月亮心【後編】


 闇を恐ろしいと感じたことは無かった。

 祓い屋の家系に生まれ、生まれもった妖力の強さを認められた時の周囲の喜びよう。人には視えない「それ」が妖であり、人に仇なすものであると教えられ、それらを調伏するがために力を磨く。それが静司の総てだった。
 そして自分は、闇の側に属する人間だと、静司は知っていた。闇を駆逐するために身に宿す、闇の力。現世のものではない、異形の能力。
 静司は何時も思っていた。
 ──ならばいっそ、現世のものなど何一つ見えずともよいのではないか?右眼ばかりか両の眼を、妖どもに呉れてやればよいのではないか?
 だが、そこには的場一流の計略がある。右眼を餌に、大妖の力を得るという算段は、痛快なほど合理的だ。致し方無い、今しばらくこの不愉快な世界を見続けてやろう──。
 光の世界、馬鹿馬鹿しい人間の営みを見るにつけ、それを嘲りながら、静司の眼はなお常世を見続けた。そこには光らしきものは無かった。現世の輝くものは、たとえ瞳の端に映っても、すぐに何処かへ消え去ってしまう。お前には関係のないものだ、と囁きながら、すぐに見えなくなってしまう。静司の手はそれを捕まえることはできない。死せるもの、滅びゆくもの、常世の存在。静司の手が触れられるものは、常に闇に閉ざされたものばかりだった。

 そうして、いよいよ真の闇に閉ざされた視界の中。
 朔の闇に浮かぶ、昏い灯りに浮き上がる静司の身体は、最も死に近いものでありながら、何よりも輝くまばゆい光を放っていた。
 それは静司が嘲り、嫌悪した、馬鹿馬鹿しい人間の営みそのものだった。
 そしてそれは、官能そのものでもあった。
 光無い世界を、手触りと嗅覚だけで手繰る。襦袢は乱れ、帯は弛み、結った髪も解け、痩せた手足が褥を這い回る。力無く萎えた手足が、それでも強烈な飢餓感に突き動かされて、満たされない何かを求めている。
 本能という言葉で行為を誤魔化すのを、静司は好まない。衝動の源泉を律することは出来ずとも、行動を決定するのは意思にほかならないからだ。本能とは後ろめたさの言い訳に過ぎない。それはまさに、性愛に関しては殊更顕著に現れる。
 真闇の中を、手探りで探し当てた熱い身体は、男の膚の匂いがした。それは不快な匂いではなく、静司に劇的な興奮と高揚をもたらした。首の太さ、胸の隆起、筋肉の形、体温──見えないことが、なお一層激しく飢餓感を掻き立てる。指先が触れる顔がどんなものであったか、その目鼻立ちがどうであったか──その唇は、どんな色をしていたか。
 闇の中を泳ぐように、静司は周一の唇に自らの唇を押し当てた。当たり前のように繰り返した口付けは、とても不思議な行為のように思われた。何故そうしたいのか──何故こんなにも唇に触れたいと思うのか。
「……っふ……」
 徐々に深くなっていく口付けは、静司を激しく昂らせた。周一は静司の薄い唇を塞ぎ、熱い欲望を容赦なく注ぎ込んでくる。
 挿入される舌の感触が淫靡で、あからさまに行為を想像させる律動が猥褻きわまりなく、静司は身の不自由さえ忘れ、夢中になって周一の唇を吸った。熱くて、柔らかくて、激しくて、愛しい──愛おしい唇。
 襦袢と肌がこすれるわずかな衣擦れさえも耳の奥に響く。
 裸の背を抱くと、静司の手に周一の均整のとれた背筋の形が伝わってくる。背骨の在処、それが尾てい骨へ至り、形の良い尻へと手が伝う。
 ぴったりと身体を寄せ合うと、互いに屹立した性器が触れ合った。思うままにそれを擦り合わせると、ぬちゃぬちゃと淫らな音が鳴る。ゾクリ、と背筋に電流が走る──。
「しゅ、いち、さ……凄……」
「凄い?何が?」
 からかうように耳たぶをねぶられると、静司の背は弓なりに反り返り、同じタイミングで雄芯の質量がぐんと増す。
「耳と、首と、顎と……静司の好きなところ、みんな知ってるよ。静司のいやらしいところ……」
 いつもよりワントーン低い声が、情欲に煽られてかすれて聞こえる。静司は縋りつくように周一の肩を掴んで震える。
 そのまま敷き布団の上に押し倒されたと思いきや、周一の舌先が胸の突起に触れると、ビクンと身体が波打った。大きな乾いた手が愛おしげに胸を撫で、硬く尖らせた紅い舌が、発情した性感の枢を愛撫する。その生々しい感覚が、静司を支配する闇の中に灯りを点す。たった今互いに貪りあったあの唇が、今度は胸に──ただ愛撫されるためだけにある淫らな突起を啄んでいる。
「勃ってるよ、静司……」
 やんわりと下腹部に手を這わされ、身体の中が激しく疼き出す。
 そして、ようやく静司は理解する──それは、人間が人間である所以。

