ディオスコロイ計画 小説 | ナノ





 そう、双りだけの空間がようやく始まったのだ。


 学校では担任が、家では母親が私たちの間を引き裂こうとする。
 何故、双りでいることを頑なに否定するのか、私たちには全く理解できなかった。
 確かに他とのコミュニティにより培うものもあるだろう。人によっては新たな関係性を求めるために他と積極的に関わろうとするものもいる。

 いつも大勢のグループの中心で視線を集めているものだっているのも確かだ。たくさんの友達に囲まれて幸せなのだろうとは思う。


 しかし、それは所詮それを是としている者にとっての幸せであり、また憧れの一種に成り得るものではないだろうか。
 それを是としない者たち、例えるなら私たちのようなものにとって、そういう環境においてコミュニティを形成することは決して幸せとは限らないのだ。
 不特定多数の支持者によって幸せだと定められた一定の基準は、確かにそれに値するものを数えれば平均の人数以上を占めるものかもしれない。
 そう、平均以上のそれでしかないのもまた事実なのだ。

 全ての人に当てはまるのならば、それを基準などとは言わず、定義であると言うだろう。
 結局、それを言えないほどのことでしかないのだ。


 私たちにとっての幸せは、ただ双りであること。
 それがこれまでの、そしてこれから未来永劫変わる事のない、私たちにとっての幸せの定義である。


 それを願いながらも、不思議と一つであったならばと望んだことはない。それは望んではいけないことだからである。
 一つであるということは、転じて双りではないということに他ならない。
 それではいけないのだ。
 確かに同じ躰であるならば、確固たる確信、事実とともに双りが離れる事はないと言えるかもしれない。


 だが、それでしかなくなってしまう。


 私たちが私たちを認識することが出来たとしても、他が認識できないということに不具合が生じるのもまた事実なのだ。
 身近な例えを出したとすると、朝ご飯が一人分しか用意されていなかったり、出席の際名前を呼ばれなかったりするのだ。
 確かに存在するのだと証明するものは何もなく、ただ子どもの戯れ言としてしかとられないだろう。


 わかっていた。
 そうなることは。


 だからこそ、私たちは願うのだ。


 違う入れ物であることを。

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