When you wish upon a star
 makes no difference who you are…


 空を仰ぐと、しとしとと雨が頬を濡らした。
 周一と静司は、打ち棄てられ横倒しになった電車の車輌の上で、静かに佇んでいた。星の見えない空が、同じくらい静かに泣いていた。
 壮観なほど大量の車輌は雨ざらしで、どれもひどく錆びついていた。打ち棄てられた、という言葉がありありと生々しい様相で、まるで広大な土地は車輌のための墓場のようだった。そこに容赦なく降りしきる雨が、未来の無い刻の中へと永遠に封じ込めるかのようだった。それらはこの世界の果てで「ロスト・モニュメント」と呼ばれていた。


 ロスト・モニュメント・シティがどこの国にも属さない無国籍都市となったのが、はっきりといつのことであったのか、正直周一はよく覚えていない。自分はどんな時も、金と命の心配をしていればそれで良かったからだ。
 Lost Monument──胸の裡で反復すると、なんとまあひどい名前を付けられたものかと、確かに不憫に思わずにはおられない。
 そしてまた名前ばかりでなしに、この街ときたら何につけても大雑把で、常に何もかもが錯綜していた。統一性というものがまるで無く、かつての「Made in JAPAN」のように、きっちりとした郷土資料を残すような気風ではなくなっていた。鬱憤が爆発したあとの残骸のように、「御祐筆」のお歴々は手品のように姿を消した。
 敢えて言うなら、周一たちの住む日本人街に図書館と呼べるだけの蔵書施設は確かに一館だけあったのだが、そこはいつでも人気の無い廃墟のようなところだった。一度だけ調べてみようとしたこともあったが、郷土資料の類は何も置いていないと、いつも一人か二人しかいない図書館員に冷たくあしらわれてしまった。
 それに、よくよく考えてみれば、わざわざ調べるようなことではないようにも思えた。独立国家からシティへの過渡期を知っている筈の年頃の人の中でさえ、この街は、蜃気楼のようにいつしか現れたという人が居る。けれど、ここに棲む人々ならばきっと、その言葉に苦笑して、納得してしまうのではないかという説得力があった。いつそれが終わり、いつそれが始まったか──「Made in JAPAN」は神経質で几帳面だったかもしれないが、人類史で見ればこんないい加減な国家もなかなか見られないという代物だったのもまた確かだ。彼らは何でもかんでも薄笑いと「ドーモ」の合わせ技で済ませてしまって、本質からはいつも目を背けていた。それを多様性などと呼んでいたのだから、片腹痛い。
 周一とて思い返すと、「私たちは若さのなんたるかを知ることなく少年時代を去り、婚姻の意味を知らずに結婚し、老境に入るときですら自分が何に向かって歩んでいるかを知らぬ」──そんなアフォリズムと無関係では無かったのだと思わずにおられない。
 シティの前身である独立国家は、あらゆる意味でそういう朦朧とした気質と共に、煩く自己を主張しながら、結局自分というものを持っていなかった。そう、この街が国家の一部だったのは、10年以上は前のことだったろう。その過渡期には政権が力を喪い、国民と自衛隊が烈しく対立した。東アジア最大の法治国家と呼ばれた国が、3日に1度は住宅街で銃撃戦が起こるような東アジア最大の無法地帯となったのである。
 いわゆる国籍の言うところの「Japanese」たちは、そのほとんどが故郷を捨てて、海の向こうに新天地を求めた。生まれ育った土地とはいえ、法も身を守るすべも無く、凶悪なならず者や与太者どもと隣り合わせで生きていくのは困難な選択だった。
 しかし、貧しい者が必ずしも取り残されたかと言えば、そうでもない。様々な疫病や戦乱、極端な気候変動や地殻変動によって世界中から人が消えたこの十数年の危機的状況を鑑み、希望者には各国から移民プログラムが発布され、此処が島国であるにも関わらず、希望者の出国は比較的容易かった。残されたのは寧ろ、身寄りの無い年寄りや病人たちであった。だが彼らの多くは嘆かなかった。病身に、或いは老いた身で、大陸に新天地を求めるのは過酷すぎたからであった。

 For though they may be parted
 There is still a chance that they will see.

