黄昏時。逢魔が時。すれ違う誰かの顔も見えにくい時間。
気をつけて、じゃないとあちらに連れて行かれるよ。
「審神者になっていただけませんか」
橙色と紺色が混ざり合って紫色になっている空を眺めながら帰路についていると、そんな風に声をかけられた。
気が付けば周囲に人影はなく、声の主は千尋に向かって声をかけたのだろう。そんなことを思いながら声の主を見れば見るからに怪しい風貌の男が立っていた。
黒いスーツに黒いネクタイ、それだけ見ればまるで葬儀屋のようではあるが、顔を隠すようにつけている妙な紋が刻まれた布が怪しい人物であると主張している。
「審神者になっていただけませんか」
じっと観察していると、もう一度男が云う。
審神者、とは。申し訳ないが千尋の知識の中に「審神者」なんてものはない。故に説明を求めているのだが、男が説明してくれる様子はない。首を傾げる千尋に向かって男が一歩近付いてくる。つい、後ろに一歩下がってしまった。
「この国を、日本の歴史を守っていただきたいのです」
「……あの。仰る意味かよく、」
「貴女にはその力がある!」
「ひ、」
興奮した様子の男に恐怖しか抱けない。そもそも審神者とは何かを問うているのに何故教えてくれないのか。その耳は飾りなのだろうか。
まさか、裏社会とか。そんな考えが頭を過ぎる。そうではないとしてもよく判らないこの男には近づきたくない。興奮のあまり更に近付いてきた男につい悲鳴が漏れた。
それに呼応するかのように千尋の影から黒い手が幾つか出てくる。威嚇するかのように鋭い爪先を擦り合わせる「手」たちに驚いたのか男が動きを止めた。
今が好機(チャンス)だ、と千尋は今歩いてきた道を走り出す。背後で男が何事やら云っていたが聞く気もない。
走って走って、男に家が知られぬように遠回りしつつ自宅があるマンションに辿り着いたのは太陽が沈み辺りが暗くなった頃だった。
漸く此処まで来ることができたが油断は出来ない。気を引き締める千尋の目に見慣れた赤銅色の髪が映る。マンションの前に立つ彼に向かって勢いよく抱き着いた。
「ぅお!……どうした?」
「ち、ちゅーやぁ……!」
「あー…大丈夫だ、だから落ち着けって。な?」
千尋の様子がおかしいことに気が付いたらしい中也の優しい言葉に涙が止まらない。幼子のようにボロボロと涙を零す千尋の背を中也は優しく撫でながら、何があったのかを問うてくる。
中也の胸元に顔を埋めつつ不審者に出会ってしまったのだと告げようとしたが、それを口にする前に重苦しい空気を感じ動きを止めた。
「ねェ。千尋、何、してるの?」
笑みを作ろうとして失敗したような、そんな歪な笑みを浮かべる太宰が千尋と中也のことをじぃっと見つめていた。最初からそこにいて、千尋たちのやり取りを見ていたのだろうか。
中也の胸元から顔をあげて太宰を視界に入れた途端、千尋の涙腺は再び決壊した。
「お、おさ、治く…!こわ、怖かった、よぅ……」
「え、あ、ちょっ、千尋?怖くない、何も怖くないからね。だから泣き止んで?」
「治くん〜〜!」
らしくなく子供のように泣きじゃくる千尋に太宰が慌てる。中也から離れて太宰に手を伸ばせば困惑しつつも太宰は千尋を受け入れてくれた。
ぎゅう、と抱き締められる。大好きな匂いと体温に包まれて、漸く安心だと肩の力が抜けた。然し問題は解決していない。あの男が一体何者で、何が目的で千尋に近付いてきたのかがさっぱり判らない。男に云われたことを太宰と中也に伝えると、二人とも首を傾げている。
「変な男の人が、急にそんなこと云いながら近付いてきて、」
じわり。また涙を浮かべる千尋を太宰が更に抱き締める。中也が険しい顔をして、尾崎に電話をしているなんて気付きもしなかった。
「何があっても君を守るから、怖いことなんて何もない。だから安心して」
「…うん。有難う、治くん」
千尋が様子のおかしい不審者に絡まれた、というのは中也の手によって保護者の尾崎に連絡された。昔から千尋のことを妹のように可愛がっている尾崎の怒りは凄まじく、東都まで駆けつけ男の特徴を聞いた後「引き裂いて切り刻んでやろうかの」と笑んでいた。
金色夜叉を発動し今にも人を殺しそうな尾崎を言いくるめ、落ち着かせ、太宰は今千尋と共に横浜の自室にいた。太宰の腕の中で微睡む千尋は今は落ち着いているが少しでも男のことを思い出せば怯え涙を零す。その度に大丈夫、守るからと言い聞かせているのだがそれでも千尋は怯えている。
泣き過ぎて赤く腫れてしまっている目元に優しく口付けを落とす。千尋は声をかけられただけと云っているが本当にそれだけだろうか。
「千尋。辛いだろうけと、もう一度教えてくれるかい?本当に声をかけられただけ?」
「……うん。審神者になりませんか、この国を守ってください、ってそれだけ」
「そう……」
