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こぽぽぽと泡が昇っていく音がする。水族館で聞いた音に似てるな、なんてぼんやり考える。
しかし水族館特有の海水の匂いはせず、嗅ぎ慣れない薬品やハーブの香りと、妙にフワフワした暖かな感触
薄らと目を開ける。乱雑に積まれた本と、アルコールランプのようなもの(アルコールではなく赤い鉱石が燃えているようだ)で熱せられたフラスコが目に入る。
フラスコの中で沸騰している黒色の液体が音の正体らしい。先程よりもポコポコ激しい泡の音…もしかして、あれ、コーヒー?
軽く体を起こすと、肩からずり落ちるどこか見慣れた白と黒の毛皮のコート
どうやら、ソファーに寝かされていたようだ
「起きたか、子犬。気分はどうだ?」
カップにフラスコで熱した液体をを移して差し出され、監督生はぱちぱちと瞬きする。
あ、やっぱりコーヒーだ。いい匂い
「ブラックは飲めるか?砂糖とミルクは?」
「そう、ですね。入れて欲しいです」
クルーウェルが鞭をついっと振ってやると、シュガーポットとミルクポットがカップの上へと移動した。砂糖とミルクが勝手にカップの中で混じり合う。
それと同時に、監督生の身体に掛けられていたふわふわの毛皮のコートがクルーウェルの腰掛ける革張りのチェアの後ろへと飛んで行った
汚されると嫌なんだろうなぁとか、魔法って便利だなぁとか監督生は思いつつ、コート掛けへとお行儀よく収まる白黒コートを眺める
名残惜しそうにコートから目線を外して
「…クルーウェル先生。俺、…何が…」
と担任に尋ねる。担任は形のいい眉を顰めて、ブランドロゴの描かれたカップに注いだブラックコーヒーに口をつける
「覚えてないのか?急に過呼吸を起こして倒れたんだ。生憎保健医はマジフトではしゃぎ過ぎた仔犬の躾に駆り出されていて手が離せなくてな。とりあえずお前は休ませればいいとの事で、俺の目の届きやすいここに運んだ」
ちなみに、ここは俺の部屋みたいなもんだ。と軽く肩を竦めつつ、お利口に待っている監督生にカフェオレを手渡してやる
素直にお礼を言って両手で受け取る様子をみて、クルーウェルは微笑んだ。ひねくれてない可愛い仔犬だ。
「…部屋、みたいなもん?」
「正式には魔法薬学の準備室だが、ほぼ俺の自室だ」
そんな勝手な…と軽く笑いつつ、カフェオレに口をつける。
途端に舌の上に広がるお上品な香りに子犬が目を丸くすると、クルーウェルは口の端を吊り上げるようにして微笑んだ
「美味しい…絶対高いやつだ…」
「専門店で豆を買って自分で挽いている。」
「わぁ…こだわり強そう…」
ちびちびとカフェオレを味わう姿が、どうにも産まれたてよちよちのパピーに見える
誰が見ている訳でもないが、緩みがちな頬を何となく咳払いをして誤魔化してから、クルーウェルは真面目な顔を作る
「それでだ、仔犬」
「あい」
「過呼吸を起こした理由について尋ねても?」
ちょっぴり圧を感じるイケメンの笑顔に、監督生は縮こまる
「あ、あー…」
「担任として、教師として、お前の体調について把握する必要がある。」
特にこの仔犬はオンボロ寮という特殊な環境に身を置いており、自寮の寮長や同級生達に頼ることも難しいのだ。
訳あって家族に会うことすら出来ない。我々大人が目をかけてやらねばならない
監督生はしばらく迷って視線をうろうろとさ迷わせるが、担任の真剣な顔に気圧される
曖昧に誤魔化すようにふにゃりと笑って、カップに口をつける
「あの、その、実は」
かくかくしかじかと自身の体質にって説明した
「Bad Boy!!!!!」
「ひっ」
監督生は小動物のように身を丸めて怯える
それもそのはず、怒り心頭のクルーウェルからは無意識にかなりキツめのGlareが放たれていたのだから
自身の健康を脅かし、場合によっては死にすら至る体質について、一切黙っていた駄犬に対して腹を立てるなという方が難しい
監督生は小刻みに震えながら、ソファーの上から落ちるように床へと降りる。
誰に指示されるでもなくKneelの姿勢を取り
「ご、ごめんなさ…ゆる、ゆるして…」
と、はぁはぁと呼吸を荒らげながら、涙の膜の張った瞳で媚びるようにクルーウェルを見上げる
Glareを放つDomに対し、服従を示すことで許しを乞うているのだ
クルーウェルは初めて粗相をして叱られた仔犬のようになってしまった生徒にハッとして、心を落ち着けるように深呼吸する
今しがた彼の厄介な体質について聞いたばかりだ。過呼吸を起こした原因であるGlareのことも聞いた。