 そして今──この街には、多くの国の人々が集まって生活している。彼らはいわゆる移民たちである。多くの人間が無政府都市を見限って出ていく反面、これを機に自分たちの土地や、新しいビジネスチャンスを求めてやって来た人々も決して少なくはない。
 その多くが国籍を持たない流れ者や、いわゆる各国の不法入国者のなれの果てだったが、彼らもまた、生きるための土地を求めていたのである。そして先に述べたとおり、移民たちの中には技術者や商人なども数多く含まれていた。今や「Japanese」などという言葉は、何らかを主張する方弁でしかなかった。
 抑、この街にはとうに不法滞在という概念が存在しない。「ロスト・モニュメント・シティ」という素っ気も何も無い、旧世代のコンピュータで適当にスクリプトを組んだようなつまらない名称も、実際には街に割拠するそれぞれのコミュニティが、この街を好き勝手な名前で呼んでいるだけで、公称というわけでさえない。それでも、日本人街に住処をもつ周一たちが、この凡庸で陳腐な名前を好んで遣っているのは、それ相応の理由がある。
「ロスト・モニュメント」とは、昔、日本中に地下鉄道(メトロ)が通っていたことに由来する。
 西暦1872年以降に始まった鉄道事業は急速に広がり、2000年代では利用客で世界最高を更新し続けた。曰く、面積が狭い上に土地の高低差の大きい国柄が、鉄道事業を発達させたと言われているのは周知のことだ。また、地下鉄道以前には地上の鉄道路線の運行があり、世界最速の高速鉄道などが生まれたが、現在稼働しているターミナルはもはやただのひとつも無い。
 既に廃線になってしまった広大な路線や駅舎の「モニュメント」──現在でも放置された膨大な数の車輌は雨ざらしの下に打ち捨てられたままだが、鉄道事業が勢いづいていた頃の街の喧騒と賑わいは、今現在とは比にならないものであった。かつてアジアでもっとも巨大なターミナルを幾つも持っていた日本には、ありとあらゆる物資や人材が集まり、そこはまさに財の経由地だった。

 ──とはいえ、国家が防犯システムを喪失すると、当然線路が運んで来るのはまっとうなものだけではなくなった。テロや暴力、時には犯罪者やテロリストそれ自体を積んで来る路線が、次第に自分たちのテリトリーと侵していくように思われた。また、陸運施設としての鉄道は新たなインフラの整備や航空機の積極的な採用に取って代わられ、つまりは時代の変化が、物流手段としての鉄道の必需性を失わせていった。容易く執政機能を喪った日本は、諸悪の根源と憎まれた運航システムをさっさと放棄し、やがてシティは黄昏の時代を迎える──というわけである。
 景気の良かった時代の名残にしては、やはり無味乾燥な名称であったが、所詮曖昧な事なかれ主義の面の皮を皮肉って、日本人たちは今でもこの名称を好んで遣う。岩井俊二の小説に出てくる「イェンタウン」たちみたいに。
 その後、実際にロスト・モニュメント・シティと呼ばれるようになるまでの空白の時間について、知っている者は少ない。何故か。それは、たとえば古代ローマ帝国の崩壊のように、その時代に生きている人々が、いつ、どの瞬間、いかにして国家が滅びたのか明確にしめすことができない、というような有様であったことは言うことが出来るだろう。まさに溶解するように、国家はその機能を失っていったからである。執政者は国家が存在し、国政が敷かれていると信じた最後の人々だった。彼らが気づいた時、もはや国家はロスト(消滅)していた。まさに、毒舌クンデラの格言さながらに。
 移民たちが流れ込んできたシティは、さらに幾つもの移民都市を生み、人々は雑多なこの島を憎みながらも愛した。結局はここにも金持ちもいれば、貧乏人もいる。美しい人、醜い 人、奇妙な人。浮浪児もいれば、労働者もいる。男、女、そのどちらでもない人も、どちらかになった人も。健康な者も、病人も。ウェイター、料理人、画家、表現者、芸人、神父、牧師、修道士、歌手、工員、医者、教師、職人、俳優、作家、技術士、経営者。夢破れた者の帰る場所でもあり、希望抱く者の巣でもある。此処では少なくとも身分が固定化されることはなく、実質的に誰にでもチャンスがあった──それが行政府から偶発的に市場が完全に独立したことにより、国家による恣意的な関与から経済が逃れ得た唯一の例であることにより成し遂げられたということは、過去に対する大きな皮肉であった。
 しかしまた、様々な意味で悪名高いことでも知られており、ICPOでは、今やこの街を東アジアの魔都と呼ぶと聞く。まともな法整備がなされていないシティは、犯罪者やテロリストの恰好の隠れ家ともなっているからだ。自警団の質という面での地域差も大きい。
 だがその裏で、彼らを目当てにするハンターという、賞金稼ぎのようないかがわしげな商売も平然と成り立っている。各国が逃走犯に高額な賞金を賭け、それをシティに広報すれば、それをめぐって彼らの様々に創意の凝らされた索的センサーは働き出す。そうなれば逃走犯もこの地でのうのうとしてはいられなくなる。つまり、隠れ家であると同時に捕獲の標的にされやすくなるという、二律背反が生じてしまうわけだ。
 賞金稼ぎと呼ばれる人々も千差万別で、狡猾で技量にすぐれたハンターなら一生食うに困らない金を手にすることもできる一方、下手に一攫千金を夢見たところで、大抵は初期投資で馬鹿を見る羽目になる。進んで賞金稼ぎを名乗りたがる連中は数多いが、技量とは釣り合わないのがほとんどだ。たった一度、幸運で手にしたあぶく銭の蜜が忘れられずに、命を落とす素人も少なくない。

