小エビは実は可愛くない

監督生はこの学園唯一の女の子だ

緩く巻かれたふわふわの髪、桃のような瑞々しく愛らしい頬に、薔薇の花弁のように色好きふっくらした柔らかな唇

星を散りばめた輝く瞳の上には、上向きにカールした艶っぽく長いまつ毛

笑えば愛らしく鈴が転がるような声、微笑めば背景に花が散り、歩けばほのかに甘い香り

スカートのプリーツが翻ることの無い小さな歩幅で彼女が歩けば、荒くれたナイトレイブンカレッジの生徒も静かに道を開ける

彼女こそが学園の花、彼女こそがプリンセス。それがオンボロ寮の監督生だった

本人がどう思っているかは置いておいて、男子高校生達の中ではそれが真実だった



そんな彼女はモストロラウンジで働いていた。女の子は色々と入り用なのだ。

最後の客を見送り、監督生はフロイドとフロアの掃除をしていた

他の従業員達は届いた食料品の荷降ろしに行っている。力仕事は男がやるものだと、監督生の前で張り切っていた

「お願いしますね」

なんて学園唯一の少女が微笑めば、仕事終わりの疲れもなんのその、競うように荷物運びへと向かって行った

荷降ろしが終われば、皆そのまま上がるそうだ。

広いラウンジの掃除は、フロイドの魔法により動き出した箒と水モップによってサクサクと進んでいく

今日のフロイドは機嫌が良いのか、掃除道具たちと踊るようにフロアを動き回っている姿はとても楽しそうだ

こういう日のフロイドは従業員3人分程の働きをみせる。予定より早く上がれそうだ

それを横目に魔法の使えない監督生は布巾を搾り、机を拭いていく

たかが机拭きと言えど、その仕事はとても丁寧だ。拭き残しがないのはもちろん、メニューをきちんと揃え、物品の補充が必要か確認しつつソルトキャスターなども曇りがないように磨く