 何故、欲しくてたまらない。
 何故、恋しくてたまらない。
 何故、愛しくてたまらない。

 この凶悪なまでの情愛は、切り離せない死の絶対性に裏打ちされた感情だ。言語化できないほどの強烈な憎悪、愛、狂気──壊れてしまいそうな悦楽。
 それは永遠の中にはあり得ない、刹那の激情。愛するならば死の運命を選ばねばならぬ。有限の生を生きねばならない。震えるような快楽、性感、絶頂──それは死という運命を引き受けるしかない人間にのみ与えられるまばゆい喜悦。

 世界から切り離されたような自分もまた──死から逃れられず生の中でもがく人間なのだ。

 周一の愛撫が到達する頃には、待ちきれないかのように性器からは透明な蜜が溢れて、静司の股間を濡らしていた。
 その部分──尖端の卑猥な膨らみを、周一の唇がダイレクトに包み込む。
「ひッ……!」
 優しい舌使いが却って身体の奥に火を点ける。チュパチュパと舐めねぶる音が、与えられる刺激に呼応して、性器は火傷しそうなくらいに熱く火照っている。奥から溢れ出す蜜が止まらない。まるで──男を求める淫らな女のように。
「んっ、ん、うんッ……!」
 どうにか声を抑えようとしても、どうにもならない。床に背を擦るようにして、恐怖にも近い快楽から逃げ出そうとする。
 周一は唇をすぼめ、じゅるじゅると音を立てて反り返った静司の淫芯を吸い始めた。煽るようにわざと大きな音を出している。
 自分の性器から漏れた淫液が周一の口に入っていると考えただけで、体の奥が猛烈に疼いた。閉ざされた視界が、余計に卑猥な想像を掻き立てるのだ。
 荒い呼吸が、浅く切れ切れになる。股間に埋まった周一の髪を掻き回し、口元に指を這わせると、周一の唇は静司の指を優しく噛んだ。
「あ」
 些細な刺激が、蛇のようにのたうつ快感になる。舌の愛撫が指と性器の間を行き来して、その間に膨張する快楽の洪水は、あっという間に白濁となって吐き出される──。
「……いっぱい出たね、静司」
「う……ぅ、ぁ……」
 応えることもできず、ただ荒い息だけが洩れる。
 痩せ衰えた脆弱な身体は、それでもまだ生きている──そのことが不思議なくらいだ。ただ床に伏せているだけでも、この身体が明日まで生き延びることを信じられなかったというのに。
「静司、大丈夫?」
 もつれた髪を手櫛にすかれ、静司は近くにある周一の顔を両手で探り当てる。何も見えない──光の明暗さえ映さない闇に、愛しい男が確かにそこに居る。
 それはまるで、昏い闇路を照らす月の光だ。
「周一さん」
「うん」
「抱いてください」
「……辛くないか」
「……あなたに抱かれない夜など要らない──」
「……」
 静司、と愛しい声が名前を呼ぶ。荒れ狂うような衝動が爆発したように、周一は静司の身体を押し開く。既に淫汁に濡れそぼったそこへ、周一が腰を落とすと、少しずつ鋼鉄のような肉の塊が内部に埋もれていく。周一の苦しげな呻きが聴覚を刺激する──あからさまに余裕は無く、だがゆっくりと、苦痛を感じさせないようにといういたわりを、行為そのものが語る。