 周一は、今年で齢三十七歳になる。
 日本人街のはずれ──旧市街と呼ばれる雑然とした街の片隅で、小さな飲食店を経営している男だ。
 その正体は、十数年以上前に芸能界入りして以来、ショウビジネスの世界でトップを走り続けるエンタメの王と呼ばれ、常に第一線で人気を博してきた俳優、名取周一。映画、ドラマ、舞台、CM、コンサート、ラジオ番組にいたるまで……彼の関わったものでヒットしないものは無い歩くドル箱とさえ言われた男である。
 三十を過ぎた頃からハリウッド映画界にも進出していた芸能界から無期限休暇と称して足を洗い、人知れずこのに店を出したのは数年前のこと。安っぽいケープコッドスタイルの店構えで、元々は食堂だったのが、客の需要に応じて酒を出すようになり、今では昼間は食堂、夜間は酒場として営業する、いわゆるトラットリアのような形態を取っている。
 固定客が半数以上を占めるものの、縄張り根性の強いこの街の気風も、はずれに近くなればそれだけ弱まっていくものなのか、隣接するほかのアジア人街からの客も少なくはない。
 路を挟んで対岸はもう中国人街という立地もあれば、周一自身が片言の中国語やハングルなら話すことが出来るのという理由もあるだろう。実際、常連の数人は中国人で、周一は彼らから言葉をはじめ、中国の様々な知識を教わったものである。
 営業時間は正午から午前零時までとしているが、実際には適当に調整しながらいい加減に営業している。周一の料理の腕前はなかなかのもので、店はそれなりに繁盛していたが、彼自身にはまるで商売気が無かった。気乗りがしなければさっさと店を閉めてしまったり、支払いの見込めない客にしばらく食事を振舞ったりすることも間々あった。
 店を持ってすぐの頃、手不足を補うために、開店時間中にも暇があればガムを噛んでいる無愛想で若いウェイトレスを雇った。元はシングルマザーだったという、普段は無口で無愛想な彼女も、クリスマスシーズンには、いつも機嫌よくクリスマス・キャロルを鼻歌で歌っている。それで、このシーズンの店内音楽はクリスマスミュージックをかけることにしたのだが、客からは賛否両論だ。