すん、と鼻を鳴らす千尋をぎゅう、と抱き締める。治くん、苦しいよ。なんて云いながら少しだけ笑ってみせる姿は強がりにしか見えない。
気丈な彼女がこんなにも憔悴するなんて。件の不審者に殺意を抱きつつ、優しく髪を梳いてやる。夜もあまり眠れていないようだし早く何とかしなければ。
「あ、でも」
「うん?」
「あの人の言葉に頷いてしまったら、戻ってこれなくなるような。そんな気がした」
男はこの時代の人間ではない。2205年、時の政府が治める遠い未来の人間だ。そんな彼には政府から課せられた任務がある。それは「審神者」の適性を持つ者を集めること。
審神者。それは物に宿りし思いを具現化し姿を与える力を持つ者。
2205年では時の政府と歴史修正主義者と呼ばれる者たちが戦争を繰り返していた。歴史修正主義者たちは歴史を変える。愛する人が死なない世界を、憎い人間が死ぬ世界を求めて過去へと飛ぶ。
それを阻止するのが審神者であり、審神者が使役する刀剣男士だ。しかし審神者は誰しもがなれる訳ではない。適性がある者にしかなれないのだ。故に審神者数は少なく貴重であるのだが、戦争が長引くにつれ審神者は減り質より量で押してくる歴史遡行軍に押され気味だ。
苦肉の策として政府が出した案は過去から適合者を連れてくること。その役目を男は任されたのだが。
「大変申し訳ございませんッ…!!」
現在男は自身を殺してしまいそうな目で見てくる集団に向かって土下座した。
事のきっかけは一人の少女と接触したことから始まる。酷く怯えた様子の少女のことは資料を見て知っていた。
一野辺千尋、異能力と呼ばれる力を持つ少女。外見も人形のように美しく見目麗しい刀剣男士に囲まれれば、それはそれは美しい光景になりそうだ。
──こんな美少女が刀剣男士さまたちを従えて戦うとか胸熱。
言い訳をさせてほしい。疲れと興奮でテンションがハイになっていただけなのだ。だから断じて彼女を襲おうとかそんなことは考えていない。
時間を置いて冷静になった男は取り敢えず彼女に謝罪して改めて説明しよう。そう考え会いに行った先で男を待っていたのは怒りの集団だった。
赤銅色の髪の青年に殴られ、黒い獣のような生き物に動きを奪われ、首元には刀を突きつけられ。件の少女は泣きそうな顔で傍らの青年にしがみつき、青年はそんな少女を優しく抱き締めている。
「修羅場だ……」
「誰の所為だと思ってンだ?あ"ぁ?」
「すみません自分の所為です弁解させてください!!」
額を床に擦り付けながら男は叫んだ。彼女を抱き締めている青年に「とっとと目的を吐いて目の前から消えてくれる?」と凄まれ、男は洗い浚い吐いた。審神者のことから時の政府のことまで、機密で言えないこと以外は全て、綺麗さっぱり。
「私は反対です。千尋にそんなことさせられない」
「太宰くん。それは一野辺くんが決めることだよ」
此方を殺してしまいそうな瞳で睨んでくる青年にビクビクしているとオールバックの壮年の男が宥めてくれる。
壮年の男の言葉にその場にいる全員の視線が少女へと集まった。
「…治くんが駄目って云うならしない」
「そ、そこを何とか!!」
再度頭を下げる。
歴史が修正されてしまったら大変なんです。この場にいる方々にも影響があるかもしれません。貴女にしか出来ないことなのです。
言い募ると少女の目が揺らぐ。このまま押せばいけるのでは…?ふとそんなことを思った男に向かって青年がにこりと笑んだ。
「どうしてもって云うんなら私もその本丸とやらに行く」
「エッ」
「駄目なら千尋を殺して私も死ぬ」
「エッ」
今までこんな脅し文句があっただろうか。
審神者を勧誘する中で断られたことも勿論ある。しかしその時は納得してもらえるように言葉を重ね、条件を提示していくのだが心中発言をされたのは初めてである。
困惑しながら青年を見ていると青年はとろりとした目を少女に向けて微笑んでいた。
「千尋もそれでいいよね?」
「いやいやいや」
「…………。うん、それでいい」
「勘弁してください!!」
何だこの人ら、と思ってしまったのは許してほしい。
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紫苑さま、リクエストありがとうございました!
本編の方もお付き合いいただいてありがとうございます^^
審神者になったら、というより審神者就任までの修羅場といったような形になってしまいましたが如何でしょうか?
この後の流れとしてはとうらぶ二次創作あるある兼業審神者、みたいな感じで本丸にはいかず端末で指示するような審神者になるのかなぁと。
刀剣男士に囲まれて慕われる夢子ちゃんを見て嫉妬にかられる太宰さんとか最高じゃないですか…??いちゃらぶを見せつけてほしい…。
愛讃歌は終わりましたが番外編も書いていく予定ですのでお付き合いいただけたら嬉しいです( *´艸`)