下拵え
ある日のことだ。廊下を移動中の監督生とグリムの元に、ジェイドが頼み事をしに来た
高身長を折って視線を合わせ、手土産のクッキーを渡してくる。ウツボ型のクッキーが妙に可愛い。
アイシングで黄緑に染まったウツボクッキーは、縞模様やヒレの筋まで再現されている。あ、紫のタコもある。芸が細かい…
「オンボロ寮の1部屋をお借りできませんか?もちろん、対価はお支払いします」
真ん前の胡散臭い笑みをパチパチと瞬いて見つめ、監督生は首を傾げる
先程まで隣を歩いていたはずのエースとデュースは一瞬にして逃げたらしく、既に廊下の角を曲がって行く背中が辛うじて見えた
薄情なヤツらめ…
肩に乗ったグリムがグルルルと威嚇する
「えと、どうしてです?」
「ぜってーろくな事にならねぇんだゾ!断固お断り!なんだゾ!」
威嚇するグリムなど居ないかのように無視して、ジェイドは悲しそうに眉尻を下げて話し始める
「僕の趣味がテラリウム作りなのはご存知ですよね?」
「部屋が土臭くなるからやめろよ
」とフロイドから怒られてしまいまして…居場所がないんです。シクシク
と、妙に似ていないモノマネとわざとらしいシクシクと口で言ってしまっている泣き真似に笑いつつ
「なるほど、それで作業用の部屋が欲しいってことですね?」
と監督生が言うと、ジェイドはニッコリと頷く
「俺様はこんな奴とひとつ屋根の下なんて絶対にイヤなんだゾ!」
グリムの口からチロチロと青い炎が溢れ始める。ジェイドは
「流石にそこまで言われると傷つきます」
と言いつつ、マジカルペンにすっと手を伸ばしている。乱闘は困るなぁ
監督生はニコニコしてグリムを抱えて視線を合わせる
「いいじゃん。オンボロ寮のセキュリティ死んでるし、ジェイド先輩が来るようになれば番犬代わりになるよ?」
「今ボクのことサラッと犬扱いしました?」
ボク、ウツボなんですけど。と苦笑するジェイドを横目に、グリムはぷいっと大袈裟に顔を逸らす
「嫌だったら嫌なんだゾ」
「んー…。グリム、ジェイド先輩は対価にツナ缶持って来てくれると思うよ」
3つ250マドルのやつじゃなくて、1つ210マドルのやつ。と付け足しつつ、ちらっとジェイドを見る
「ええ、もちろん。お邪魔する際に毎回一缶お付けしますよ」
「大歓迎なんだゾ!」
あっさり手のひら返し(モンスターだから肉球返し?)したグリムに、思わず監督生も苦笑いを浮かべる
こんな単純でいいんだろうか。
「あなたへの対価は如何致しましょう?」
「え?いいんですか?じゃあ、勉強教えて欲しいです!」
「勉強ですか?」
「あ、ダメです?」
「いえ、欲がない方だと思いまして」
ふふふっと笑いつつ、ジェイドは監督生の頭へと手を伸ばす
身構えることなく不思議そうにしている無防備なその頭を少し乱暴にガシガシと撫でる
「あの、ジェイド、先輩?」
「ふふふ、すみません。可愛らしい方ですね、あなたは」
何かがお気に召したようで、監督生は荒っぽい手つきで頭を撫でられつつ大人しくしていた
ジェイドはラウンジが休みの日や週末はほとんどオンボロ寮へやって来るようになった
空き部屋の確認をしに来た時は埃まみれでドアを開けた瞬間にくしゃみが止まらなくなるほどの部屋だったのに、今やその面影は全くない
魔法であっという間に片付けられたそこは植物園のように緑いっぱいで、そこらじゅう植木鉢や花瓶やテラリウムで溢れている
ジェイドはその部屋の奥で、熱心にガラスの容器に植物を詰めている。
今回は多肉植物が安く仕入れられたので、それをメインにするつもりだ
熱中すると時間を忘れるタイプらしいジェイドは、気が付けば夕食も食べずに夜中だった、なんてことが度々あった
これは余談だが、たまたまトイレに起きた際に、帰ったと思っていたジェイドと鉢合わせた監督生が腰を抜かしかけたことも1度や2度ではない
深海生まれ深海育ちのジェイドは夜目が効くため、電気をつけずにオンボロ寮を歩き回るのだ。
誰もいないはずの場所からぬっと大男が現れる。しかも人魚の名残か、たまに発光器官が活発化して薄ぼんやり光っていることもある。シンプルに怖い。
