雨宿り

ケイトは人に会いたくない気分になり、わざわざ人通りの少ない渡り廊下まで来た

ニコニコして空気を読んで、普段通りに振る舞うことが急に虚しく億劫に感じたのだ

それなのに、今日は先客がいた

誰もいない廊下に蹲り、ひゅうひゅうとおかしな呼吸音を響かせている

確かあの姿は、オンボロ寮の監督生だ

遠目に見ても顔は青白く、額に汗が滲んでいる。過呼吸を起こしているらしく、不規則に肩が上下する

厄介なとこに出くわしてしまったが、相手が気がついていない今なら踵返して見なかったことにできる

ケイトは一瞬悩んだ

ちらりと視線を上げた監督生が何も期待をしない目でケイトを見つめ、誰もいなかったように目を逸らす

「はぁ…」

そんな監督生の様子を見てケイトは仕方なく歩みよる。いっそ縋るように手を伸ばしてくれたらいいものを…

ケイトは蹲る監督生の前で屈むと、髪を掴み無理矢理自分の方へ向かせ口付けた

目を見開いた監督生を至近距離で見つめ返し、何度か息を吹き込んで正しい呼吸を促してやる

五分ほど繰り返してやると、監督生は落ち着いたようで、顔色も先程よりかはマシになっていた



「ありがとうございます」

壁に背を預けて座り込んでいる監督生が、同じく隣に座るケイトにお礼を言う

「別にいいって」

ケイトは窓の外を見ながら素っ気なく返事をした。今日は上手く笑える気分では無いのだ

仮にもキスをしたと言うのに(処置のためであって別段やましいことはないのだが)2人は普段通り…普段より冷めた空気を纏っている

これが彼らの本来身に纏っている空気なのであって、普段がむしろ作られた姿なのであろう

監督生は

「しばらく休んでいるので、ケイト先輩は気にせず行ってください」

と言ったが、ケイトは何も言わず隣に座り込み陣取っていた

しばらくの間、何を話すでもなく2人は座り込んでいた

「ねぇ、監督生ちゃん。過呼吸起こしたの、はじめてじゃないでしょ」

おもむろにケイトはそう尋ねる

「…1人になると、たまに」

「その時はどうしてたの?」

「何も。ただ、収まるまで倒れてます」

監督生は膝を抱えて丸くなる。たまに過呼吸で倒れると、このまま死ぬんじゃないかと怖くなることがある

誰かからの悪意や呪いを身に受けている気分だ。そんなこと、ありやしないのに。

「倒れてる時、誰かに首を絞められてる気分になって、本当に死にそうになるんです」

監督生は顔を引き攣らせて笑う

「きっと拒絶されてんですよ。この世界に。」

異世界から来たイレギュラー。この世界に来た初日に、この世界にお前の居場所はないと堂々と言われたっけか。

ずっと付き纏う不安と孤独。どうすれば認めてもらえると言うのだろうか…。認めてもらったとしても「ここに居てもいい」なんてことの証明にはならないのだけれど

「………。」

ケイトは隣の監督生に手を伸ばし、くしゃりと前髪を撫でた

顔を見られるのは億劫なので、そのまま視界を覆うようにしながら

「監督生ちゃんさー、真面目過ぎ。どうせ元の世界に帰っちゃうかもしれないんだから、「今」をめいいっぱい楽しむ。それだけでいいじゃん」

と少し自虐的に笑って言う

ケイトの家は昔から引越しすることが多く、あまり深い関係の友がいない。しかし、ケイトはそれでいいと思っていた。

物でも人でも、特別な何かがあれば執着し離れられなくなる。次の別れが辛くなる、惜しくなる。

だから適当でいいのだ。軽くでいい。浅く広く、傷つかない様にしていればいいではないか。

どうせ自分一人がいなくなったところで、誰かの世界になんの影響も与えやしないのだから。自分だけ傷付くなんて不公平だ

「…仮に帰れなかったらどうするんですか…」

「それはそれで、その時になってから考えればいいの。どうせ未来なんてわかんないし。」

ケイトは監督生の頭から手を下ろした

監督生は驚いて目を見開く

ケイトは、今まで見た事がないくらい優しく笑っていた

「さて、そろそろ行こっか」

「何処へですか?」

「んー、落ち込んでる後輩ちゃんを1人にしとくのも可哀想だし、オンボロ寮まで送ってあげる」

ケイトは立ち上がり、監督生の手を引いて立たせる

「…どうせいなくなるかも知れないのに、優しくしても損じゃないですか?」

軽く手を振りほどこうとする監督生の手を強く握り、ケイトは目を細める

「どうせいなくなるから、今だけは優しくしてあげるの」

ほらおいで。と恋人を呼び寄せるかのように甘い声で呼ばれ、監督生は吸い込まれるようにケイトの胸に顔を埋める

「ケイト先輩はズルいです」

「そうだね。」

「ケイト先輩は優しくて、ちょっと怖くて、」

監督生はボロボロと涙を零し始める

ケイトは監督生の背中に手を回して好きにさせてやる

「ズルいです…」

ケイトは監督生の気が済むまで好きに泣かせてやる

「ごめんね」

俺にはこれが精一杯だわ

ケイトは誰に言うでもなく小さく呟いた

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