愚者たちの選択【第三話】
Dear karu様


 玄関のシューズボックスに突っ伏す格好で、静司は帯を解かれた着物を着たままに、尻を突き出した卑猥なポーズを強いられる。
 乾いた大きな手が首筋から背中に、そしてわき腹と伝い撫で、さらに背後に跪いた周一が、その白く柔らかな双丘を割り開いて中心の窪みにやんわりと舌を押し付けると、体内に雷火が走り抜ける。腰が落ちてしまいそうになるのに、静司はかろうじて縁にすがり付いて耐えた。
「しゅ、周一さ……そんな、いきなり、あ……!」
 いつもならねちねちと堀から攻める周一の、思いがけない選択に静司は震える。剥き出しの欲求に濡れた舌、柔らかくも強引に押し入ってくる、淫らな蠢き。
 雄の芯がピンと立ち上がって、トロリとだらしなく涎を垂らす。

 ──恥ずかしい。

 頬を真っ赤にして、静司は羞恥に耐える。幾度も鬱々と男を受け入れてきたそこが、今ばかりは悦びに震える。
 身の内に異物が侵入する違和感に、静司はどうしても慣れることができない。行為自体は日常的なものだ──この身体と引き換えに、手にしたものも幾つもある。行為だけではない。長い髪も、紅い目も、すべてが交渉材料だ。
 だからといって、犯されるのが平気なわけではない。好きこのんで行為に及ぶわけではない。目的は対価として支払われる何がしかのものであり、行為そのものが目的であったことはついぞ無い。是か非かを問われれば、考える間でもなく静司は拒絶するだろう。セックスとは、そういうものだ──相手が女であっても、男であっても。
 けれども、周一の愛撫は、いつも静司の頑なな嫌悪をいとも容易く溶かしてしまう。その卑猥で、あからさまで、大胆な官能はまるで炎のように、凍てついて閉じた身体を開いてしまう。その時はじめて静司は、己の身がいかなる意味でも道具でないことを知る。モノに成りきれぬ、自らの心を知るのだ。
 鈴口から落ちる透明な液が糸をひいて廊下を汚す。周一の指がそれをペニスの先からすくい取り、舐めいたぶる後孔に塗りつけて、指先に持て余した雫を音をたてて舐めしゃぶる──こんな格好で、丸出しの肛門にペニスから溢れた淫液を塗りたくられて、恥ずかしくて堪らないのに──嫌じゃない。
「もっと……」
「うん?」
「……もっと、奥に、欲しい……」
 うわごとのように口走る、自分の唇から洩れる言葉が静司自身を高揚させる。鼻にかかる甘ったれた声は、到底自分のものとは思えない。
 周一の唇が邪悪に歪むと、後孔の中に骨張った長い指がにゅるりと潜り込む。それはせつないほど甘ったるく、少しずつじりじりと奥深くへと歩を進めてくる。
「あ……あ」
 ──早く、もっと、奥に。
 言葉にできない卑猥な淫欲が頭をもたげる。奥の奥まで突き上げて、死ぬほどおれを揺さぶって。思うまま弄んで、欲望の塊を存分に腹の奥にぶちまけて。そうして、そのまま繋がって溶け合って、朝も夜もなくひたすら互いの身体を貪り合うけだものになってしまえたら、そのまま死んでも構わないから──。
 背中に覆い被さる格好になった周一の舌が、静司の白いうなじをなぶる。指は静司の小さな穴──もはや排泄のためのそれではなく、今や愛欲を甘受するための淫道となったそこに深く差し込まれたまま、生き物のような不規則な動きを繰り返す。そのたびに、静司の喉はその主の意思を無視して、淫らな喘ぎを洩らすのだ。
 リビングのローライトだけを光源にする薄暗い玄関に、じゅぷじゅぷという卑猥な音がこだまする。指を根本まで入れられると、静司の背中が仰け反った。一番気持ちいい、そして恥ずかしい所を指でほじられて、そのことを生々しく認識すると、静司のペニスがぐっと質量を増した。
「……静司のうなじ、すべすべだね」
「……んっう、あぁっ……!」
「白くて綺麗だ。……しょっちゅうどっかの男とやらしいことしてるクセに、誰も触ったことないみたいに綺麗だ」
 耳元で低く囁く周一の息が荒い。静司のそのちょうど尾てい骨の部分に、ぴったりとくっついた硬いものが当たる。
「ここも……いつでも初めてみたいに締め付けてくる。静司の可愛い穴──ほら、もっと濡らしてあげるから、私のペニスがこの中に入るのを想像してごらん」
 捲り上げられた着物から剥き出しになった真っ白な尻に、今度は周一のペニスが擦り付けられる。もう既に限界まで勃起した巨根からは滴り落ちるほどの透明な淫液が溢れて、円を描くようにそれを擦り付けられると、入口が女淫のようにひくつくのを静司は感じた。
