烙印の瑕【後編】


 夜半過ぎ、自分の名を呼ぶ声で周一は目覚めた。
 妖艶で官能的な低音が、鼻にかかる荒息と絡まりあうように、何度も周一の名を呼ぶ。傍らに眠る、静司の声だ。
 ──何が起きているかは、容易く想像がついた。
 人を犯す類の妖は少なくない。今日では「境界」のメタファーとされる異類通婚譚や神婚譚などという説話の中にも、こうしたものが混じり込んでいる可能性はある。様々な形で、異形と人との交わりを描いたものは世界中にも数多く残っている。また祓い人としての実際のところを考えてみても、妖と人との交わりによって何らかの障りが生じるのは稀な例ではない。
 妖には自分が犯した人間を食い殺すものが多い。それは、性感の高まった人間が妖にとって非常に美味であり、妖力の源になるからだと聞いたことがある。
 そしてまた、人間にとっても妖との交合は甘美きわまりないものなのだ。それは一旦逃した人間が、のちに再び自身を呼び寄せるようにと彼らが撒く罠なのだという。人間の理性はその誘惑に──妖が交合の際に躯に残すその誘惑の罠に耐えることはほとんどできない。時にその名残から立ち上る衝動に耐えかねて、激しい狂気に陥ることさえもある。
「……静司」
 上半身を起こして、ベッドヘッドの灯りをつける。隣に身を横たえる静司は、胎児のように身を丸くして震えている。シーツに隠れて顔は見えないが、どんなことになっているかは見ずとも判る。危機とはいえ、事情が事情、相手が相手である。やみくもに暴くのは不粋というものだ。
「静司」
 少し強い声音で呼ぶと、静司の身体がビクンと震えた。シーツの中から周一を見る瞳は濡れていた。頬は熱をもっているように赤く、それなのに唇は青ざめている。そこには強く噛み締めた痕がある。
「……周一さん」
 上擦って震えた声は、はからずも周一の雄性の琴線に触れる。まったく拙劣な、と胸で自らを毒づきながらも、周一は理性を総動員させてそれを制する羽目になった。
「静司、大丈夫だ。判ってる。君の中の異物が、例の妖を呼んでいるんだろう」
「……っ」
 いつもの恭しい調子はそこには無い。差し伸べられた大きな手に、静司は縋りついて嗚咽をたてた。
「よく聞いて。だが、この部屋の結界には簡単には入ってはこられない。君の仲間たちも奴を追っている筈だ。いざとなれば私の式が居る。私もここに居る──君を支えるために」
 そう言って、周一は七瀬が静司を此処へ送り込んだ理由を今更ながら理解する。あの女狐、最初から、件の妖も自分に始末させるつもりだったのでは──と。そして、もう一方の厄介な問題の処置に関しても。
「ゆっくり息をして、静司」
 浅く速い呼吸は、まるでマスターベーションの最中を彷彿とさせた。薄手のかけ布団を取り払い、素肌に周一のシャツと下着を着けただけの身体をベッドの上に露にする。既に性器はほぼ最大まで勃起して、ゆっくり下着をずらしてやると、濡れた先端が露出した。
「あ……あ!!」
 下着の摩擦さえも強烈な刺激。妖の淫液はこの世に比肩するものの無い、死に至る媚薬。
 過去に一度、遠野物語さながらの妖憑きの案件を引き受けた時に、同じようなものを見たことがある。その時の被害者は女だった。かろうじて妖は祓ったが、結局女は助からなかった。
 ──だが。
 多分、それでも、人の脳内で自然に生まれる感情や衝動には及ばない。周一はそう確信する。感情や衝動とて、結局は脳内を行き来する信号とそれを制御する物質によって成り立っているのだ。自我の産物である思想や信念さえもそこから自由にはなれない。その強固にして高い可塑性を有する、人間の心を作り上げる合成物──妖のもたらす烙印ごときでは、その爆発力を越えることはできない。脆弱な人間の、時として最も強いものを。
「──凄く、大きいんだな」
 微笑を含ませて耳元で囁くと、もうそれだけで死んでしまうのではないかというくらい、静司の顔が赤くなった。
「なっ、あ……」
 少し乱暴に引きずり出した性器を、周一は器用に愛撫する。軽いキスを繰り返しながら、竿を擦りながら、特にカリの部分を集中的に攻める。けれどもまだ、亀頭には触れない。
「私のとどっちが大きいかな。ここで、確かめてくれるかい?ねえ、静司……」
 先走りで濡れた指を、ゆっくりと静司のアナルに這わせる。その中心に指の腹をあてがうと、静司は思わず白い喉を仰け反らせた。
「あ、いや、あ、ぁ」
「この穴に挿れさせたの?」
「や、やだ」
 理性の欠片に残った羞恥に、静司はいやいやと力無く首を振る。
「私に化けた妖に、この穴の中に出したり入れたりされたのかい?ん?気持ちよかったの?ピストンされてる時どんな音がした?ほら、言ってごらん」
 舌を延ばして、軽く耳たぶを舐める。静司は細く高い悲鳴を漏らし、その声の残滓は再び逸る呼吸へと変わっていった。
「……い、いっぱい舐められて、穴が、ヌルヌルして……」
「うん。舐められたんだ。それで、いっぱいお汁を出したんだね。エッチだな、静司は」
「は、入って来て、中で……にゅぽにゅぽって」
「何が入ってにゅぽにゅぽいってたの?」
「そ、れは……」
 カリから亀頭にかけてのねっとりとした執拗な愛撫にさらされ、さらに濡れた静司のペニスは、まさにそのにゅぽにゅぽといういやらしい音をたてている。滴ったカウパー線液が垂れて糸を引き、妖に犯された静司のアナルを濡らしてテラテラと妖しく光った。
「何が入ったんだい?言ってごらん。この可愛いお尻の穴に、何が入ったの?」
「あ、せ、性器、が」
「性器?私のオチンチンが入ったんだろ?ちゃんと言ってみて、静司」
 ヌル、と周一の骨張った長い指が、静司のアナルに侵入してくる。同時にはち切れそうなペニスがドクンと大きくなった。
「ひ、あっ……しゅ、周一さんの、周一さんのオチンチンが、おれのっ……!!あぁっ、あああッ!!」
 淫らな矯声は射精に引きずられるように裏返った。そのまま声は高い悲鳴へと変わり、静司の膨らんだペニスから白濁した大量の粘液が飛び散った。
「……すごくいっぱい出たよ」
 指に絡み付いた精液をわざと音をたてて見せ付ける。それを放心する口元に運んで、舌先で舐めさせる。淫らな舌の動きを指先に感じて、周一は自分の雄が限界まで怒張しているのを感じた。我を失って淫らな言葉を吐く静司の姿が──たまらなく猥褻だったから。
「ねえ、静司。セックスしようか」
 欲望丸出しの荒い吐息の狭間に囁きながら、自分も下着を脱ぎ捨てる。──是非を問う気など最初から無い。周一はゆっくりと静司の白く滑らかな下腹部を撫でた。
「本物の私の性器で、静司のお腹の中をいっぱい愛してあげるよ」
 卑猥で嗜虐的な誘惑とは裏腹に、周一は壊れ物のように優しく静司に触れ、その唇に深く口づけた。






