回遊魚が眠る時

監督生は参っていた

日々の勉強についていけない。この世界での基礎がないから当然だ。

数学は元の世界と同じだから平均点は採れる。それ以外は正直壊滅的だ

知らない国の歴史、知らない単語や文法、元の世界では存在しない魔法についての知識、未知の材料の暗記

予習しようにもグリムの世話と学園長からの雑用、マブダチ兼問題児のエースやデュースのおかげで様々なことに巻き込まれて時間が無い

予習の時間が無いなら、当然復習の時間もない

何とか空いた時間に問題児達と離れて1人で図書室に向かえば、見知らぬ生徒に絡まれる

見知らぬ生徒も何とか撒いて、やっと勉強を始めたら分からない単語だらけ

分からない単語を調べた先に分からない単語が出てくる

「コーカスレース…だったっけ。何だよそれ…知るか…」

監督生は頭をガリガリと掻きむしりつつ呟く

夕日が窓から差し込んでいる。日が暮れるまでには寮に戻らなければ

オンボロ寮の周りは真っ暗で街灯ひとつない。

ランプや懐中電灯等、気の利いたものは持ってないし、魔法も当然使えない

真っ暗な森の中を1人で歩くのは流石に怖い。

「コーカスレース…コーカスレース…」

監督生は辞書を引き、単語を調べる。

「わからない言葉を分からない言葉で説明するな…」

監督生の頭の中に不満が募り、グルグル回る。

何でグリムと2人1組なのに、課題はそれぞれあるんだよ。グリムの分もみてやらなきゃならない…

テストだって2人の点数足してくれや。異世界人と魔物だぞ。授業受けてるだけで褒められるべきだろ

自分が赤点を免れても、グリムが赤点ならば補習には強制参加だ

グリム1人じゃまともに補習を受けたがらないし、監督義務があるからとかなんとか。

金もない。生活費は学園長から貰っているが、必要最低限だ。自由になるお小遣いがないから、娯楽もない。

お菓子くらい食いたい。時間が無いのに、金もないから節約の為に自炊しなきゃならない

モストロラウンジのディナーなんて夢のまた夢だぞ

自分だけなら作るの面倒だし1日1食くらい抜いてもいいのだが、腹を空かせた同居人にまでそれを強いることは出来ない

辞書をペラリと捲る。分からない単語が分からない単語で説明されている。その単語をまた調べる。また分からない単語で説明される

「ドードー巡り…コーカスレース…鳥の競走、全員勝ち、議会でうるさいやつら、ゴールがスタート」

バタバタ地面を走り回って、同じ円の上

全員勝ちなら全員負けだ。馬鹿みたいに真面目に、グルグル走って

この努力が報われる保証もないのに。元の世界に帰ったら一切使わない知識なのに、この世界に居るうちは必須だなんて

帰れる保証がない。帰れないかも、わからない。この勉強が無意味になるかもしれないし、ならないかもしれない

頑張りどころがわからない。いつまで、どこまで、真剣に取り組むべきかがわからない。先が見えない。

グルグル、グルグル、回って、走って、服は乾かない。思考も回る。堂々巡り

馬鹿みたい。馬鹿みたい。馬鹿みたい

「おっとー、手が滑ったー!」

「ごめんなー!」

視界が急に真っ赤に染る。独特の青臭さと口内に入った酸味。濡れた前髪が額に張り付いて鬱陶しい

「…トマトジュース」

監督生の背後からゲラゲラ笑う声がする。

どうやら、頭からトマトジュースをかけられたらしい。

本には特殊な魔法がかかっているのか、汚れを弾いてシミひとつない。あぁ良かった。弁償なんて言われたらたまったもんじゃない。

背後でゲラゲラ笑う声がする。トマトジュース、もったいない。洗濯どうしよう。お風呂で手もみしてるんだぞ?洗濯機なんてないんだから

シャツはこれしかないんだぞ。制服は?洗えるのか?予備がないのに。明日どうすんだよ

背後の笑い声がものすごく耳障りだ。パシャパシャとスマホのカメラで写真を撮って嘲笑っている。マジカメにでも載せるんだろうか

トマト、そんな好きじゃないんだよな。頭が痛い。なんで自分ばっかり。何がそんなに面白いんだよ

「…笑うな。」

監督生はゆらりと立ち上がる。

真っ赤でどろりとした雫が髪からぽたぽた零れるが、払いも拭きもしない

「お?どうした?怒ったか?」

「魔法も使えないくせに、どうするんだ?」

サバナクローの腕章だ。なんて、監督生は頭の隅で冷静に考えつつ、座っていた椅子の背もたれに手をやる

「どうするって?」

緩んだ顔でバカにしたようにゲラゲラ笑う声がやたら頭に響く。うるさい。黙れ。静かにしてくれ

懇願したって仕方がない。目覚まし時計は止めるまで鳴っている。だから叩けばいいんだよ。これは仕方がない。だって、そうしなきゃ静かにならないんだから。

だから、俺は悪くない

「こうすんだよ。」

監督生は無表情で椅子を振りかぶり、獣の耳が生えたその頭に力一杯振り下ろした



「はぁい小エビちゃーん、そろそろやめようねぇ。死んじゃうよ、そいつら」

フロイドはケラケラ笑いながら振りかぶられた椅子の足を掴む

「…ふーっ…ふーっ…」

監督生はしばらく、どうして椅子が振りおろせないのかがわからなかった。ただ、五月蝿いのを止めたかった。

まるで耳に心臓が入っているかのようにドクドクと脈打っている。頭が痛い。

フロイドが掴んだ椅子は、監督生の力ではピクリとも動かない

