「ねぇ、いいでしょ?」
「そうは言っても…どこから連れてきたんだい、アンタの頼みでも困るよ。」
「私に禿がいびられるのと、どこの馬の骨かもわかんないこいつに全て押し付ける代わりに飯を食べさせるの、どちらが得か考えなくても分かりそうなもんだけどねぇ…」

堕姫と女将さんがあまりいい雰囲気とは言えない中、私は縮こまって正座をしている。
そんな私の様子に見兼ねたのか、女将さんは一つだけ深く溜め息を吐くと、諦めたように言った。

「ここでアンタの頼みを断って、他の子に当たられても困るからね。その子を虐めることはしないでおくれよ。」
「私の機嫌を損ねたあの子らが悪いでしょ?」
「蕨姫、アンタのそれは度が、」
「女将さん、置いてくださりありがとうございます。一所懸命、勤めさせて頂きます。」
「あ、あぁ……頑張んなね。」

折角話が纏まりかけたのに堕姫の機嫌を損ねられてはたまらない、と挨拶で女将さんの言葉を遮った。私の意図に気が付いたのか、しっかりと言葉を止め、私に励ましの言葉を掛けてくれた。
その女将さんの目が、ほんの一瞬だけ憐みの色を含んだことには気が付いた。ただそれも、瞬きをした後にはなりを潜めた。

「じゃあこの子連れて行くよ。」
「ええ。でも夕餉はこの子に持ってこさせて頂戴。あと、この子もここで食べさせるわ。」
「でもアンタ、客は…」
「今日は早い客は予定にいなかったはず。この子に部屋の片付け方を教えながら食べさせるから。」
「分かったよ。好きにおし。……そっちは付いてきな。」

堕姫を一瞥すると、付いて行け、と顎でしゃくられたので大人しく女将さんの後ろに付いて部屋を出た。

部屋を出たところで、背を向けていた女将さんがくるりとこちらを向き、肩を掴んできた。

「アンタ、どこから来たんだい? 本当に蕨姫に脅されているわけじゃあないんだね?」

小さい声だったが、それが彼女の迫力に拍車をかけていた。
堕姫に脅されてはいない。……はずだ。禿として働くことを断っていたらどうなっていたかも分からないが、一応私は自分の意思で付いてきたのだ。
女将さんの言葉に、違います、と答えると、彼女はほっと息を吐いた。だが、すぐに表情を強張らせて忠告した。

「蕨姫の機嫌を損ねるんじゃないよ。アンタが虐められて殺されかねないからね。」
「……重々承知しております。」

堕姫の子どもっぽさは良く知っている。私が生きているのも、無惨様の餌であるからに過ぎない。そうでなければ、私は既に堕姫にひねりつぶされていただろうから。

「そういえば、アンタ名前は?」

名前…言ってもいいのだろうか、と答えられずにいると、女将さんはあぁいいよ、と気を利かせてくれた。

「ここには、名前が無い子もよく来るもんさ。あとでここでの源氏名を考えな。」
「ゲンジナ……」
「源氏名も知らないのかい! ここで本名を名乗るのは極稀だ。そういうのは上客との秘密に取っておきな。」

遊郭では、堕姫の様に本名でない名で呼びあうことが普通であるそうで、その名を付けることがまずここに入るための第一歩となるのだ、と女将さんが説明をしてくれる。
源氏名がどういうものかは分かったが、肝心の名前を全くと言っていい程思い付かない。元々学が無く、話すのに困らない程度しか単語を知らない。正直、困り果てた。

「……あとで蕨姫と決めな。あの子はああ見えて、太夫になるほどの教養は身に付けているはずだよ。」
「はい……」

堕姫が名付け親になる。
私にとってこれ以上のことはないが、あの彼女が快く引き受けてくれるとは到底思えず、気が重くなった。

「まぁ、決まんなかったら私が付けてやるさ。アンタにぴったりな源氏名をね!」

そう頼もしく言ってくれた女将さんに、心の一部が温かくなる。絆される。
それを振り払う様に、はい、と返事をした。





長い廊下通り、階段を上ると目当ての部屋に着いたようで、女将さんがある襖の前に止まった。

「誰かいるかい?」
「はぁ〜い!」

女将さんの呼び掛けに、中から元気な、それでいて色気のある返事が返ってきた。
すーっと横にずれたふすまから覗いた顔は、それは綺麗な顔立ちだった。堕姫には負けるが。

「あら? 新入り? 新造かしら。」
「この子は蕨姫が拾ってきた。なーんにも知らないから、禿だね。この歳で禿はちょっときついが……」
「あぁ…そうなの……でも蕨姫の世話をしてくれるのなら……」