 四つん這いになった全裸の静司が身に付けているのはもう眼帯だけだ。長く美しい髪をふり乱して、自分の後孔を犯すペニスの激しい律動に耐える──いや、静司自身がより深い挿入を求めて、淫らに腰を揺さぶっている。
「周一さん、気持ちいい、おれの穴に、ああ、周一さんのが、あっ、あ、あん!!」
「静司、私も…凄くイイよ」
 悲鳴のような静司の声と、上擦った周一の荒い呼吸がベッドルームを満たす。互いにトーンの違う男の声が情欲に喘ぎ、あからさまに二人の男がセックスをしている有様が自分たちの耳にも聞こえてくる。堪らなく刺激的だ。
 その官能は、もはやとうに静司の中にわだかまった妖の媚香など消し飛ばしてしまっていた。
 周一のペニスを受け入れながら、静司は自分のものを擦る。最初にかなりの量を射精したにもかかわらず、静司のそれはそんなことをとっくに忘れたように膨らんで、淫汁はシーツの上にいくらでも染みをつくるのだった。
「ふふ、いやらしいな、静司は。後ろだけじゃ足りないのかな?今度は女の子を連れてきてあげようか?その大きくなったのを挿れたいんだろう?」
「ち、違……」
「違わないだろう。だって、オチンチンをこんなにして、激しく腰を揺らして。しかも自分でこんなに擦って──」
 周一の淫らな挑発に、静司は肩越しにその姿を振り返る。乱れた黒髪が汗で貼り付く白い肌、悩ましく寄せた眉、上気した頬と濡れた瞳──に見つめられると、それだけで危うく達してしまいそうになる。
「嫌……そんなの、いらない」
「静司」
「女なんて、いらない。おれは、あなただけ……あぁっ、あ、あなたしか、おれは」
 結合部分がきゅう、とペニスを締め付けると、周一は思わず抜けるような声を漏らした。そこはもはや排泄口などではなく、男を受け入れて官能を貪る淫らなもう一つの性器だった。
「あなたしか、いらない」
 ──おれは、あなたしか、いらない。
「……!」
 思いもよらぬ言葉に、周一のペニスがぐっと質量を増す。いけない、と思いながらもペニスを奥へと深く埋め込んで、その刺激から逃げようとする静司の腰を腕で引き留める。
「あ…!」
「ごめん、静司…!」
 囁いた周一の躯がビクビクと跳ねる──静司の最奥に射精したのだ。その衝撃に引きずられるように、自らの手によって刺激された静司自身も果てた。