フロイドは監督生の丸い頭をガシガシと力任せに撫でる

「はい、どーどー…深呼吸してぇ?……椅子下ろせって」

頭を撫でられようやくフロイドの存在に気がついた監督生は、脱力したようにへにゃりと笑った

フロイドはオッドアイを細めてその情けない顔を見つめる。

「………、火事場の馬鹿力ってやつですね」

「オレんとこでは、サメから逃げる獲物は早く泳ぐって言うかな。」

フロイドは場違いに明るい声でそう言いつつ、空いた手で監督生の手首を掴む

「椅子、離して。重てぇし。」

「…離せない…手が、言うことを聞かなくて…」

「小エビちゃん、力抜くの。大丈夫、ゆっくり手を開いて」

フロイドの指示に従い、指先からそっと手を開く

監督生はようやく椅子から手を離すことが出来た。フロイドはそのイスを床にそっと降ろす。備品壊すとあとで先生もアズールもうるせぇし。

まぁ、今更壊すもくそも、血だらけでちょっと凹んじゃってるけど

監督生は小刻みに震える両手を見つめる。背もたれを握りしめていたせいか、真っ赤になっていて少し擦りむいている。あと、腕が酷く重い

手首が痛い。捻ったかも…

一体、自分は、何をした?

急に沸騰するような感情がどこかへ消え、冷静になる

「……どうしよう…」

恐る恐る床を見ると、頭から血を流した獣が2匹横たわっている。これあれだ。コナンくんでよく見たやつ…

一応息はしてる。し、ちょっと呻いてるから死んではない。多分、死なないよな…?

フロイドは狼狽える監督生を見下ろし、すっと無表情になる

「先に手ぇ出したの、どうせそいつらでしょ?気にしないでほっときなよ。」

「…死んだら、どうしよう。退学になんてなったら、どこにも行けないのに。グリムはどうなる?どうしよう、どうしようどうしよう」

「………。」

監督生は転がる獣2匹を見下ろし、ブツブツとうわ言のようにどうしようと繰り返す

瞳がブロットを溜めた魔法石のように濁っている。

フロイドは狼狽えて怯えて、迷子の稚魚のように不安そうな監督生をじっと見つめ、後頭部を掻く

めんどくせぇの。

真っ青な顔でブツブツ言っているのが憐れで、フロイドは監督生の手を引いて歩き出す

「あ、ちょっ」

「抵抗すると絞めんぞ。黙ってついてこい」

フロイドが歩き出すと、監督生は歩幅が全く合わず引き摺られるように前のめりになる

フロイドはそんな監督生の後頭部と旋毛を見て顔を顰め

「………。」

ほんの少し歩くスピードを弛めた



「あの、フロイド、先輩。どこへ…」

「………。」

終始無言のフロイドに引っ張られ、監督生は鏡舎へ入り、鏡をぬけてオクタヴィネル寮を進む

海の中が見える廊下を抜け、フロイドが開けたのは個人の部屋のようだった

「オレの部屋。」

正式には、オレとジェイドの部屋ね。

「なんで…」

「なんでだろーね。」

フロイドは自分よりか小柄な監督生をベッドに放り投げる

「うぎゃっ」

「あっはは、汚ぇ声」

受け身も取れずに無様に転がった監督生を笑いつつ、自分もベッドに倒れ込む

起き上がろうとしたところをフロイドの腕で押し返され、監督生はぐえぇと潰れた声を上げる

フロイドがまたけたけたと笑った

「あの、」

「ぎゅーってしてあげんね。」

困惑する監督生を抱え込む。両腕両足でがっちりとホールドし、逃げられないようにして至近距離で見つめ合う

「くるくるグルグル、余計なこと考えなくていいように、ぎゅって絞めてあげる。」

フロイドの左右色の違う瞳が優しく細められる。

ヘテロクロミアっていうんだっけ、こういう目。と監督生はぼんやり考える。

左右色の違う瞳は猫に多いそうだ。そう言えば彼の気まぐれは少し猫に似ている。

そんなどうでもいいことを考えていると、額にぷにっと柔らかな感触がした

「……?」

「小エビちゃんはマグロなの?泳ぎ続けなきゃ死んじゃう?そうじゃないでしょ?」

フロイドはすりすりと額を合わせてくる

「休んでいいんですか。」

「文句言うやつはオレが絞めてあげる。」

まぁ、対価は貰うけど。と付け足して、フロイドは監督生の髪をぐしゃぐしゃと混ぜる

「あはは、フロイド先輩らしくて安心しました」

「…小エビちゃんはねぇ、弱くてちっちゃくて、可愛いから「小エビちゃん」なの。オレの傍にいればなにも怖くないよぉ」

「………ありがとうございます…。」

監督生はフロイドの首元に顔を埋める

人魚の体温は低い。だけど触れているところはちょっぴり熱い気がする。

なんだか何も考えられなくて、監督生は温もりに身を委ねるように微睡んで、そのまま深い眠りに落ちた



☆☆☆
「ジェイドー。小エビちゃんが椅子でぶん殴って頭カチ割ったやつ、図書館にまだ居たら拾っといてぇ」

「おや、監督生さんにそんな度胸があったのですね。」

フロイドはすやすや眠っている監督生と共にベッドに横になったままジェイドにそう伝える

スマホ越しのジェイドの声は愉快そうだ

「随分と、監督生さんに優しいんですね」

「んー?今日はそういう気分ってだけ」

「おやおや、気分ですか」

フロイドは機嫌よく笑う

「小エビちゃん、安心しきってオレのベッドで寝てんの。かぁいいよねぇ」



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