 周一の逞しい性器は、静司の内壁がいっぱいになるまで広げてしまう。ゆっくり時間をかけて太い異物を呑みこんでいく静司は、細い腰を高くあげられたまま、これ以上もなくいやらしい格好で犯されていた。
 性器が穴の奥まで収まると、周一は深く息を吐く。うつろな静司の目は潤んで、頬は染まり、半開きの唇からはだらしなく涎が垂れている。自分がどんな有り様か、想像するだけで死んでしまいそうなくらい恥ずかしいのに──もう死んでもいいくらいに、この繋がりが愛おしい。
「静司、触ってごらん」
 周一の手に導かれて、静司の指先は二人の結合部分に触れる。繋がっている部分はとても熱い。
「……あ」
 穿たれる鋼鉄と、貪欲で淫乱な肉穴。わずかにたわんで盛り上がった小さな入り口に、血管を浮かせた逞しい怒張が突き刺さる──どんなふうにくわえ込んでいるのかは、触れてしまえばよくわかる。卑猥な行為に触発されて、静司の性器は精液の残滓のような、透明に近い粘液をトロリと吐き出した。
「凄い、硬いのが、お腹の奥まで入ってる……」
「こっちはもう……入れてるだけで射精しそうだよ」
 冗談でもなさそうな口調に、静司は微笑する。周一はゆっくりと腰を引いて、またゆっくりと奥へと肉の棒を潜り込ませた。
「く……」
 強烈な締め付けに、周一は呻いた。結合から突き動かされるまでのインターバルは、常にもどかしくも鮮烈で、そしてたまらなく刺激的だ。
「あっ、あっ……!」
 熱く律動するペニスが静司の柔らかい肉襞をにゅるにゅると擦り、互いに目が眩みそうな程の快感を生み出す。唾液と精液でドロドロになった静司の股間に激しい抽送が繰り返され、静司の指は見えぬ目の代わりに、その結合に触れて刺激を伝える。

 なんという行為──。

 周一の怒張した性器が、静司の蕩けた後孔を激しく犯している。あの名取周一とは思えない、狂暴な雄の角が、恋人の肛門を広げてぐちゃぐちゃに掻き回しているのだ。
 平素の温厚な人柄からは想像もつかない、その落差を想起しただけで、静司はもうたまらなくなる。静司を欲する者は五万と居る。だが駄目だ。百万の者に求められようと、命を天秤にかけられようと、駄目なものは駄目なのだ。
 この世にただ一人、魂が選んだこの男でなくては──。
「周一さん……!」
 奥まで突き刺さった時の、痺れるような鈍痛が言葉にならない快感だ。何度も激しく揺さぶられ、下肢が痺れを起こしているような感じがする。身の内に飼う妖など、もはやこの溶けるような快楽には太刀打ちできまい──。
 貫かれて揺さぶられ、もう静司に余裕はない。息をする間もないくらい、激しいストロークに全身ががくがくと震える。繋がった身体の奥で、周一の怒張が破裂しそうに膨張していくのが判る。
 次の瞬間、背筋に雷火が走り、全身を痙攣させながら静司は吐精した。二度目のせいか精液の量は幾分少なかったが、その快感は凄まじかった。後孔に男の怒張を突き立てられたまま、静司は自分の腹と胸に熱い精液が散るのを感じた。
 その突き入れられた穴の奥では周一が切なく震え、切羽詰ったようなくぐもった声が静司の鼓膜をくすぐった。ほとんど同時の絶頂──その低く淫蕩な唸りは雄の色気に満ちて、静司の背筋は激しく震えた。

