深夜1時の灰かぶり

「小エビちゃん、もうすぐ給料日だねぇ」

フロイドが自分より小柄な生徒の頭を顎置き代わりにして抱え込みながら声をかける

客は既に帰り、今は閉店作業の掃除中だ

黙々とモップを動かしていた手を止め

「はい!初給料です!」

と、小エビちゃんと呼ばれる生徒は、フロイドに軽く絞められながらもニコニコと答える

「何買うの?」

「んー、やっぱり、靴ですかね」

監督生は足元を指さす。指された靴は少し解れてしまい、洗っても落ちない汚れが染みている

「フロイド先輩みたいなカッコイイやつが欲しくって」

「ふーん」

「モストロラウンジで履いてても恥ずかしくないような良いやつ買うんです」

「そっかー」

フロイドは興味無さそうに返事をしつつ、顎を乗せていた頭を撫でてやる

このひと月、文句も言わず休みもせず、真面目に働いていた監督生の姿を思い出して口元を弛めた



ひと月前のこと

「バイトしたい?ここで?」

監督生に頼みがあると言われ、時間を作ったアズールは予想外な言葉に素っ頓狂な声を上げた

無理矢理働かせたことは多々あるが、自分からモストロラウンジで働きたいと言ってくる生徒はあまりいない。ラギー以来では無いだろうか

「はい。」

監督生は真面目な顔でソファーに座っている

「なんでぇ?いるもんは学園長が買ってくれんじゃねーの?」

アズールの座るソファーの背もたれに肘を置いて、フロイドがそう不思議そうに言う

ジェイドも何も言わないが少し興味深そうな表情で監督生を見ている

「そうなんですけど…必要最低限の生活費と物は貰えても、自分の物が何一つ無くって」

監督生は少しだけ表情を暗くする

「まだ元の世界に帰れる目処もたってないし…自立できる準備もしておかないと」

戸籍も無ければ保護者もいない監督生が働ける場所は限られている

アズールなら事情も知っているし、彼にとって害がなければ働かせてくれると監督生は考えたのだ

アズールは監督生の顔をじっと見つめ、少し思案してから

「まぁ、働きたいと言うなら働かせてあげましょう。いい心掛けではないですか」

と、ニッコリ営業スマイルを浮かべる。

どうやらアズールにとって損は無いと判断されたようだ

以前1度ヘルプとして働かせた時も上手く客を捌いていたし、すぐに戦力になるかもしれない

それに、ここしか働く場所がないのだから「気に入らないので別の職場を探します」と急に辞めることも無さそうだ

「しっかりと励んで下さいね」

アズールはニコニコと雇用契約書を差し出す

「良かったねぇ、小エビちゃん」

「これからよろしくお願いしますね、監督生さん」

「はい!頑張ります!」

監督生は元気よく返事をして笑った



監督生がバイトを初めて数日

「中々覚えがいいですね」

「ありがとうございますっ」

ジェイドは素直に喜ぶ監督生のネクタイを掴み、ギュッと締める

「ぐえっ」

「ふふふ、すみません。あまりにも間抜け面でしたので直して差し上げようかと」

「理不尽です」

なんでもメモをとって一生懸命覚えようとする後輩が割と可愛いらしく、ジェイドはちょこちょこ監督生をからかって遊ぶことが増えた

他の我の強い生徒達と違って反抗的でないし(反抗的な生徒をしつけるのも割と面白いのだが)遅刻もサボりもしない

「この調子なら、アズールも給料を上げてくれるかもしれませんね」

「そうだと嬉しいなぁ」

監督生はニコニコと笑う

ジェイドは稚魚のように全く害の無さそうな小柄な生徒を覗き込む

「純粋な興味なのですが、初任給では何を買うつもりですか?」

「え?んー、まだ決めてなくって…」

「靴買いなよ!新しいカタログ届いたし、後で一緒に見よー」

「うわぁ!!」

ジェイドが危険を察知してすっと身を引くと同時に、監督生の体が宙に浮いた

背後から現れたフロイドに抱えられ、グルグルと回される

「ちょっ、待っ…フロイド先輩っ」

「フロイド、監督生さんが目を回してしまいますよ」

ジェイドは口では止めつつ、クスクスと笑って監督生とフロイドを眺める

