髪に絡まった鬼の血は予想していた通り濡らした手拭いでは落ち切れなかったようで、五枚の手拭いを赤く染めきったとき、申し訳なくなって静止の声を上げた。

「善逸…? もう大丈夫だよ、私髪洗った方が早そうだし。」
「え? でもその傷で自分で洗うのはきつくない? 俺は女の子の髪が触れるからいくらでもできるよ!!」
「…………」
「何か言ってお願い!!」

私が気にしないようにという意図半分本音半分だと気が付けば、私は無意識に言葉を詰まらせていた。その反応に、善逸は嫌わないでおくれよぉと泣きついてきたが、嫌うも何も好きではないから嫌えない。

「嫌わないよ。」
「本当!? じゃあ好きってことだよね!? ということは…両思い!?!? 俺と京子ちゃんが!? ぎゃああ!!」

大概私も言葉が足りない方であり、女の子からの言葉を良い様に受け取る彼の性質も相まって上手く伝わらなかったようだが、善逸の勢いに否定する気も失せてしまった。

「奥さん綺麗にするのが俺の役目じゃない? ね?」
「はい?」

両思い云々であればまだ流せた話が、彼の頭に掛かると結婚していることにまで発展できるらしい。流石に聞き流すことはできず反論させて頂くことにした。

「善逸の奥さんになった覚えはないし、夫が奥さんを綺麗にするっていうのもなんだか違う気が…いや、恋をすれば人は綺麗になるとは確かに言うけれど! まずまず私は人間が……っ!」
「? 人間?」
「……なんにも、ない……」

”人間が嫌い”
そんなことを言う人は少ない。白い目で見られることは私にも分かっている。自分も人間であるくせに何を言っているんだ、と。

「……髪の毛洗うの、手伝うよ。着物も脱がなくて大丈夫な方法、俺思い付いたし!!」

にしし、と笑う善逸に安心した。私の微妙な空気を読み取ってくれ、居心地のいい空気を作り出してくれる彼は、今まで会ったことのない性質の人間だ。

「着物を脱がなくていいなら……」
「じゃあ決まり! うふふふ〜〜京子ちゃんの髪の毛〜〜えへへへへ。」

でれでれとだらしのない顔をしながら、着物のまま湯の近くまで手を引かれる。そのままここにいる様にと言われ、せっせと風呂桶を逆さに並べる様子を見ていた。どこから持ってきたのか人が一人乗れそうなすのこ板を並べた風呂桶の上に乗せれば、小さな寝台のようなものが出来上がった。

「ここに頭をぎりぎりにして乗れる?」
「? 分かった。」

すのこ板は案外しっかりとしていたものの不安定だったため、慎重に乗り上げた。仰向けに寝転がるともうちょっと上、もうちょっと、など細かい指示を受ける。ちょこちょこと移動するとちょうどいい位置になったようで、善逸は満足気な表情を浮かべた。
端ぎりぎりで頭を支えている状態だったため首がきついと思っていると、彼が丸めた手拭いを首の下に挟んでくれた。おかげで案外体勢もきつくなくて済んでいる。

「顔に水がかかるといけないから、ちょっと手拭い乗せておくね。」

視界が白い布で塞がれる。ゆっくりと目を閉じると、水の音が聞こえてきた。どうやら桶か何かにお湯を溜めているらしい。

「髪の毛触るね。」

ん、と短い返事を聞いてから、彼の手がすのこ板から垂らしていた髪に触れた。その髪をお湯に浸けたのか、軽く引かれる感触と共に頭上からパシャパシャと音が響いた。
頭にお湯掛けるね、と断りをいれられ、温かいお湯が掛けられた。何か行動を起こす度に声を掛けてくれる気遣いに、私の身体のこわばりが解けていくことに気が付いた。自身でも気が付かなかったが、視界を塞がれて緊張をしていたらしい。ふ、と力が抜けたのを見計らったのか頭を洗う旨を言われ、石鹸のいい匂いが漂ってきた。

「痛くない? 体勢辛くない? 大丈夫?」
「うん、気持ちいい……」

先程食われた腕の痛みまで和らいでいくようで、気持ちよさから眠気が襲ってきた。

「眠い? 寝てていいよ。」
「…うん…」

霞がかった意識の中で、善逸の声が優しく響く。微睡んだ意識の中で曖昧に返事をすると、小さく鼻歌が聞こえてきた。耳はいい癖に歌はあまり上手いとは言えなかったが、優しい旋律は私の意識を夢の中へと落していく。ああ、きっとこれが子守唄と言われるものなんだろうと思いながら、私は意識を手放した。

◇ ◇ ◇


「……寝た?」

手拭いで遮られた彼女に小声で問いかけたが、返事はない。心地よい音を響かせる彼女は、本当に安らかに眠っている。
それにしても、と意識が一瞬で切り替わる。思い出すのは藤の花の家に入りたがらなかった京子だ。

「(……鬼殺隊の敷地に入ることを拒んだ、というよりもなんか、こう……)」

拒絶ほど酷い音ではなかった。どちらかと言えば”戸惑い”だ。本当に鬼に捕らわれているのではないかと不安になるが、こうして外出現場に居合わせることを考えると利己的な鬼がそのようなことを許すとも思えず、それではなぜ、と考えが起点へと戻ってしまうのだ。

「はぁ……聞いてみないと分からないけど……」

彼女からはもう一歩を踏み込まない、踏み込ませないという意思の音が聞こえる。そういう相手はかなり厄介で、耳がいい自分でも感情を大まかにしか読み取れない。
元々感情を読み取ったところでそれが何に起因しているかは本人しか分からないのだから、この場合は何の役にも立たない。

「(この子の働いている御屋敷に行ってみるのが一番、か……)」

鬼が巣食っているのであれば、それを退治するのが自分たち鬼殺隊の役目だ。そしてその可能性が少しでもあるのであれば、これは任務に値する。
──目の前ですやすやと眠る彼女が一番知られたくないことに触れることになるだろうが。

「(京子ちゃんが鬼に苦しめられているなら、俺は助けてあげたい…独りよがりかもしれないけど…)」

白い石鹸の泡が髪を通るたびに鬼の血で赤く染まっていく様子を見ながら、そう思った。破けた着物から覗く、簡素に手当てをされた新しい包帯が痛々しい。応急処置をしていた際に、ところどころに包帯が巻かれていることには気が付いていた。

「(もし鬼じゃなくても、人間から暴力を振るわれているのならそれはそれで助けてあげたい。……殴られるのって結構痛いんだ。)」

自分の過去を思い出しても、殴られた回数はそこらの人よりは多いと思う。人から拳を振るわれることは、意外と痛いのだから。

「……」

どちらにしても、彼女の今の立場はいいものではなさそうであり、そしてできればそこから助け出してあげたいと思うのだ。
泡を洗い流した頭をそっと撫でると、彼女から小さく嬉しさの音がにじみ出る様に聞こえてきた。この音は自分の行動によって奏でられていると思うとそれをもっと聞きたい、守りたいという願いが強まった。

「俺でも、助けられるかな…」

やるんじゃ善逸、と頭に響いた声にそうだよね、と返事をし、一人で静かに決意をした。

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