運が良かった
ぐちゃっと気色の悪い音が響く
今日も始まった。毎晩毎晩、眠ろうとベッドへ潜り込むとそれは始まる
熟れすぎた果実が独りでに地面に落ちて潰れるような音がする
ぐちゃっ
腐りかけて吐きそうな程甘い匂いが頭をクラクラとさせる
ハルトはここ数日、よく眠れていなかった
初めは気の所為だと思った。疲れから妙な幻聴がするのだろうと
ぐちゃっ
枕の下に頭を埋めても、どれだけ寝返りをうっても音が軽減されることなく、背後にそれは落ちてくる
ぐちゃっ
魔法も呪いもゴーストも存在する世界だ。そんなこともあるだろうかと先生に相談してみたが、そんな前例は無いし原因もわからなかった
ストレスならば、そのうち収まるだろう。等と初めは楽観的に考えていた
しかし、気が付いてしまった。日が経つにつれて音は大きく、足元から沸き立つ様な香りは強くなっていると
夜ごとに、何かが迫ってきている。
ぐちゃっ
ハルトはいても立ってもいられなくなり、ベッドから起きて部屋から出て歩き出す。
目的地はない。ただ、得体の知れない、見えない何かから遠ざかりたいだけだ
ぐちゃっ
しかし、音はついてくる。変わらず背後をついてくる
ハルトは少しずつ歩くペースをあげる。急かされるように小走りになり、ついには耐え切れず走り出す
ぐちゃっ
この音は日が昇るまで追ってくる。どこへ逃げても、どれだけ逃げても、日が昇るまで追ってくる
ハルトは呼吸が乱れて足が痛くなっても走り続ける
横腹が刺すように痛い。頭がガンガンする。
ぐちゃっ
音はすぐ背後からする。息をすることも躊躇うほどの甘い甘い匂いが纏わり付く
ハルトは恐怖で泣きながら、足を止めることが出来ずに走り続けていた
イデアは夜道を1人で歩いていた。
彼はゲームに夢中になり夕食を食べ損ね、買いだめしておいたはずの夜食がなかったことに先程気が付いた
仕方なく夕食を手に入れるべく自室から出て来たのだ
夜は人がいなくて気楽でいい
もとより人見知りでネガティブ思考なイデアは、他人と関わるのが苦手なのだ
イデアは機嫌良く夜道を歩いていたのだが、背後から気配を感じ振り返る
靴も履かずに素足で走ってくる人物に、イデアは見覚えがあった
同じ部活…ボードゲーム部に所属しているハルトだ。
頭脳を使うゲームはあまり強い印象はないが、運任せのゲームとなると何故か勝ちまくる。
以前アズールを交えてルーレット任せの人生ゲームをしたのだが、イデアとアズールが借金まみれになる中、1人だけ石油を掘り当て保険で大儲けし大富豪になった
その際、アズールは物凄い勢いでブチ切れて人生ゲームをちゃぶ台返しで吹っ飛ばした記憶もある
そんな彼は確かハーツラビュルの生徒で、こんな時間に1人で歩くタイプではないはずだが…
イデアは取り敢えず仲の良い部類に入るハルトに声を掛けるべきか悩んでいたが、なにかに気が付くと低い声で
「止まれ。」
と一言だけ告げた。
その声は落ち着いていて、消して怒鳴るような大きな声では無かったが、ハルトは金縛りにあったかのようにピタリと足を止めた
真っ暗な中、イデアの青い髪だけがゆらゆらと光源として揺れている
走り続けたせいで既に汗だくではあったが、また違った冷たい汗が全身から吹き出す
ぐちゃっ
思わず1歩下がろうとした瞬間、例の音が真後ろから聞こえ、動きを止めた
イデアは眉間にシワを寄せる
「ハルト氏、ゆっくりとこっちへ来て」
ハルトはよく分からないが逆らうことが出来ず、指示通りにゆっくりと歩き出す
「来るな。」
イデアはまた低い声で言った。冷ややかな視線が突き刺さる