 喰らい合うように愛し合う──その果てには、互いの意識を真っ白にする強烈な絶頂。
 それはまさに死の暗喩のようだと、静司は思った。








 再び満月が巡る頃になると、静司の身体はほぼ万全の状態に戻りつつあった。
 朔を過ぎた頃から徐々に静司の目には光が戻りはじめ、二、三日を経た頃には、視界の違和感は完全に消えてしまったのである。
 朔を経て、月が満ちていくにつれ、呉剛なる月の妖の力は弱まってゆくというのが定説ではあったが、静司はもはや、この身体の中にはあの不憫な月の精は居ないのではないかとさえ訝っていた。
 元より地上に住まう人であった頃と、月に棲まう妖となった今と、根本的には何も変わらないのがこの妖の不可思議な所だ。伝説を鵜呑みにするならば、月の天人によって彼が木犀ごと月宮殿へと連れ去られたことを思えば、その理由も明らかなのだが。妖然とした異能を感じない──はっきりとした妖力を感じ取れない以上、あくまで断定はできないのだが。

 周一はと言えば、相変わらず離れにあつらえられた寝所で、日々静司の側に付き添っていた。朔から満月まで──つまりほぼ半月である。
 仮にも売れっ子俳優が電話一本で世間から失踪してしまい、予定してあった撮影も番組出演もことごとくふいにしたというのだから──むしろ静司としてはその選択が信じられない。やたら熱心に仕事をこなしているかと思えば、こんなふうに平然とキャリアをふいにするような真似を平気でやってのける彼の心理は、もはや永遠の謎だ。
 夕暮れの東屋に腰掛けて、静司は下働きの者に買ってこさせたゴシップ誌に目を通す。表紙は周一の胡散臭げな笑顔のアップで、見出しは「名取周一失踪!?ドラマ降板、キャリア転覆の危機」──ここでも取り沙汰されてるが、ドラマの撮影など、番組側が一体どうしてやり過ごしたのだろうと思うと、何だか少し自分が悪い事をしたような気持ちになる。
「……何をつまらないものを見てるんですか」
 背後から声をかけられて、ヒョイとつまみ取るようにそれを奪われる──この半月で七瀬に代わり、すっかり静司のお目付け役が板についた周一だ。静司は釣り上げられた魚のように反り返って、週刊誌を奪い返した。
「いよいよ干されそうですね、芸能界」
 意地悪く言った静司の傍らにゆったりと腰掛けると、周一はフフンと笑った。
「経済の外部性、ですよ。的場の頭主たるもの多角的に物事を考察しなければ」
 謎めいた微笑と共に、周一は余裕の表情で静司を見た。
「ふうん。どういう意味ですか?周一センセイ」
 思いきりバカにした口調にも、周一はひるまない。
「いいですか。俳優がいきなり撮影をドタキャンするとします。当然番組製作側は大迷惑だ。俳優自身もイメージダウンは必至。事務所の信用問題でもありますし、実際、干されるかもしれません」
「ざまあみろ」
 静司はべ、と舌を出した。すかさず周一は静司の細い顎をとらえて、出された舌を絡め取るようにキスをする。
「……!」
 ちゅ、と音をたてて唇が離れる。不意を突かれた静司は真っ赤だ。周一は、まるで何でもないというような顔をしている。その手には静司が奪い返したはずの週刊誌──柔よく剛を制したのかどうかは知らないが、静司は無性に腹が立った。
「……でも、この週刊誌もほかのゴシップ誌もバカ売れだ。仮にどこかの張り込み記者が私のスクープ──写真の一枚でも撮れば、その倍は捌けますよ。印刷所だってウハウハじゃないですか」
「……」
「芸能事務所としても、実はこういう事に対して全く旨味が無いわけではない。地雷系の方ならともかく、私は人格者で通ってますからね。一度や二度の醜聞はあくまで有効な売名の範囲内だ。事務所は今頃、会見やインタビューで取れる数字を計算してるんじゃないですかね」
「……二重人格の間違いじゃないんですか」
「ははは上手いなあ静司。──ま、ともかく私がちょっとくらい姿を消しても、相対的に喜ぶ連中の方が多いということです。ご心配には及びません」
「心配なんかしてませんよ」
 静司はぶっきらぼうに言った。
「……芸能界なんか、さっさと辞めてしまえばいいんです」
「静司?」
「税金対策の職業なんて、ほかに幾らでもあるじゃないですか」
「いや、別に税金対策のためだけってわけじゃ……」
 打って変わった周一の弱々しい反論は、静司の剣幕に即座に掻き消される。
「身分を明かされてまずい立場の人間が実名で芸能活動なんて、まともな頭じゃまず考えられませんね。周一さんが少々足りないのは昔から知ってますけど」
「サマセット・モームだって元諜報部員じゃないですか」
「諜報部員は衆目に晒されたりしないんですよ、周一さん」
「いや、そりゃまあ……」
 ──フフンと嘲りせせら笑いながらも、静司は苛立つ。
 そう、苛立つのだ。
 言いたい事が言えないもどかしさに──どうしようもない他人の事情に首を突っ込んでまで、自分の都合を通したいと願う馬鹿さ加減に嫌気が差すのだ。自分が相手の選択の中心になければ我慢がならないという幼稚さに。