「……すごいね、静司」
「あ……!」
「凄くいやらしい。判ってる?ここは出すところで、男をくわえこむところじゃないんだよ?それなのに、こんなにヒクヒクして、硬いのが入ってくるのを想像して興奮して──」
 周一の手が、ニュルニュルといやらしい音をたてて静司の竿を擦る。
「だ、駄目、前……触っちゃ……!」
 抗議を遮るように、長い舌が耳の中に潜り込んでくる。快楽か嫌悪かさえも区別のつかない強烈な感覚が、静司の体内で反響する。もはや感情の機微など蚊帳の外。周一の指の腹が鈴口をぐっと押さえると、静司の喉から裏返った悲鳴があがる。
「先っぽ、気持ちいい?もう出そうなの?凄く硬いよ、射精したくてビクビクしてる……」
 窪みを人差し指で弄び、カリのくびれを掴むようにして愛撫する。
 同時に、静司のアナルの入口を擦る周一のペニスが、そのさらに下──静司のアナルから性器までの敏感な部分をピストンするように往き来する。いきり立った雄の剛直が静司の股間の双球を押し上げるように前後に何度もスライドする。つまるところの──「素股」である。
「やっ、あっ、嫌ッ……!」
「嫌?ホントに?じゃあ、やめる?」
「やだ、やめないでっ……!」
 背後から肩を掴まれ、身動きできない状態で、静司は感じたことの無い刺激に耐える。その股間は自分の出したのと、周一が出したカウパーでヌルヌルだ。こんなにいっぱい出るなんて。こんなことが──こんないやらしいことが気持ちいいなんて。
 肩越しにキスを繰り返す。まるで相手の口を食べてしまうかのようなキス。互いの唾液で唇が濡れて、離れても糸がひくほどに濃厚な口づけは、もはやそれ自体が口腔を使ったセックスのようだ。
 激しいキスをしながらペニスを執拗にしごかれて──静司はとうとう射精した。周一の手が受け止めきれなかった卑猥な白濁液が、静司を支えていたシューズボックスに大量に飛び散り、玄関に青くさい性臭が充満する。
 静司は背中を痙攣させて、断続的に声にならない悲鳴をあげ続けた。だが周一はなお容赦なく、出したばかりの精液を静司のアナルにぬちゃぬちゃと塗りたくる。射精直後でひどく敏感になっている静司は激しく身悶えた。
「……入れていい?」
 上擦ってかすれた周一の声に、静司は何度も頷く。今からこの男が自分を犯す──そのシチュエーションの淫らな印象が、余計に静司の性感を昂らせた。
 周一のペニスが、不随意に押し戻そうとする穴に逆らって、しばらくの間ぐいと押し付けられる。ほんの数秒の攻防、それだけで静司の淫道の緊張は解けて、女淫のように周一の逞しい男性器を受け入れる格好になる。それは微妙な変化だが、無意識にその肉体の変容に翻弄される静司にも、それを感じて征服欲に囚われた周一にも、たまらなく刺激的な変容だ。
 ゆっくりと亀頭を埋め込むと、淫らなキスのような濡れた音がする。それからゆっくり後退する──ペニスが穴から抜ける寸前まで引き戻して、またゆっくりと挿入する。最初は浅く、徐々に深く──それを繰り返して、少しずつ奥へ進んでいくのだ。
「あ、ああ……周一……周一さん……!」
 静司の後孔は限界まで拡張され、周一の亀頭が愛撫する躯の奥は燃えるように熱い。
「ほら、入ったよ、静司……」
 背後から抱きすくめ、周一は耳元をねぶりながら囁く。肩越しに顧みた周一は情欲に煽られた官能的な表情のまま眉をよせ、ため息のような喘ぎと共にかすれた声でさらに呟いた。
「……ごめんね、コンドーム、持ってない」
「いい、要らない…!」
 苦しげに静司は答える。息つく間もなく力強い抽送を始めた周一の腰が、何度もペニスを突き入れるために前後する。静司は棚上に頬を擦りつけて激しいピストンの刺激に悶えた。長く太い周一のペニスは、アナルセックスには到底適した形ではない。抜き差しには内臓まで貫かれるような苦痛が伴う──だが、その苦痛が静司にはたまらない快楽だ。それは被虐欲求のなせるわざであるかもしれず、認証性の重要さがそれを可能にするのかもしれない。だが、理由などもはやどうでもいい。

 ただ、犯されたい。この男に征服されたい。行為の理由、感情の在処、そんなものは些末事だ。セックスがしたい。目茶苦茶に乱されたい。鮮烈な何かが欲しくて、そしてそれを相手にも刻み付けたいだけだ。ただこの男の、名取周一の、唯一の何かでありたい。