 ──その瞬間。

 ふ、と月明かりが遮られる。重なる二人に、不自然な影が覆い被さってくる。
 そして、ベッドの頭側の窓の外に、周一は見た。
 手足が異様に長く、首の部分に花簾のような丸い塊のついた異形の妖。それがべったりと窓に張り付いているのだ。
(──来たな)
 静司の匂いを追ってきた、顔の無い妖。頭の花簾が妖力の源だ。その力をもって妖は周一の姿に変化し、炎の中で静司の身に堕落の烙印を捺したのか。
 周一は射精後の倦怠を振り払って身を起こし、ガラス越しに手を翳す。
「周一さん…!」
「しっ」
 強い邪気の持ち主であるらしい妖が発散する障気熱で、ぐにゃりとガラスが歪む。小火の正体はこれだ。邪気はそれ自体が強い熱をもつ。
 思いのほか強い妖力──いや、本来の力ではあるまい。交合によって静司の妖力を奪って増強した妖力に加え、その静司の血肉を欲して、死に物狂いになっている。その加算を考慮に入れると、純粋な力では間違いなく圧倒されるだろう。
 近いタイミングで現れることは予測していた。散々楽しんだ身からすれば言い訳も甚だしいが、この交わりは妖を呼ぶための罠でもあったのだから。
「静司、弓を射られますか」
「……は──はい」
 戸惑いながらも即答した静司は、傍らに置いた弓矢をそっと引き寄せた。
 目の前の美酒に、妖は結界を破ろうと躍起になる。強力な結界と妖の邪気とが反応して境界の温度が急速に跳ね上がる。結界を守護せんと翳した周一の手から、ジュウ、と嫌な音が鳴った。
「私が合図をしたら、奴を撃ってください。──しくじっても、深追いしないで」
 慌てることなく周一のシャツに袖を通しながら、ゆっくりと静司はフローリングの上に立つ。本体に呪印が施された弓を持ち、矢を選ぶ。執り弓の姿勢を取り、射位に入る。
 その白い指先がおもむろに弦を弾くと、ビィン、と空気が振動した。
 妖が一瞬、気圧されたように動きを止める。弓の弦を弾くのは、古来から日本に伝わる破邪のまじないだ。
「……しくじる──誰がです?」
 まだ頬には赤みがさして、散々吸い合った唇も赤く腫れている。男との激しい交わりの名残が体中に残り、その立ち姿ときたら、目のやり場に困るほどに艶めかしい。
 けれども、ついさっきまで男に尻を突かれて悶えていた淫乱とは、もはやまるで別人であった。  シュワ、という炭酸水のペットボトルを開けた時のような奇妙な音と共に、ガラスの色が変色して煙があがる。
 まずい、スプリンクラーが作動する。
 ──と、思うが早いか、天井からの散水が始まった。とんでもない損害だと周一は舌打ちする。だが依頼書によれば確か経費は別途だという話ではなかったか。的場には現状復帰の領収書通りに、きっちり経費を支払ってもらわねば。
 変色してたわんだガラスが、その時とうとう破裂した。熱疲労を起こしたのだ。自分の真上に降り注ぐ破片を、寸でのタイミングで抜き取ったベッドシーツで遮断して、周一は叫んだ。
「静司、今だ!!」
 ガラスの煙幕の中で引き絞った破魔弓が、その号令と共に真っ直ぐに放たれた。それは静司にとっては逸らしようもなく、妖にとっては避けようもない、鮮烈にして強烈な一撃だった。