 すくいのみこは みははのむねに
 ねむりたもう いとやすく

 もちろんこの物騒な街で、それだけではあまりに用心が悪い。時折店を手伝いながら彼らを終日警固するのは、周一が二階の住居区を貸している男、静司である。
 静司は周一の昔馴染みで、姓は的場。今年三十六になる彼の経歴は、まさに壮絶のひとことに尽きる。
 この静司という男は、その姿形に関しては大層な美形である。視界に入れば十人中十人が必ず振り返るほどの麗人といって差し支えなく、肌は白く、髪は真っ黒で、何よりもそれらを際立たせる鋭く理知的な隻眼がとてつもなく印象的だった。偽りであれば太陽さえも射落とす──硬く尖ったくろがねの鏃のような瞳。片目には眼帯。
 髪は長く、背中に届くほどには伸ばした艶やかな長髪を、いつも細い結い紐で一つに纏めている。否応なくひとの目を引く容姿といってよい。
 ただ──不思議なもので、静司の容姿というのは、常人のそれよりも、殊更彼自身の意志を反映させる類のものであった。悩んでいたり、疲れている時の彼ときたら、ひどい時などまるで三途の川の奪衣婆のようであるが、しっかりと身支度して行く先を見据える彼は、いわゆる男性的なむさ苦しさは微塵もなく、まるでトルファンの天女のように艶やかなのだ。
 時に若く、時に老いた、美醜が混在する美貌。先に述べた通り、彼には勿論これを創り上げた私史がある。だが、静司はそれを語らない。ただ、芸能界から消えた周一を追って、かつては命よりも重要なものと看做していた家業を棄てて飛び出してきたというから、周一のほうからすれば言葉にし難い情動に駆られるのは致し方ないことだろう。今や寝る部屋も、寝るベッドも同じだ。どういうことかは言うまでもない。
 静司は主に狙撃銃を扱う。隻眼が極力仇とならないためだ。
 普段はAWMボルトアクション式、場合に応じてベネリM4ライフルなど、幾つかの銃を使い分ける。狙撃時の射程は2000mを超すことさえある。また、ステゴロも捨てたものではない。かつて恥も外聞も棄て、ブルース・リーの師匠に憧れて体得したという葉問派詠春拳のキレも未だ鋭く、だが容易く接近戦には持ち込ませない。彼の本職は周一と同じく「呪術師」だからだ。
 二人がそれなりに長いキャリアの中で幾つか得た教訓の中に、一番危険な相手とは一般人である、というものがある。とりわけ静司はどんな相手でも舐めてはかからない。
 そんな静司だが、普段は開店前の仕込みを手伝っている。料理に関しては素人だが、指示をよく聞き、決してその手前は悪くない。開店中の店内には滅多なことがなければ出ては来ないが、中央市場のクリスマスマーケットでガーランドやオーナメントを買ってきては、周一の知らない間に店内を飾り付けていたりする。そして、開店前のメニューの黒板には彼の字で、
「early christmas morning!」
 彼は彼なりに、クリスマスを楽しんでいるようだった。

 ──それは、いつ終わるとも知れぬ、ままごとのような暮らしであった。
 一つの強固な共同体が思いもよらぬほどに容易く崩壊した途端、自分たちのしがらみが何であったのかが分からなくなったのだから、どう足掻いてもこれは滑稽だ。
 「家」というものがますます希薄になるにつれ、「呪術師の家系」というものがどうであるべきであるかも、その重責も、水で薄めた酒のように、どうでもいいものになっていった。そうした社会の変遷にしたがって自然と変わっていく生活が「ままごと遊び」とは、ある意味大いなる誹謗であり些か筋違いではあったが、周一も静司も、ただ互いを想い合うには、殺伐とした旧世界の水を呑みすぎた。かつての世界には彼らに自由はなく、諦め、手放すことが当たり前で、いつもひっそりと闇の中に生きていた。
 ロスト・モニュメント・シティの穹は抜けるように蒼かった。四季はますます希薄になり、夏は焼けるほど暑く、冬は凍えるほど寒かった。世界はより血生臭くなり、喪われたものは余りに多かったが、生まれたばかりの世界はあちこちに自由の欠片が落ちていた。
 シティでの最初のアドベントシーズンに、ロールピアノとオーボエの素朴な構成の『カノンとジーグ』が街角で演奏されるのを聴いた静司は、周一の傍らで声も無く泣いた。周一がどうしたのかと聴くと、半分マフラーに埋もれた静司はわからないと言って頭を振った。そして言った。
  
 きれいだ、と。

 もっと泣けばいい、と周一は思った。
 いや──ずっと思っていた。
 泣いた分だけ、悲しみが癒されるわけではない。
 泣けば、置かれた身の上から重荷が除かれるわけではない。
 それでも、周一は静司に泣いて欲しかった。
 声をあげて欲しかったのだ。
 触れれば体はそこにあっても、心の在処はどうあっても分からなかった。けれどもし、声を頼りに僅かにでもそれを知ることができれば、いつしか砂嵐の中にも、共に歩む道が見えるような気がした。或いは運命という名のまだ見ぬ事象の何処かにある、共に進む路がある可能性を識るために。