監督生はよく漏らさずにすんでいると自分の膀胱と尿道を褒めてやりたいと思っていた
そんなこんなで、まぁせっかくひとつ屋根の下で暮らしている(?)わけだし、お人好しの監督生は晩御飯前にジェイドの部屋を確認しに来るのが日課になった
「ジェイド先輩、ご飯食べていきます?今から作るんですけど」
控えめなノック3回、返事があっても無くてもガチャリとドアを開けて室内に入る。
集中力が高いらしい彼は、ノック程度では作業に夢中で気が付かないことが多い
「おや、もうそんな時間ですか?」
「もうそんな時間ですよ」
「ふふ、ではご一緒しても?お手伝いしますね。」
ぐぐっと伸びをして、窓の外をちらりと見る。いつの間にか日は沈み、星が出ている。
時間感覚が戻ってくると、急に空腹を思い出す。そういえば、ランチも食べていない。
夢中になりすぎてしまうのも良くない。これでは仕事に熱中しすぎて睡眠時間を削るアズールのことを注意できない
ジェイドはクスクスと笑って、ドアを開けて待ってくれている監督生の方へと足を向ける
監督生の作る食事は故郷のものらしく、あまり見かけない変わったものが多い。
メニューの参考になるかとアズールにその料理について話している所へやって来たリリア曰く、海の遥か遠く東の方の国では似たような料理があるそうだ。しかし、ここらの土地ではやはり珍しい
そんな料理を振舞ってもらうことが、実はジェイドは楽しみだったりする
「あ、監督生さん」
「はい?」
「あの、前に監督生さんが作ってくれた、ライスボールが食べたいです。焼いてもらったアレです」
「ん?あ、焼きおにぎり!味噌か醤油、どちらがいいですか?」
「……、茶色いやつでした…」
「…どっちも茶色ですね」
監督生が軽く肩を揺らして笑う。ジェイドもおやおや、それは失礼しましたと笑った。
「あ、ソイソースかビーンペーストか…って言ったら伝わりましたっけ?」
「あ、ソイソースです!その「やきおにぎり」が食べたいです」
「ふふふ、良いですよ」
監督生とジェイドがキッチンへ並ぶ
この2人がキッチンへ並ぶ日は凝ったものが食べられる。そう学んだグリムは、ソワソワしつつジェイドの肩をよじ登る
「お、今日は何作るんだ?ツナ料理もちゃんと作るんだゾ!」
最初はあんなに嫌がっていたくせに、今ではすっかり胃袋を掴まれて懐いている様子に、監督生とジェイドは顔を見合わせてくすくす笑う。
「焼きおにぎりは確定。あとは…」
「ツナとキノコを和えた和風パスタはいかがですか?」
監督生の故郷の料理は和食、それを模したものは和風と言うそうだ。監督生は自分が作る際は和食を好む。
ここの料理もいいけど、やっぱり故郷の味が恋しいというか食べ慣れてるので…とは監督生の談。
ジェイドはその何気ない会話の中で聞いた情報をしっかりと覚えている
「美味しそうですけど、炭水化物ばっかりになりません?」
「美味けりゃなんでもいいんだゾ!」
「まぁ、たまにはいっか。」
監督生が肩を揺らして笑いつつ、炊飯器から米をボウルへ移し、醤油とみりんを加えて混ぜる
ジェイドは持参したキノコを軽く水洗いし、すっかり使い慣れたまな板と包丁を取り出す
肩を並べて料理をする。それだけのことがジェイドをほんの少し幸せな気持ちにする
「まるで恋人同士のようですね」
なんて口にしてしまったら、監督生はどんな顔をするだろうか。
この心地いい空間が、なくなってしまうだろうか
ジェイドは監督生に口を開けて見せる
「ん?お腹すきました?」
「ふふ、そうですね。とてもお腹がすいています。」
「じゃあ、ちょっと味見どうぞ」
監督生が小さく作った1口大のおにぎりをジェイドの口元へと差し出す
ジェイドは一瞬目を見開いたが、すぐいつもの様子に戻りそれをぱくりと食べた。
「美味しいですか?」
「はい、とても。」
今はまだ、このままでいい。ジェイドは微笑む
腹が空けば空いただけ、あとで食べる料理が美味しくなるのだから
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