「靴かぁ…服はエースとデュースがお下がりくれたし、この誰のかも分からないオンボロ寮から発掘した靴しかないもんなぁ」

床に降ろされた監督生は少しふらつきながらそう言う

「げ!汚ぇとは思ってたけど、自分の靴じゃなかったの?!」

靴にこだわりがあるフロイドは引いた様子で顔を歪めて監督生の肩を掴む

「足元ちゃんとしてない奴はナメられるし、靴買いな!」

「は、はい。」

フロイドに気圧され、監督生はこくこくと頷く

ジェイドは呑気に

「フロイドは随分と「小エビちゃん」を気に入っているようで」

と呟いた



「ねぇジェイド。小エビちゃん、靴買えたかなー」

フロイドはソファーに腰掛け適当なクッションを抱きしめながら、開店作業をしているジェイドに機嫌よく声をかける

監督生がマドルの入った封筒をアズールから手渡され、嬉しそうにニコニコ笑っていた姿を思い出す

「昨日の休みに買い物に行くと仰っていましたね」

「シンプルで丈夫で、普段使い出来るやつにするって言ってたけど、どんなんかなぁ」

監督生が靴を買うのを、フロイドは自分の事のように楽しみにしていたらしい

一緒にカタログを見たり、メーカーや選び方についてアドバイスしてやったりと世話も焼いていたし、監督生のことが余程お気に入りの様だ

ジェイドはクスクスと笑って、そういえばと時計を見る

「いつもならもうみえる時間なのですが…今日は少し遅いですね」

監督生はいつも仕事が始まる30分前には出勤しているのだが、今日はまだ姿が見えない

「俺、探してこよー」

フロイドはクッションをポイと投げて勢い良く立ち上がる

それと同時に、監督生はモストロラウンジの入口から出勤してきた

腕には紙袋を抱えている

「小エビちゃん!」

フロイドは機嫌よく駆け寄って、監督生の前に立つ。監督生は何処かぼーっとしているような冴えない表情をしていた

「小エビちゃん?どうしたの?」

「監督生さん、こんにちは。気に入ったものは買えましたか?」

ジェイドもフロイドの後ろからひょっこりと顔を覗かす

監督生は顔を上げて2人の顔を見て

「うわぁぁぁぁん!!!」

急に子供のように泣き出してしまった

「え?!なんで?!」

「どうされました?」

慌てる2人をよそに、監督生はぺたりと座り込んで紙袋を抱えてわんわんと泣き叫ぶ

「僕の靴!僕がこの世界で、初めて買った靴なのに!初めての僕の物なのに!」

フロイドは泣きじゃくる監督生が頑なに離そうとしない袋の中を覗き込む

綺麗な状態の紙袋の中には、泥だらけになってボロボロの靴と足跡がついて凹んでいる箱が入っていた

フロイドの表情がすっと消える。

このひと月、監督生は一生懸命働いていた。初めての給料で、初めて自分だけのものを買うんだと楽しみにしていた

もし欲しい靴が買えたら、フロイド先輩達に1番に見せに来ますねと笑っていた

ひと月分の給料で買える程度の靴の値段などたかが知れてる。

しかし、この子にとっては値段では測れないほどのとても価値のあるものだったのだ

ジェイドがなんとか宥めようと声を掛けているが、監督生は泣きじゃくるだけでまともに話すことも出来ないようだ

騒ぎを聞きつけて奥から出てきたアズールが床にへたりこんで声を上げて泣いている監督生を見下ろし

「今日はお客様の前に出せる状態ではありませんね。」

と溜息を吐く

「フロイド、送って差しあげなさい」

「…はぁい」



「すみませんでした」

オンボロ寮へ向かう途中、監督生は涙を拭いながらフロイドに謝罪する

申し訳なさそうに顔を伏せているんだろうか。今振り返ると、怒りの制御が効かなくなりそうだ

フロイドは監督生の顔を見ないように少し前を、手を引いて歩く

「…小エビちゃん、超泣いてたね」

「…迷惑かけてすみません」

「別に怒ってねーし」

呆れてもねーよ。とフロイドは少し後ろを振り返る

未だに時折涙が零れ落ち、フロイドに繋がれていない片手は靴が入った紙袋をギュッと抱き締めている

折角買えたのに、1度も履かないままボロボロにされた靴が入った紙袋がひしゃげていく