Subとしての体質を持つ彼らに、このGlareとやらはかなりの恐怖と負担を与えるものらしい
それこそ、当てられ続ければ気を失うほどに
「…はぁ。仔犬、Come」
クルーウェルは出来るだけ穏やかな声を心掛け、怯える仔犬に手を差し伸べる
しかし監督生は怯えきっており、その手にビクリと肩を震わせて身を縮める。
まるで手をあげられると勘違いした仔犬のような仕草に、クルーウェルはほんの少し眉を下げる
鞭を持っていたり生徒を犬扱いするため勘違いされがちだが、彼は案外飼い犬には優しい。躾のためとはいえ、暴力は好まないタイプである
「ごめ、ごめんなさい…すみません、ごめんなさい…」
と床にへたりこんで懸命に謝罪する姿がちょっぴり気の毒で、普段有るか疑われている良心が少し痛む
「仔犬、聞こえなかったか?Comeだ」
「………。」
もう一度、そう穏やかな声で招いてやれば、恐る恐る這って近付いてきて、クルーウェルの足元に座り込む
自分の足元で、息を荒らげ目を潤ませた仔犬がこちらを窺うように見上げている。耳をぺたりと倒し、控えめに尾を振る幻覚が見える
これは中々クるものがあるな。とクルーウェルは教師のプライドにかけて全く表情には出さずに思った
イケナイコトをしている気分だ。
「Goodboy。よく出来たな仔犬」
「あ、あ…」
少し骨張ったささくれ1つない綺麗にケアされたすべすべの指先が、監督生の髪をサラサラと梳いていく
監督生は褒められたことと恋人にするような穏やかな手つきにうっとりと目を細めて、クルーウェルの膝へと頬を擦り寄せる
「体質について黙っていたことは頂けないが、今は怒ってはいない。次からはこういうことは真っ先に俺に言うように。出来るな、仔犬」
「はい…気をつけます」
「よし。いい子だ」
「わっ!」
ひょいと仔犬を抱えあげ、膝の上へと招いてやる。そのまま子供にするように向かい合わせに座らせ、抱え込んでから後頭部を撫でる
監督生は何が起きたか分からず、カチコチに肩を強ばらせつつギクシャクとクルーウェルの背中に手を回した
しかしその緊張は長くは続かず、Glareから開放された安堵感と大人の低音ボイス、そして愛犬で磨かれた可愛がりの手腕に、監督生はあっという間に蕩けた
油断しきって力を抜き、くったりと甘えてくる仔犬がとても可愛らしく、クルーウェルの機嫌は急上昇する。
小生意気な駄犬をしつけるのも良いが、たまにはこういう素直な仔犬を愛でるのもいい。
しばらく監督生のさらさらの毛の感触を堪能する。たまに抱えた生徒から、うっとりとした吐息が漏れた
クルーウェルはほんのちょっぴりの悪戯心で背中から首筋を、爪の先ですっと撫であげる。すると
「んあっ」
と一丁前に甘い声を漏らした監督生に、彼はクツクツの喉を鳴らして笑った
「なんだ?随分と可愛い声を出して。甘えているのか?」
「ひぅ…耳元で、喋らないでください…あぅっ…」
「こら、大人しくしていろ。優しくされたいだろ?」
耳の中に吐息を吹き込むように話され、思わず背中が反る。低音が鼓膜を揺らすと、つい腰周りが重くなり熱が集まってしまう
「せ、せんせぇ…」
監督生が甘い吐息とともにかすれた声を漏らす
クルーウェルに、自身の肩に顎を預ける生徒の表情は見えない
しかし、熟れきった欲情にまみれた顔をしているのだろうなと、手に取るようにわかった気がした
「…ふはっ、オレが仔犬に手を出すわけがないだろう」
色気のあった雰囲気を笑い飛ばし、監督生の頭に真っ白で吸水性バッチリなバスタオルを掛けてから床へと下ろす
急に変わった空気感にぱちぱち目を瞬く監督生のデコを長い指でピンと弾いてから
「お前も誰彼構わずにそういう雰囲気を出すんじゃないぞ、駄犬」
と注意をし、部屋から追い出した。
部屋に1人となったクルーウェルは自身の膝に肘をつき、頭を抱えるようにする
そして五分ほどその姿勢のまま動かず深呼吸をし
「危なかった」
と誰に言うでもなく呟いた
☆☆☆
バスタオルは、惚けた顔を隠して帰れるようにかけてあげたよ!
優しいね!
監督生君?バッチリ勃っちゃってるし、クルーウェルのお腹に当たってました。先生びっくり!
正直このまま手篭めにしようとしたけど、まだ職を失いたくないので頑張ったよ!
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[mokuji]
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