ハルトは怯えたように足を止めた。
ぐちゃっと例の音がすぐ背後に落ちてくる
「ハルト氏、キミはこっちに来て。止まらないで、ゆっくりとね。」
ハルトはまたイデアの方へ足を進める。
イデアは何かを威圧するように
「止まれ。来るな。」
と言い続ける。
ハルトはついにイデアの前へと辿り着く。ハルトは真っ青になり、冷や汗を浮かべながらイデアを見上げる
イデアは何かから庇うようにハルトを腕の中に閉じ込める
「帰れ。」
低く、冷たく、冥界から響くような声でイデアは命令した
ハルトはすっかり怯えてイデアの腕の中で縮こまる
そのまま五分ほど経っただろうか。
イデアはパッとハルトを解放した
「ハルト氏、大丈夫だった?いきなり走ってくるから結構ビビったんだけど…なかなか厄介な奴に絡まれたようですな」
急にいつもの調子に戻ったイデアをぽかんと見つめ、ハルトは唖然とする
何も答えないハルトを覗き込み
「ハルト氏、大丈夫?」
ともう一度イデアが尋ねると、ハルトは堰を切ったように声を上げて泣き始めてしまった
「ええええー?!いやいや、ハルト氏!泣かないで…」
「こ、怖かったあぁぁ!!」
「あぁ!こういうイベントはもっとイケメンで頼りがいのある人物に起こるもんであって…助けてオルト!」
イデアは困惑しつつ、子供のように泣きじゃくるハルトの手を引いて歩き出す
「ほら、アレはもう消えたから、とりあえず寮に帰ってゆっくり寝て…ね?ね?」
「すみません…ありがとうございます」
まるで迷子センターに子供を届けてるみたいだなぁとイデアは内心呟きつつ、ハルトをハーツラビュル寮まで送り届けた
「この前はありがとうございました」
ボードゲーム部の部室で、ハルトはイデアに頭を下げた
「あぁ、あの後ちゃんと寝れた?もう変な音しなかったでしょ?」
「はい、お陰様で。それで、コレ、この前のお礼です」
ハルトは駄菓子が大量に入った袋を渡す。
お礼に駄菓子はどうかとも思ったのだが、イデアはボードゲーム部にもよく持参してくるので恐らく嫌がられはしないだろうと思って買ってきたのだ
「おぉ!これは夜食にピッタリですぞ!さすがハルト氏はわかってますなぁ」
思わずニヤリと笑い受け取るイデアを見上げ、ハルトは
「それであの、アレは何だったんですか?」
と尋ねる
「あぁ、アレね」
イデアは笑みを引っ込め、ハルトから視線を逸らす
「アレは知らない方がいい。」
「………。」
本来、普通に生きていれば関わることはないモノがうっかり干渉してきてしまった。それだけのことだ
深くは知らない方がいい。知らないからこそ助かることもある。そういうモノなのだ
イデアはなにか言いたそうなハルトの肩を掴み、歯を見せてニヤリと笑う
あの夜の冷たい声と威圧感を思い出しビクリと肩を震わせるハルトの顔を覗き込み
「まぁ、1つだけ言うなら、ハルト氏は運が良かったですな。」
アレに目を付けられて生き延びたのも、アレを振り返らなかったのも、逃げた先でたまたま人に出会ったのも、それが拙者だったことも!!
「そして、拙者が助けたいと思う程の関係性であったこと…正直、キミじゃなかったら放っておいただろうしね」
ハルトは顔を引き攣らせる。イデアの笑みに、得体の知れない恐怖を覚える
「ハルト氏は本当に運がいい」
イデアはパッと手を離して、ご機嫌で駄菓子を物色し始める
ハルトはしばらく呆然と立ち尽くしていた
☆☆☆
「あぁ、そうそう。あれは果物が落ちて潰れる音じゃなくてね…」
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