小エビちゃんのココロみたい。とフロイドは眉間に皺を寄せる

「ねぇ、誰にやられたか覚えてねぇの?」

「すみません、知らない生徒で…急に後ろから取り上げられて、ぐちゃぐちゃにされて…」

「モストロラウンジに来る前にやられたんだよね」

「…はい」

監督生の瞳からまたポロポロと涙が落ちていく

フロイドはどうにかして仕返しをしてやらなければ気が済まないと考えていた。

顔は覚えていなくとも、ある程度の場所と時間が分かれば目撃しているやつは必ずいる。

特に監督生は何もしてなくとも目立つのだ

「小エビちゃん、2、3日休みな。俺がアズールに言っといてあげるから」

フロイドは手を引かれるがままとぼとぼ歩く監督生を振り返り、ギュッと抱きしめる

「小エビちゃん、よく頑張ったね」

「フロイドせんぱい…」

監督生は頭の上から降ってきた優しい声色に目を見開く

「…うわぁぁぁぁん!!」

監督生はまた子供のように泣き始める

「よしよし、今日は稚魚ちゃんでも許したげる。俺やさしーし。」

フロイドはわんわん泣いている監督生を抱き上げて歩き始める

「あと、小エビちゃんいじめたやつはね」

俺が代わりに絞めといてあげる

フロイドはにっこり笑う

金色とオリーブ色の瞳がすっと細められた



「はい、これあげる」

監督生が大泣きした日から数日後、出勤してきた監督生の前にずいっと紙袋が差し出される

フロイドはニコニコ笑って機嫌良さそうだ

「えと、」

「いいから、見てみな」

受け取れないなんて言わないよなぁ?と威圧され、監督生は恐る恐る袋を受け取り、中を見る

「あ、この箱…!」

監督生は慌てて箱を取りだし、中身を見る

フロイドはその様子をニコニコと眺めている

「…靴だ」

箱の中には、初めて買っものと同じ靴が入っていた

「小エビちゃんの靴をダメにしたヤツらに弁償させたんだ」

どうやったか聞きたい?とニコニコ尋ねられ、監督生は慌てて首を横に振る

「あと、コレも。」

フロイドはもう1つ持っていた紙袋を監督生の前に出す

「小エビちゃんが初めて買った靴だし、1回も履いてないのに捨てるの勿体ないじゃん。」

だから、イシダイ先生に聞いて作ってみたぁ。と袋から取り出したものを手渡す

ボロボロになってしまったはずの靴にレースや飾りが付けられ、リノベーションされていた

「…嬉しいです…。嬉しいです!」

監督生はへにゃんと笑ってフロイドに飛び付く

「嬉しいです!ありがとうございます!すごく、すごく嬉しいですっ」

「小エビちゃん、そればっかじゃん。てか、なんで泣くの」

フロイドは感極まって泣き出した監督生の涙を拭って笑う

「小エビちゃん、いっつも頑張ってからごほーび。良かったねぇ」

フロイドが思わず浮かべた笑みはとてもやわらかく優しかった



☆☆☆
「あれで自覚がないとか…」

アズールは2人の様子を遠目に見ながら溜息を吐く

監督生がバイトに入るようになってからフロイドのサボりは目に見えて減ったし、多少気紛れも収まって丸くなった

機嫌が悪い日でも、監督生と会えばニコニコし始めるし、好意を持っているのは他人の目から見ても明らかなのに、本人に自覚はないらしい

監督生が大泣きした日、戻ったフロイドはブチ切れで犯人を探し出し、あっという間に血祭りにあげた

ボロボロになった靴をクルーウェルに頼み込んで知恵を貰い、珍しく真剣に直してやっていた

「この勢いで告白にでも持ち込むかと思えば…」

「覗き見とは趣味が悪いですよ」

アズールの背後に立ったジェイドが笑う

気配に気がついていたアズールは振り返りもせずに

「お前も人の事は言えないでしょう。現在進行形で同罪です」

と少し口元を緩める

「僕としても、監督生さんなら下心も害もなさそうですし、付き合ってもらって構わないんですけどね」

ジェイドはいつものように口元に手をあてて笑う

「監督生さんも自覚ないんですよね」







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