いつかの話
「僕、明日から海の下で暮らすんですね」
そう監督生は笑った。フロイドは太陽を見つめるように目を細めて、恋人に手を伸ばす
「そうだね、小エビちゃん」
フロイドは海の下へ連れていく前に、恋人に聞きたいことがあった。
数年前…監督生が帰る手段を見つけたと報告に来た日
フロイドはその手段を叩き壊した。何故そうしたのかは分からない。
ただ、二度と会えないかもしれない。そう思った瞬間に、体が勝手に動いてしまった
唯一の帰路を、フロイドがその手で奪ったのだ
アズールもジェイドも、他の生徒たちもフロイドを責めた。監督生は丸一日、布団に包まって出て来なくなった
しかし3日程経つとケロッとしてフロイドの前に現れ
「責任取ってお付き合いして下さい 」
と笑った。
「僕はもう納得したので、他の皆さんもフロイド先輩を責めるのはやめてください。」
僕、この世界で生きていきます。未練はありません。
監督生は吹っ切れたようにニコニコして、当たり前のように学園生活へ戻ってきた
そんな形で始まった2人の関係は、監督生がNRCを卒業する前日の今日まで続いている
「ねぇ、小エビちゃん」
「なんですか、フロイド」
2人は浜辺を歩いていた。監督生は大分前にフロイドが買ってやったサンダルで波を蹴飛ばし、楽しそうにしている
いつからか、監督生は「フロイド先輩」ではなく「フロイド」と呼び捨てにするようになった
フロイドは監督生が番のようにそう呼んでくれるのが好きだった
夕日でキラキラと輝く波を見つめて、フロイドは囁くように
「明日、やっと卒業だね」
と言う
「うん。1年、長かったですね」
フロイドは留年することなく先に卒業した。
監督生が卒業するまでの1年間、こまめに連絡をとったりはしていたが、毎日の様に会っていた学生時代と比べればやはりどこか物足りなかった
明日、卒業式が終われば、監督生は自分と同じ住処で暮らすようになる。
フロイドは少し笑って、ポケットに手を入れる
「本当はもっと早くに聞きたかったんだけど、怖くて聞けなかったことがあるんだぁ」
フロイドは監督生の少し前を歩く。顔が見えないように、顔を見せないように
「小エビちゃんさ、俺の事恨んでねぇの?」
フロイドは監督生に背を向けたまま尋ねた
波の音が大きく聞こえる。もうすぐ日が暮れる。2人以外に人影はない
「なんで?」
「俺が、元の世界に帰れなくしたじゃん。」
フロイドは振り返らない。監督生はその長身の男の背中が、いつもより少し小さく見えた
「……恨んでませんよ」
監督生は夕日を見て、目を細める
「そりゃ、布団にこもってる間は泣いたけど、楽になったんです」
「楽?」
「帰りたい…帰りたくない…自分では選べなかったんです。でも、フロイドに選択肢を一つにしてもらった。フロイドがなりふり構わず止めてくれた。」
だから、なんか後悔も何もなくって
監督生はざぶざぶと波を蹴って笑う。フロイドは振り返り、監督生が波に攫われやしないかと少し不安に思った
「あぁ、でも…僕を帰れなくしたことで、フロイドが僕に縛られてたらヤダなって思うことはある」
監督生はフロイドの方に駆け寄り、服の裾を掴む。2人の足を波が濡らしていく
「フロイドが、罪悪感で僕といるだけなら、…明日迎えに来なくてもいいですよ。」
監督生は少し泣きそうな表情で笑った
フロイドはそれを見下ろす。夕日を反射して、ピアスがキラキラと光る
「…帰れなくした時、俺が小エビちゃんの居場所になるからなんでもいいじゃんって思った。小エビちゃんに嫌われても、この世界にいて欲しかった」
フロイドは自分より小さな恋人を引き寄せて、優しく抱き締める
「ごめんね、小エビちゃん。小エビちゃんの家族も友達も家も、世界も全部奪っちゃうくらい、小エビちゃんのこと好きなの。だから、明日迎えに来るから、ちゃんと待ってて」
「フロイドが迎えに来るまで、僕はずっと待ってますよ」
監督生はふにゃりと笑う。フロイドも目じりを下げて笑った
フロイドは恋人を抱えあげて、踊るようにグルグルと回る
「小エビちゃん、小エビちゃん、俺の可愛い恋人」
「はいはい、あなたの小エビちゃんですよ」
「明日から、正式に番だねぇ、小エビちゃん」
フロイドはいつもの様に大口を開けて笑って、歌うように言う
「アズールもジェイドも、他の奴らも呼んでパーティしよ!俺、美味しいご飯いっぱい作ったげるね」
監督生はフロイドに振り回されて顔にかかる髪を耳にかける
「僕の全部を捧げた、僕の大切なフロイド」
「はぁい、小エビちゃんのフロイドだよぉ」
「明日から、2人でいっぱい幸せになりましょうね」
フロイドが勢い良く海に倒れ込み、2人はびしゃびしゃに濡れる
海水に塗れながら、フロイドは愛しい恋人を見つめる
「俺を好きになってくれてありがとう、小エビちゃん。ちゃんと、いっぱい幸せにするからね」
「こちらこそ、僕を捕まえてくれてありがとう、フロイド。僕はフロイドと居られれば幸せだよ」
2人は額を合わせて見つめ合い、互いに縋るように抱きしめ合う
日は沈み、大きな月が昇り始めていた
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