
「晩飯までには戻るんだゾ」
軽く片手を上げたエースと、深々と頭を下げたデュース、呆れたように尾を揺らすグリムの背中にひらひらと手を振る
彼らがきちんと鏡を潜り、寮から出たのを見届けたあと、フロイドはよっこらせと立ち上がる
ぎゅーっとしがみついてくる小エビのお尻を支え、目指すは自室である
「小エビちゃんのウツボはオレだもんねぇ」
そういや、機嫌悪いのどっか行ったなぁ。とフロイドは鼻歌を歌いつつ足を動かした
ベッドに腰掛けたフロイドは、自身の後頭部を掻きつつ
「で、何があったの?小エビちゃん」
と尋ねてやる
ぐすんぐすん鼻を啜っている小エビの背中をトントン叩いてやりつつ、膝に乗せてゆらゆら揺らす
監督生は涙で潤んだ瞳でフロイドを見上げる
「せんぱい…」
「オレは小エビのウツボだから、ちゅっちゅペロペロしなきゃいけないんでしょ?」
「ん、」
フロイドはその内腫れてしまうであろう瞼に唇を押し当てる。塩っぱい海の味がする。
「あのね、ノーマジのクセにとかね、さっさと帰れとかね、言われたの」
小エビは魔法薬の効果のせいなのか、少し幼児退行しているらしい
舌っ足らずにぽろぽろと涙を零しながら喋る
ちなみにノーマジとは主に魔法使いが魔法が使えない人間に対して使う差別的な呼称である。ノーマジックの略だ。
さらに補足すると、ノーマジ差別は魔法使いと非魔法使いによる大規模な戦争の原因になったこともある
数が少ないが強力な魔法を有する魔法使いと、化学兵器と数の力で対抗する非魔法使いの戦争は泥沼化し、多くの犠牲者を出した
以降、この手の差別用語は公共の場でぽろりと漏らせばかなり強く罰せられる
学生であっても、この発言ひとつで停学に出来るレベル
あとで証拠掴んでアズールにチクってやろ。とフロイドは心のメモ帳にしっかりと書き記しておく
「小エビがね、努力してもどうにも出来ないこと、言ってくるの」
フロイドは小エビの目を見つめて、うん、うんとただただ聞いてやる
「小エビだって魔法使いたい。帰れるなら、お家帰りたいの」
「そうだね」
「小エビがどうにも出来ないこと、馬鹿にするの。みんな嫌い。小エビだって頑張ってるのに。みんな嫌い!!」
「んー、よしよし。小エビのこと虐めたやつは、またあとでオレがギュッと絞めてきてあげるからね。」
「小エビを褒め゛で」
「ふっふふ、ブッサイク。…可愛いねぇ、頑張ってるんだもんねぇ、小エビちゃん。命って感じ」
「ん」
「可愛いねぇ、頑張り屋さんの小エビちゃん。ちゃんとオレのとこに来てえらいねぇ」
実は言うと、小エビがフロイドの元へ泣きに来るのは初めてではない
普段はフロイドの機嫌を上手いこととってくれる監督生だが、自分の機嫌が取れなくなるとフロイドの所へ来るのだ
なぜならフロイドの所に居れば、弱っていても泣いていても誰もちょっかいをかけられないから。
煩わしいものから守ってくれる。
そして、フロイドはなんだかんだで自分のことを害さないと知っている。
信頼関係というよりは、共生関係。なんせ、ウツボと小エビだもんで
魔法薬をぶっかけられた瞬間、小エビの本能は「あ、まずい。フロイド先輩のとこ行かなきゃ」と動き出したのだ
まぁフロイドもそんだけ頼られりゃ満更でもないもんで
面倒臭さもあるし、鬱陶しさもあるけど、それよりちょっぴり愛しさが勝っている
「オレの小エビちゃん。ほんと飽きないねぇ」
フロイドは本人が言っていたようにちゅっちゅっと額やら瞼に唇を押し当て、愛でてやる
涙は先程より止まりつつあり、目を細めて嬉しそうに唇を受け入れる様は愛玩動物のようだ
涙のせいか、どこもかしこも塩っぱい
それがなんだか可愛らしく、フロイドはペロリと頬を舐める
「んぎゃ!」
「ふっふふ、小エビちゃんがちゅっちゅペロペロしろっつったんじゃん」
「ペロペロは言葉の綾」
「ちゅっちゅはいるんだ」
「ちゅっちゅはいる。」
「オレら付き合ってねぇの、知ってた?」
「口じゃないからセーフなの」
「じゃあ、お付き合いしたくなったら口にちゅーするね」
「ん 」
「あ、いいんだ」
すっかりご機嫌になったらしい小エビは、フロイドの腕の中、ゆらゆら揺られてうつらうつら眠りに落ちそうになっている
「おやすみ、小エビちゃん。オレがついててあげるからね」
「ん、おやすみ」
プリスクール生もびっくりなギャン泣きを晒していたとは思えない程の穏やかな寝息を立て始めた小エビを、フロイドはベッド下ろすでもなくゆらゆら揺らし続ける
「いい夢をね、小エビちゃん」
愛情に満ちた瞳が細められる。
しかしそれは恋愛感情などではなくて、もう少し慈愛に近いのだ
☆☆☆
後日、ちゃんと御礼参りに行きました
「オレの小エビちゃんに酷いこと言ったんだってぇ?ねぇ、小エビちゃん、なんて言われたんだっけ?」
「ノーマジのくせにって言ったんです!!」
「うわっ、サイテー!!差別用語だよぉ?そんなこと小エビちゃんに言うなんてさぁ、お前、何されても文句言えないよなぁ…?」
☆☆☆
「お前すげぇよなぁ。よりにもよってフロイド先輩に泣きつくんだもん」
「正直、お前がいつ絞められるかとヒヤヒヤした」
エースとデュースがそう言うと、グリムが可愛らしい青い目を半分まぶたに隠して
「こいつ、何かあるとすぐフロイドのとこ行くんだゾ。正気じゃねぇ」
と尾を振る
「やだなぁ、ウツボはさ、小エビのことは食べないんだよ。」
「それは本物のウツボと小エビの話だろ?」
デュースが首を傾げる。エースは止めだ止めだとでも言うように手を顔の前で降っている
「そうだけど、でもフロイド先輩は小エビに酷いことしないもん」
監督生は自信満々に笑う
「絶対にね」
笑い方がフロイドに似てきたなぁと、グリムは子分の目尻を見てぼんやりと思った
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