 周一は容赦なく、立ったまま股を開いた静司を背後から激しく突き上げる。擦れ合い、愛し合う部分から、飛沫が飛び散る。聞こえるのは淫音と、互いの荒く激しい呼吸だけ。
 やがて周一は対面位にひっくり返した静司の体を抱えあげて淫部を丸出しにさせ、交合の有り様が互いに見える姿勢をとる。ペニスが静司の肛門を貫く抽送の様子が丸見えになる──もう愛撫されているのは穴の中だけであるにもかかわらず、静司は二度目の射精が近い。普段、周一以外の男女と行為に及ぶ時は、一度の射精に達することさえ困難であることがほとんどなのに。
「静司、好きだ……!」
 うなじに顔を埋められて、吐き出すように周一は呻く。静司は体内に深く埋め込まれた男根の限界を感じた。射精時のいちじるしい膨張と硬化を、体が感じたのだった。
「お願いだから、何処にもいかないでくれ……!」
 ──切ない告白と共に、深奥で欲望が破裂する。静司の体内に、白い灼熱が散った。

 周一の懇願にどう答えたのか、静司には記憶がない。だが、何かを口走ったことだけは覚えている──それは夢のように曖昧で、ひどくおぼろげだった。








 目の下にくっきりと隈をつくったひどい顔で、静司は始発列車を待って駅の構内に座っていた。
 少し肌寒い朝だ。
 始発で出社するサラリーマンの姿さえまだない、閑散とした駅のホーム。自販機で買った缶コーヒーが手元にあるが、プルはそのままだ。別に喉が渇いたわけではない。ほんの少し──手元を暖める熱源が欲しかっただけだ。
 静司の目元は腫れぼったく、着物の袷から覗く鎖骨は幾つものうっ血が見てとれる。あからさまな性交の名残を、静司はもう隠そうともしていない。そんな気力はどこにも残っていない。

 ひたすら獣のように交わって、何度射精したのか判らない。最後にはイッても何も出なかったくらいだから相当だ。玄関で、リビングで、ベッドの上で。何度も愛されて、何度も達した。──なんという夜だったのか。
 そして早朝、陽が昇るより早く、静司は部屋から逃げ出した。眠る周一の腕から抜け出して──何処にも行くなと乞う男の願いを無下にして、あの場所を後にした。
 たとえ追って来ようとしても、行き先を悟られぬように、ふた駅ばかりを歩いて踏破した。この近郊はひと駅間の距離が長いため、疲れきった静司にはそれは難儀な道程だった。天下の的場家の総帥ともあろうものが情けない事に、摺るように歩くとすぐにつまづいて、度々不様な姿を晒しそうになった。早朝で人が少ないのが幸いだったが、この夜明け前の闇は、一日の内で最もよこしまな魑魅魍魎が跋扈する時間だ。警戒しながらも、今ならおれを殺すことができるぞ、と思うと、静司は皮肉な笑みを禁じ得なかった。

 ──側に居てくれと言われれば、否と答えるしかなかった。だがあの時、口づけの狭間に見いだした救いの欠片が何であったかを、静司は確かに知っている。
 それは──相容れない愛の、確かな実在だ。
 恐らくは未来永劫、共に歩むことの叶わぬ相手だ。
 秘かに想い続ける自由の中で、互いに密かに犯した肉体の罪。許されぬと知っていて関係をもったのは、この一度ではない。
 その度に、静司は怖くなる。狂気じみた愛おしさが、ひどく恐ろしくなる。それが、どんどん深くなる──不条理にも、永遠の不在がたまらなく怖くなるのだ。それでも触れてしまう、それが救いようのない愚かさだ。足下の薄氷は、今にも割れてしまいそうに揺れているのに。

 だから、その手を離し、あきらめることが、見いだした唯一の希望だ。静司はそれを信じる。何一つ信じるものの無い彼が、唯一真正面から見つめる最後の望み。
 あの時、行くなと願った周一の乞いが、決して叶わぬ願いであることは、恐らくは彼自身が一番理解しているのだ。そしてその叶わぬ願いを知ることで、ようやく静司はその手を離した──背き離れることを己に許した。またいずれ奇妙な引力が、再び二人を引き合わせるとしても──今は。
 互いの想いを牽制するしかできることのない、不毛な愛のいびつな形。耳の奥で、周一の悲痛な懇願がこだまする。もう一生分泣いて涸れたと思った涙腺が、また張りつめるのを感じて、静司はホームから見える空を仰ぎ見た。

 ──その手を取るのは、いつだろう。いつかは本当に来るのだろうか。たとえその日が来たとして、それは夜明けだろうか、落日だろうか。何も失わず、それを得ることはできるのだろうか──

 静司はいつかの煩悶を、もう一度己に問う。答えなどあるはずもない、何という不様な感傷。

 構内に始発時間のアナウンスが流れる。
 ここにはない永遠の恋人に別れを告げて、静司は缶コーヒーのプルを引いた。
 それは、思いの外渇いていた静司の喉を優しく潤した。けれども少し苦くて──静司は無言のまま苦笑した。


【了】


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