『聖なる鐘の音が響く頃に
 最果ての街並みを夢に見る』

 昔、そんなフレーズから始まるクリスマスソングがあったのを、覚えている人も少なくなった。それは移民たちが流れ込み、シティが生まれるずっとずっと昔のことで、やって来た外国の開拓者たちは勿論知る由もない。
 周一は、何故かふいにそれを思い出した。この世界の果ての街で。銃と金だけを頼りに、互いに背中を預けるだけのこの荒廃した「イェンタウン」を。これほど聖なる鐘の音が似合わない最果ての街があるだろうか。
 こんなにも枯れきった街に、官憲でしかない天の使いなぞは一顧もしないだろう。或いは、かつてのソドムとゴモラのように、悪徳の罰に焼き尽くされたとしても、誰も不思議には思うまい。それほどにこの街は──美しい。もはや美しいほどに、醜い。
 その醜さは、決して唾棄されるべき醜さではない。かつてこの地を支配していたのは腐敗であった。それが崩壊することにより一掃され、天使に祝福されるほど「正しい」ものが尊重されるようになったのではない。だが、腐敗はしたものは取り戻すことができない一方、雑多であること──整然さはなく、美しくはない、そうした醜さは、単に財や立場が固定化されないという意味で雑多なのだ。それは自由であることでもあり、それを美しいと呼ぶのもその者の目の自由なのだ。
 美しいものは、そのはかなさが時に哀しい。そして、その儚さが美しい。静司の涙の理由は分かった気がした。「きれいだ」と呟いた、その理由が。
 周一は、静司の手を握った。家に帰るまで、強く握ったまま離さなかった。離せなかった。帰るなり強く抱き寄せ口づけて、今度はひと晩その身体を離さなかった。

 ──君がいなくなることを、初めて怖いとおもった。

 本当のところ、それは知らぬ感慨ではない。
 今でも大した年齢ではないにせよ、若かりし日には共に危険を冒しもしたし、共に死線をかいくぐったこともある。嵐に羽根を広げる蝶のように。
 だが、全開のアドレナリンに血が沸騰する戦地ならばまだしも、心のままに愛しいと思ったひとを、ただ喪うことを考えるのは余りに過酷であった。元来、愛というものがすべからく過酷なものであったとしても。

 すなわち、シティでの暮らしは、思いのほか周一と静司に人間らしい暮らしを提供したと言える。人間らしい──否、暗喩としての意味で、彼らはかつて、人間ではなかった。人間ではないばかりに、人間らしくあろうとした世界の異分子であった。それがどうだ、当たり前の世界観が崩壊するや否や、どんな風にも生きられるようになった。飛び出すことが怖くなくなった。自分のために、誰かのために、生きられるようになった。
 本場のドレスドナー・シュトレンにナイフを入れたのも、パネトーネの箱を開けたのも、アドベント直前の日曜日にクリスマス・プディングを焼いたのも、初めてのことだった。12月に入ると、カウンターバーでホットワインを出すようにもなった。シナモンスティックを入れた時に、立ち上る香りが好きだと言った年配の顔なじみの客は、ある冬、店に入った強盗に撃たれて即死した。彼を殺した強盗の両腕は、静司が反射的に撃ち返したS&W M500から放たれた2発の強烈なマグナム弾に木っ端微塵に吹っ飛ばされた。
 静司のガンナーとしての腕は抜群だった。此処ではトラブルの種は絶えない。先の件の強盗もそうだ。だが、時に静司は与太者の腕や脚やらを吹っ飛ばすことはあっても、ただの一度も相手の命を奪うことはしなかった。それは、周一の傍らに居るための静司の矜恃であったかもしれないし、周一もそれを察していたが、二人がこれからもそれを口にすることはないだろう──大抵のことは言葉にしなければ分からないが、ごく稀にそうでないこともある。ひとの関係とは、常に不定的で、不可解なものだ。
 周一と静司が出逢ったのは、互いに学生の頃──十七と十六の年だった。二十年という歳月が、流れて消えた。
 


 打ち棄てられたロスト・モニュメントの上で、更けていく夜空に祈る。祈る相手も、神も仏もいない身の上であることは承知の上で。聖母マリアも、来るべき救い主も、彼らにはつまらぬおとぎ話に過ぎない。
 欲しいものはもうない。何も新たに求めはしない。だから、もう何も奪ってくれるな。大切なものは何もかも無くなった。だから、これ以上は。今さら故郷などとのたまいはすまいが、そんな願いすら容易くは叶わぬことを、嫌という程識っていながら。
 寄り添いながら、ゆっくりと互いの指が絡み合う。
 僅かな雲間に星屑が煌めく。ひとつ、ふたつと音もなく流れる。雲路に垣間見える流星群。
 さあ、この繋いだ手に願いを。ここまで繋いだ手に約束を。明日のために生きるのではない自分たちに、魔法はきっと、成就するから。
 ──やがて、教会の鐘が鳴り、同時に、何処か遠くから銃声が響いた。

 今年の冬もまた、何年ぶりかのラニーニャ現象で、雨が多く、気温は低くなるとCNNが伝えたのを聞いた。
 きっと、
 雨は夜更け過ぎに、雪へと変わるだろう。





for ages

2021/12/24christmas特別編


Whisper words of wisdom, let it be.

【了】


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