先程女将さんが浮かべた憐みの色を、美しい遊女も浮かべた。

「あの、よろしくお願い致します。」
「礼儀正しい子ね! これならお客さんもすぐつくわぁ!」
「この子に着物を見立ててやってあげな。」
「はぁ〜い! 私が可愛くしてあげるわ!」
「え、普通でいいです…!」

その細腕のどこに込めたのかと思われるほどの力によって、私の小さな反抗は無意味となった。
部屋に引きずり込まれると、色とりどりの着物に囲まれていた。

「(こんなに沢山…! それに、どれも高価なものだってすぐにわかる程…!)」

着物に関しては、時々無惨様の女型擬態用に一緒に買いに連れられたことがあり、本当に少しだけ触れたことはある。とは言っても、一番安価なものと一番高価なものを隣に並べて違いが分かる程度であったが。(ちなみに無惨様はやはり黒の一番高価な御着物をお選びになっていた。流石だ。)

「何色が好きなの?」

問われて気が付いたが、私には好きな色が無かった。困った様に笑えば、だめよぉ、と返された。

「遊女は自分を殺すのも大事な仕事だけど、自分の好みはどんどん押し出したほうが良いわよ!」

もしかしたら手土産が貰えたりするかもしれないわよ、と笑う彼女は茶目っ気たっぷりで可愛らしかった。歳は…私より少し上だろうか。

「色はいいから、柄とか自分の直感で選んだら? ほら、この大柄とか似会いそう〜! いや、こっちの小花もおしとやかでいいわね!」

まるで自分の着物を選ぶように嬉々として掛かっている着物を広げる。あまり荒らされると片付けが大変だ。早めに決めてしまおうと沢山の着物を見比べる。
あまり詳しくない着物は、自分の目には全て一緒に見える。ふと部屋の隅に目を向けると、深い赤地がちらりと目に入った。近寄ってそっと引き出してみると、大柄な黄色の花が描かれていた。花は金糸で縁どられていて、とても華やかだ。

「(この花…どこかで……)」

脳裏に浮かんだのは、派手な髪色をした鬼殺隊士の顔だった。
そうだ、あの髪に似ているのだ。

「何笑ってるの? あら、この着物綺麗ね! こんなものあったのねぇ〜! これにしなさいよ!」

笑っていたという自覚はなく、無意識のうちに笑ってしまっていたらしく恥ずかしくなったが、それよりもこの着物を選んだと思われて焦る。

「えっ、いやこれ派手だから……」
「派手にしなくてどうするのよ!」
「わ、私は禿ですし…!」
「あの蕨姫が連れている禿がみずぼらしい格好なんてできないわよ!」

確かに、と納得しかけたが、堕姫の横に立つ私が目立つ着物なんて着れないし、いいものであったとしても抑えた柄を着るべきだ。

「わ、私、やっぱりこっちに、」
「ほら、その着物脱いで!」

有無を言わせず帯を解いてきた。だめだ、彼女は童磨型だ。人の話を聞かない。
観念して、静かに今着ている着物を脱ぐ。

「アンタ、それ……」
「……あ……」

彼女の視線が、肌着から透ける沢山の包帯に向いている。まだ痛みが引かない腕の傷からは、何かの拍子で傷が開いたらしく、少し血が滲んでいて更に目立っていた。
包帯の巻かれた腕を抑えて黙っていると、彼女は私を優しく抱きしめてくれた。

「大丈夫。皆一緒よ。見えている傷も見えない傷も、みーんな抱えてる。隠さなくても大丈夫。誰も怖がったりしないわ。大丈夫、大丈夫よ……」

ゆっくりと優しく背を撫でてくれる。彼女の心臓の音は厚い着物で覆われて聞こえなかったが、優しい音が聞こえてくるようだった。

「困ったらいつでも頼って頂戴ね。」
「……」

はい、なんて軽々しく言えない。期待して裏切られるくらいなら、最初から信用なんてしない方が楽だ。
いつまでも返事をしない私から身体を離し、顔を覗きこむ彼女は、私の無表情を見て困った様に眉を下げて悲しげに笑った。

「……さぁ! 着替えを早く済ませちゃいましょう! 基本的には普通の着物と似ているはずだから──」

遊女の着付け方を教えてくれる彼女の話を聞きながら、頭の中はぐるぐると回っていた。
城の中だけで、変わらない日常を送っていたかったのに。
自分の人間への怒りと拒絶、そしてそれに反した赦しと未練を突き付けられることになるのだ。

その点、鬼は基本的に人間は”憎悪の対象”であったり”ただの食糧”であることが多いので、自分自身も拒絶の気持ちだけしか見ずに済む。

要は、楽なのだ。

「(案外面倒なことを引き受けてしまったかもしれない……)」

いつまでこの状態が続くのかさえ分からない中、自分の気苦労を思い浮かべ、心の中だけで深く溜め息を吐いた。

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