 ハウスクリーニングを呼ぶ前にガラスの破片を片付けた後、いかがわしい液体にまみれた夜具を仲良く洗いながら、やつれた顔の二人の男は互いの存在が嫌でも回顧させる、マニアックな淫語プレイを思い出していた。
 事後であるためか、思い出したところでいずれも淫らな気持ちになど到底ならず、むしろ正気に還った虚しさが脳裏を満たすのは、悲しい男の性である。
「……」
 二人は無言だ。事後の些かの気まずさに加え、何をまかり間違ったか、ひたすら淫語を強要した周一と、ひたすら淫語を連発した静司である。行為の名残は洗えば消えるが、事が終わっても記憶は消えない。
 開けっ放した広いバスルームにシーツを広げて、シャワーで汚れを落としていく。ザーザーという水温だけが、ろくに家具のないがらんどうに響き渡る。
 ──独りで棲むには広すぎる部屋。部屋探しの際に、取り敢えず充実したセキュリティと、ダブルベッドを搬入できることを条件に設定すると、それだけでも選択肢は占有面積の広い1LDK以上の部屋に限られてくるということを周一は知った。あたかも単身者はユニットバスと一口コンロで十分だと言っているかのような不動産業界の不文律に当時は散々歯ぎしりをしたものだが、今日ばかりは充実した水回りと広い部屋に感謝せざるを得なかった。
「……よし、このぐらいでいいでしょう。あとは洗濯槽に入れて……」
 シーツを軽く搾る。まだ青臭い例の匂いは抜けないが、まあそれは致し方ない。
「ほら静司、洗濯機まで早く持っていってください」
 私はもう少し部屋のほうを片して来ますから、と付け加え、周一は水を吸ってずっしりと重くなったシーツを静司のほうに差し向ける。
 すると、何か無礼な事でもされたかのように、静司の顔面がひきつった。
「どうしました」
 機嫌を損ねたか、と周一は内心で苦笑する。
 静司は言った。
「………何故おれがこんなことをしなくちゃいけないんですか。第一洗濯機の使い方なんて知りませんよ。周一さんがやってください」
 しかし周一は引かなかった。
「蓋を開けてシーツを入れたらスタートボタンを押せばいいんです。大体ほとんど君が汚したんですよ?このシーツ。今時汚れものも自分で洗えないなんて、育ちが良いとは言いませんよ。いい大人が恥ずかしいだけです」
「……!」
 きっぱりとした圧倒的な正論に、さしもの静司も口を閉ざす。事態は普段の力関係を完全に逆転させていた。
 顔を真っ赤にして怒り狂いながらも、それを態度にあらわすことは出来ず、静司は濡れたシーツを嫌々ながら引き受ける。その表情ときたら、まるで小さな子どものようだ。
 広い間取りの脱衣場に設置された洗濯機の蓋をそっと開けて、中にシーツを放り込む。入念にスタートボタンの位置を確認しながら恐る恐る蓋を閉めようとする静司をその背後から眺めていた周一は、愛しげに目を細めた。
「静司」
「なんですか」
 拗ねたようなつっけんどんな返事には、もう先ほどのようなぎこちなさは感じられなかった。
「あとで、一緒にコンビニにいきましょうか」
「え?」
 ──実は、静司はコンビニが好きだ。ファミレスも大好きだ。駄菓子やコンビニスイーツ、お弁当。ファミレスに行けば十分以上はメニューとにらめっこしているし、隠れ好物はカレーだったりもする。その旧家の長としては到底似つかわしくないものへの興味は、静司が周一との関係の中で獲得してきたものだ。
「お腹空いたでしょう。久しぶりにカレーでも食べますか?そうめんも売ってますよ。コンビニのじゃちょっと物足りないかもしれませんが」
「セブンイレブンのがいい」
 抑揚なく、だがあからさまな期待にまみれて静司は言った。
「ご馳走しますよ。しけてますがね──おっと」
 周一は、ニヤリと笑った。魅力的な笑みだった。計算された誘惑が静司を見詰めた。
「──コンドームは買っとかないと。何と言っても、まだ依頼の一日目ですからね」
 幸いにして、急ごしらえの依頼書には、依頼終了の条件に関しては明記されていない。
 またしても頬を染めた静司に、周一はゆっくりと近付いた。キスをしようとしたら、やっぱり返ってきたのは星が飛ぶような強烈な平手打ちだった。


【了】


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