「もう大丈夫ですよ、美しいお嬢さん」
そう慰めてくれた彼に一目で恋に落ちた。
仕事の都合で横浜にやって来た私はストーカーに悩まされていた。常に感じる視線、いつの間にか撮られた私の写真が毎日のように届く。
其れは時折白濁した液体で濡れており、それが何なのか理解した時は思わず吐いてしまった。警察に相談して見回りを強化してもらったけどストーカーは一向に捕まらない。
鳴れない環境で精神的に追い詰められていた私に同僚が紹介してくれたのが株式会社PDA──横浜の何でも屋と呼ばれている彼らだった。
最後の頼みの綱として駆け込んだ私に誰もが優しくしてくれた。女性社員は優しく慰めてくれ、男性社員は不届き者がと憤ってくれた。
誰も知らない土地に一人で来た私にとってその優しさはとても安心するもので、子供のようにみっともなく泣く私のことを一際優しく慰めてくれたのが、──太宰さんだった。
『どうぞ使ってください。貴女のような美しい人に涙は似合わない』
気障な台詞と共に差し出されたハンカチ。優しい彼の声に、笑顔に、私は恋に落ちていた。
──今日も彼に会いに行こう。
PDAのお陰でストーカーは即座に捕まり、私の日常には平穏が戻ってきた。落ち着いて生活できるからか仕事面でもそれなりの結果を残せるようになっている。
もう何事もないのだから通う必要はないのだけど、私は太宰さんに会う為にPDAのビルに通っている。だって此処で終わってしまったら彼の中の私は「ただの依頼人」で終わってしまう。其れだけは厭だった。
PDAのビルは誰でも気軽に入れるように、と基本的に開放されている。現に今も依頼人ではないであろうおばあちゃんがロビーに設置されているソファーに座り、社員の宮沢賢治くんと楽しそうにお喋りしていた。
「あ、こ、こんにちは」
「こんにちは。太宰さん、いる?」
「えーっと…」
お喋りの為だけに来ていたら流石に顰蹙を買うだろうから手土産に菓子折りを持ってきたのでそれを掲げながら、偶然通りかかった社員の中島敦くんに声をかける。
見かけによらず力持ちという彼は大量の書類を抱えていても平然とした顔をしている。けれど私が太宰さんのことを聞けば判りやすく顔色を変えた。
言葉も濁されたし…もしかしてビルの中にいないのかしら?
外回りをすることもある、と聞いたことがあるのでそう聞けば「太宰さんは非番なんです」と言葉が返ってきた。
……それ、チャンスなのでは?非番で用事がないのなら是非一緒に……。そう思った時だった。
「へぇ!それでそれで?」
「それでね……」
太宰さんの声が聞こえてきた。そういえばPDAの社屋の上階には社員寮もあるって聞いたことがある。居合わせたのなら丁度いいかもしれない。
「見ない方が、」なんて中島くんの制止の声が聞こえてきたけれど、私は気にせずそのまま声がした方へ視線を向けて──固まった。
其処にはロビーの出入口から此方に歩いてきながら笑う太宰さんと見知らぬ女の子。太宰さんは顔立ちが整っているからよく女性に言い寄られていると聞くし、実際何度かそういう場面を見たことがあるけれど。
太宰さんがあんな風に甘く、蕩けるように笑うのは初めて見た気がする。
隣に立っている女の子の顔は見たことがない。然しその顔を見て息を飲む。
艶やかな黒髪、雪のように白い肌。まるで人形みたいな顔立ちの女の子。可愛らしい顔立ちだけど赤みを帯びた唇で色気も感じさせる、そんな不思議な空気を纏う女の子だった。
「それは楽しそうだ!次は私と行こうね?」
「ふふ、うん」
女の子の髪を指先でくるくると弄る太宰さん。あんな風に誰かに触れているのも初めて見た。駆け寄って私を見て!だなんて言ってみたくなったけれど、二人の間に入る勇気が私にはない。
「今日は千尋の手料理が食べたいなぁ。作ってくれるかい?」
「別にいいけど…いつも治くんが邪魔するんじゃない」
「しないとも!だから、ね?」
「……本当に邪魔しないでね」
「ふふふ、勿論」
楽しみだねぇと笑って太宰さんは自然な動作で女の子の手を握る。
あんな風に甘い声で何かを強請るのも初めて見た。きっと、あの女の子は「太宰さんの特別」なんだろう。だってあんなにも優しい目で見てるもの。
声をかけることも出来ず立ち尽くす私の方を太宰さんが漸く見てくれた。けれど何かを言う訳でもなく、視線を逸らし女の子との会話を楽しみながら横を通り過ぎていく。
「千尋、好きだよ。君だけを愛してる」
「……突然どうしたの」
「んー急に云いたくなってね。云わないと溢れて零れてしまいそうだから、零れてしまう前に云わないと」
「なぁに、それ」
「千尋は云ってくれないのかい?」
「……帰ったらね」
少し照れたような女の子の声と、とびきり甘い太宰さんの声が遠ざかっていく。最後まで太宰さんは私に何も言ってくれなかった。
「あ、あの……」
「……急に来て、ごめんね。帰ります」
「あ!」
心配そうに此方を見てくる中島くんに一言謝ってビルを出ていく。何も考えたくなくて、そのまま自宅まで駆けた。
恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい!
勝手に思い上がって、叶うと思って。どう足掻いたって叶わないということを見せつけられた。太宰さんの中では私は「ただの依頼人」なんだろう。
泣いていたからハンカチを差し出して慰めた。それは彼にとって仕事の一環だったのかもしれない。それを本気にして、私は。自宅に辿り着いて玄関を開けて、安心感からか緊張の糸が切れたのか目からぼろぼろと涙が零れていく。
「うっ…うう〜〜…」
太宰さんにとっては仕事の一環だとしても、私はあの時の優しさに随分と救われた。その事実は変わらない。嗚呼、でも。すっごく悲しい。
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弓月さま、リクエストありがとうございました〜!
このリクエストをいただいた時、モブ子ちゃんは失恋確定だなと悟りました笑
本当はモブ子ちゃんが嫉妬のあまり夢子ちゃんに襲い掛かる…というのも考えたのですが、穏便に!失恋してもらいました!(?)
本編では主要キャラや夢子ちゃん視点が基本だったのでこうしてモブ視点で書くのは新鮮で楽しませていただきました〜!
本編は終了しましたが番外編を細々と書いていく予定ですのでお付き合いいただけたらと思います!
改めましてリクエストありがとうございました!