 ──ただ一言、もっと側に居て欲しいと、言えないがばかりに。

 互いが無言になった途端──少し汗ばむくらいの気温の中を、さあっと澱みを掃き払うような風が吹く。
 頬を撫でる優しい風──だが、目を醒ますような風に、二人は同時に空を見上げた。
「……」
 まだ少し明るさの残る空に、月輪だけが見える。今宵はようやく満月だ。天に雲の翳りは無い。この夜の満ち月は、どんなに美しいことだろう──。

 月の桂を刈る妖は、無欠性の顕現である満月には姿を現さないという。彼は月の陰性、死と闇を司る暗黒の化生だからだ。
 静司は死にゆく月を介し、呉剛に魅入られた理由が何となく判った気がした。

(きっと、お前とおれは、同じ愚か者なのだな)

 彼がかつて愛したという太后が、真に自分に瓜二つであったかなど知るよしもない。あの真闇の中、瞼の裏に見たのは幻影であったかもしれないし、彼の記憶と自分自身の心が混ざり合った情報の残骸に過ぎないのかもしれない。だが、所詮同じ穴の狢だ。
 愛する者に、想いを伝えられなかった闇の亡者のなれの果て。妖は彼の者か──それとも己か。

 異なるものがあるとすれば、静司にはまだ時間が残されているということだ。彼は永遠の時間に繋がれた亡者の妄執が形を成した、遠い過去の想いの残滓。だが静司は──生きている。死に寄り添いながら、闇を見つめながらも、限りある命を生きる旅の途中だ。
 強い風から守るように、周一は静司をやんわりと抱き締める。その腕の優しさ、強さ、温かさ。静司の昏い世界の中に見える、それは一筋の光だ。

 静司の旅の目的地は、死にゆく月の影の中には無い。かの妖の求めるものもまた、この地上にはもはやあるまい。

 ──ならば、この風に乗って、今宵月へと還るがいい。
 さまよえる闇の旅人よ。

 月の輪郭は、少しずつ濃くなっていく。
 静司はひとふさの髪を自らの手に取り、懐に忍ばせた小刀を取り出して刃を当てた。
 断つでもなく、切るでもなく、それは音もなくはらはらと、風に乗って、空へと舞う。
 つむじ風に巻かれて──天高く。

 それはまるで言葉のように。
 餞のように。

 彷徨える、愛のように。


【了】


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