魔法が使えなくても文句1つ言わず、黙々と働く姿は物語の中のシンデレラの様だと、バイト仲間たちから好意的に見られている部分だ

「小エビちゃーん、そっち終わりそう?机拭き終わったら物品補充してくんね?」

「はーい!」

「オレ、賄い作ってくるから、終わったら食べよー。何食べたい?」

「んー、フロイド先輩の作るものはなんでも美味しいからなぁ」

悩んじゃいます。と監督生が目じりを下げて微笑むと、フロイドは機嫌良さそうに笑って

「あはっ、じゃあ今日はフロイド先輩の気まぐれパスタねー」

と掃除道具を片付け、ひらりと手を振ってからキッチンへと向かう

フロイドの背中が見えなくなるまでニコニコと手を振って、監督生は台拭きを片付ける

1人きりになった監督生ははぁとため息をついて、ガシガシと髪を掻き毟った

「可愛い女の子でいるのは疲れる…」



調味料やナプキンの補充を終え、掻き回してぐしゃぐしゃにした髪を整え直してから、フロイドが待つキッチンへ向かう

監督生に気が付くと、フロイドはフライパンを洗いつつ

「お疲れー、小エビちゃん。俺特製気まぐれパスタ出来てるよー」

と声をかける

背の高いフロイドが身体に合わない低いシンクで水飛沫を気にせず洗い物をする為にはかなり背中を丸める必要がある。

窮屈そうに洗い物をする姿が何だか可愛くて、監督生はいつも少し笑ってしまう

フロイドが顎で指した先には湯気のたつパスタ。

麺が見えなくなる程のキノコが入っているのは、多分荷降ろしが終わったら戻ってくる予定のジェイドの分だろう。

3人前程の量があるが、自称燃費の悪い彼ならペロリと平らげそうだ

フロイドと監督生の分にはイカとアサリと小エビがのっている。大盛りのがフロイドの皿で、暖かな野菜スープが添えてあるのがきっと監督生の分

少なめのパスタ風春雨はきっとカロリーを気にするアズールの分だ。

面倒くせーと言いつつ、それぞれの好みを把握して作り分けてくれている。器用な彼の気遣いが嬉しい。

そして、自分も彼の身内のように扱って貰えていることが、監督生にとって何より嬉しく照れくさい

「わぁ、美味しそうです!」

「ちゃんと手ぇ洗いなよ」

「わかってますよ」

使用した調理器具を洗う手を止めて、監督生の為にスペースを空けてやる。

フロイドは警戒心なく隣へ来た監督生の小さな手をじっと見つめ

「小エビちゃん、手ぇボロボロじゃん」

と言った。監督生の石鹸を取ろうとした手が止まる

あかぎれてしまった手は赤く、白い肌にパックリ割れてしまった傷口が目立つ。

フロイドは痛くねぇの?と続けようとしたのだが、隣の少女の顔を見てギョッとする

監督生はなんの前触れもなく、ボロボロと涙を零し始めていた。

「汚い、ですか?可愛く、ないですか?」

「え?小エビちゃん、何で泣くの?」

「女の子らしくない手ですか!汚いですか!お姫様みたいじゃない、ダメな手ですか!」

狼狽えるフロイドの前に濡れたままの手を翳し、監督生は顔を歪めて泣く

「女の子らしくって頑張ってるのに!!完璧な可愛い女の子でいるように頑張ってるのに!!」

わぁぁぁ!!と声を張り上げて、その場にへたり込みながら監督生は大口を開けてぎゃんぎゃん泣き始めた

「え、小エビちゃ、あの、おれ…」

フロイドは慌ててズボンで濡れた手を拭いて、恐る恐る監督生を抱き締める。その力は普段の彼からは考えられないほど繊細で、卵でも抱えているかのように優しかった。

泣き喚く女の子を泣き止ます術など知らないのだ。彼がいかに優れた魔法使いであっても、少女を笑顔にできる魔法など思い付かない

フロイドの何気無い言葉が監督生を傷付けてしまったらしい

フロイドの名誉のために言っておくが、彼は別に馬鹿にした訳でも何でもない。ただ目について、純粋に痛そうだなと思って口にしただけなのだ

監督生でなければ手の傷などそもそも気が付かなかっただろうし、他の生徒が例え腕を骨折していようが声をかけてやろうなどと考えもしなかった

フロイドはフロイドなりに心配していたのだが、監督生にとってそれは侮辱だった

周りの求める理想の女の子像になるように頑張っている自分を否定された気になってしまったのだ

「ねぇ、その、よくわかんないけど、オレ、小エビちゃんの手、好きだよ?」

フロイドは床に膝をつき、泣いている少女の髪を不器用に撫でる

「頑張り屋さんの手って感じ。ただ、痛そうだったから、心配になっただけなの。なんか勘違いさせたなら、ごめんねぇ?」

子供を宥めるように優しく声をかけ、少女が落ち着くまで、優しく抱きしめたままゆらゆらと身体を揺らしてやる

監督生は、フロイドの腕の中で止まらない涙を拭うこともせず、タガが外れたように泣き喚く

「わ、わたし、頑張ってるの!」

「うん、知ってる」

「本当は、性格だって悪いし、全然お姫様じゃないし…癖毛だし、ソバカスあるし、化粧も嫌い」

「そっかぁ」

「ニコニコ笑ってるのも疲れるし、全部イヤになる日だってあるし」

「うん」

「早起きして、長い髪梳かすのも痛いし面倒くさいし、大嫌い!」

「ずっと、頑張ってたんだ。えらいじゃん。褒めてあげる」

フロイドは全部肯定してよしよしと頭を撫でてやる。監督生の瞳からポロポロと溢れる涙はまだまだ止まりそうにない

監督生を抱えたままポケットからスマホを取りだし、アズールとジェイドに「賄いは後で届けるから、しばらく来ないで」と連絡しておく。

既読がついたから、多分大丈夫だろう。

とりあえず、この小さな女の子が泣き止むまで、好きにさせてやることにした



フロイドは目の前の女の子が先程まで話していた女の子とは別人のように思えた。だって、普段みていた彼女とはあまりに違うから

フロイドの知っていた監督生は、絵本に出てくるお姫様って感じのいい子ちゃんだった

いつもニコニコ微笑んで、文句一つ言わず誰かに付き合って、誰にでも優しく可愛い女の子

けど今ここにいるのはどうだ。どこにでもいる「等身大の女の子」だ

泣き喚く本人曰く、彼女は周りとのイメージと本来の自分との差に悩まされていたらしい。

失望させないように常に気を張っていることのストレスと、ここ最近毎日のように悪友とグリムに振り回される疲れから心身ともに弱っていたところに、フロイドの何気ない一言がトドメを刺してしまったのだ

慣れない化粧をして、早起きしてくせ毛のセットをこなし、本当の自分を隠して作り上げた「女の子」の綻びを指摘されたのが恥ずかしく、またとても悔しかった

見られたくない秘密を無遠慮に暴かれた気がした

そんなこんなで、我慢していたことが些細なきっかけで決壊し、泣き喚いてしまったらしい。

ようやく泣き止んだ監督生は、気まずそうに床を見つめていた

「その、ごめんなさい…」

「ん。…とりあえず顔洗いな」

「すみません。ありがとうございます」

フロイドは真っ赤な目をした監督生にタオルを渡してやり、適当に引っ張り出してきた椅子に腰かける

「その、手がボロボロだって言われて、自分の頑張りを否定されてような気がしちゃって」

そんなボロを出した自分も悔しくて

「完璧な八つ当たりです…ごめんなさい」

しゅんと頭を垂れた監督生が、フロイドにはいつもより小さく見えた。

同時に、普段のどこかよそよそしく近寄り難い彼女より愛らしく思えた

フロイドはオッドアイを穏やかに細める

「さっきの小エビちゃん、可愛かったしいいよ。これからもさ、俺にだけホントの小エビちゃん、見せてよ。」

「え?」

「ホントの小エビちゃん。お姫様じゃない、無理してない小エビちゃん、好きだと思ったから。ダメ?」

「……全力で可愛くないですよ」

「いいよ別に。」

「プリンセスが裸足で逃げますよ?」

「逆にそれはそれで面白そう」

何故かぐぬぬと唸った監督生を見下ろし、フロイドはケタケタ笑う

「とりあえずさー、次の休みあけといて」

「なんで?!」

「ん?なんでも。まぁ、強いて言うならお詫び。泣かせたし。んで、これあげる」

フロイドがマジカルペンを一振すると、机の上にコトリと瓶が落ちてくる。転移魔法で取寄せたらしい

薄緑色のクリームが容器たっぷりに満たされている。

机に身体を伏せて瓶を覗き込む様子が小動物に似ていて、フロイドはふふっと小さく肩を揺らす

「びん?」

「瓶。これね、ベタちゃん先輩も使ってる化粧水と同じ材料使ってるハンドクリームの試作品。顔にも使えるよ」

「え、高そう…」

「ちなみに原料はね、オレ。」

「?」

「オレ。」

意味がわからないと首を傾げた監督生の髪をぐしゃぐしゃに混ぜて、フロイドは目を細める

「小エビちゃん、お姫様卒業記念。あげる。」

細められたオッドアイが何だかとても優しくて、さっき散々泣いたというのに、監督生はなぜだかまた無性に泣きたくなった。





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