一生引き摺って下さい

あてんしょん
ちょっと流血あり



VIPルームで、アズールと監督生は向かい合って座っていた

紅茶はとっくに冷めており、手をつけられていない。

沈黙が重く重くのしかかっている

「断るなら、このナイフで僕を刺してください」

アズールは監督生にそう言った。机の上に乗せられた黄金の契約書とナイフ

契約書に書かれた「この世界で一生を終える」という一文から、監督生は目を逸らす


「そんな…出来ません…」

監督生は震える声で答え首を横に振る。人を殴ったことすら無いのに、刺すなんて出来るはずがない

「アナタは、僕を好きだと言った。僕もあなたのことが好きです。しかし」

アズールは顔を歪め、拳を握り締める

「しかしあなたは、いつかは元の世界へ帰ると…そう、おっしゃるのでしょう?」

「………。」

監督生は視線を逸らし、申し訳なさそうに沈黙する。つまりはそれが答え

「あなた、人魚の生態をご存知ですか?」

「いえ…」

「人魚は、一生に一人しか愛することが出来ません。」

監督生はハッと顔を上げる

アズールは穏やかに笑った。ドロドロとした感情を全て覆い隠すように微笑んで続ける

「あなたにとっては、いつか思い出になる淡い恋で済むのかもしれません。しかし、僕にとってはそうでは無い。」

あなたがこの世界から消えても、僕の愛はもうあなた以外の誰かに向くことは絶対に無い

「僕を残していつか消えるというのなら、せめてもの慈悲として、決して消えない傷跡を残してくれたっていいのでは無いですか?」

アズールはナイフの刃先を指でなぞる

「別に殺せと言ってる訳じゃないんです。物語よりも慈悲があり優しい話しではありませんか」

「…なら、」

監督生はアズールの目を見る。何かを決意したような表情とは裏腹に震える声で

「なら、僕にも同じ様に傷を付けて下さい」

と言う。アズールは少し目を大きくする

「僕だって、こんな異世界で告白するくらいアナタが好きなんです。見くびってもらっては困ります。」

「………なら、遠慮なく」

アズールは笑った。顔を歪めて、心底楽しそうに、そして心底憐れむように

机の上に置かれたナイフを手に取り、監督生の前まで歩み寄る

ソファーに腰かけたまま不安そうに揺らぐ瞳で見上げる監督生の肩を体重をかけて押さえ込み、ナイフをゆっくりと…ゆっくりと持ち上げる

監督生はこれから襲い来るであろう痛みに備えて目を閉じ、歯を食いしばる

アズールは小動物のように縮こまりつつも、抵抗せずに痛みを待ち構える監督生を見下ろし、ため息をついた

「そんなこと、出来るはずないでしょう…僕の大切な人に、傷をつけるなど」

アズールは額に口付けて体を離す

伺うように目を開けた監督生の手にナイフを握らせ、背中に手を回してギュッと力一杯抱きしめる

監督生はしばらく呆然としていたが、なにかに気が付くと目を見開いて抵抗する

監督生に胸の前で握らせたナイフの刃先は、アズールの方を向いていた

2人の体の間に挟まれたナイフが、アズールの腹に深々と刺さっていく

「アズールさん!やめて!アズールさん!!」

「あぁ、あなたは気の毒な人です。僕を刺してしまった」

アズールは泣きそうな顔で笑った

抱きしめる力は決して緩めず、愛おしそうに監督生の髪を撫でる

「あなたは今日のことを一生引き摺って後悔してください。この手の感触を忘れられずに悪夢にうなされて下さい。」

僕には傷跡が残る。あなたの記憶と共に、あなたに捧げた愛と共に、あなたが残した傷跡が残る

「だからどうか、僕のことを忘れないで」

アズールはポロポロと涙を流していた。腹に刺さったナイフよりも、心臓が痛い

監督生もポロポロと涙を流す

「僕は…僕は…」

監督生は何かを言おうとしたが、結局何も言葉が見付からず口を閉ざす

ナイフから滴る血が手を濡らし、それが熱くて熱くて溶けてしまいそうだと思った



☆☆☆
「アズールさぁ、どうせ小エビちゃんを帰す気なんてないんでしょ?」

「当然です。」

フロイドの問いに、腹の傷の治療をしながらアズールは平然と返す

「ならなんで、そんな面倒なことしたの?」

「枷のひとつになればいいと思っただけですよ。良心につけこんで、弱みにつけ込んで…離れられなくなればいい」

「アズールらしいですね」

ジェイドは口元に手をやり笑う

「帰りたいというのなら…後悔させて、償わせて、どんな手を使っても傍にいさせてやります。」

アズールは自嘲するように笑う

「可哀想な人だ。僕を好きになったばかりに、僕に愛されるなど…」

「ほんと可哀想な小エビちゃん」

「ええ本当に気の毒な監督生さん」

フロイドとジェイドは歯をむき出してニヤニヤ笑う

人魚は一途だ。その中でもタコは命を懸けて番を愛し添い遂げる

「もう決して帰れないとは知らないで」




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