「ビンゴだぞ静司」
 時間は要したものの、リフォーム時の屋敷の間取り図を手に入れてきた周一とヤケクソ気味にハイタッチをしながら、静司は内心ゾッとしていた。こんなビンゴは嫌だ。
「今は溝は庭の下に土管を通して埋めてあるらしい。これが敷地を出るとまた溝に──溝というよりはこれはもう河川だが、ここに直に繋がるわけだな」
 周一いわく、当のその場所には置き石をして呪符を貼ってきたというのだが、家人の不安を煽ることになりはしないか。明らかに其処にいわくが在ることを表明しているのだから。
 しかし、こうなれば話は早い。自分たちは障気や妖気の残り香を探していたのだから、もはや筋書きは、ほぼ一つに絞られる。
「つまり……生活排水のパイプを伝って何かが屋内に侵入していたというわけですね?」
「或いは『しようとしていた』、だな。この家で実際に被害を受けたのは組長の爺さんだけだが、その被害内容は君と同じで『音を聴いた』ことだけなんだ。君は怖いと言っただけだが、爺さんはあの調子だろう?」
「──ええ」
 これまでの経緯を思い起こして、静司はえもいわれぬ不快な気分になる。
 正体の判らぬ恐怖のインプリンティングと奇妙なインターバル。
 生活排水のパイプを伝って屋内に侵入しようとする何か。
 その体験を共有した老爺は、自分の意思で耳に火掻き棒を突っ込んだという。
「まあ、爺さんの場合はあくまで自分で耳を突き破ったというんだから、恐怖が二次災害を引き起こしたものだと考えられる。対して君はあくまで祓い屋だ。恐怖の対処の仕方には慣れている。そう考えると現時点の被害の大小は、受け手の問題だとも考えられるだろうな」
「そうでしょうね。タイミングが重なったのは、クリスマスシーズンというキーワードがあるからと仮定すると」
「考えられるのは、その排水パイプを伝って侵入した、若しくは侵入しようとしていた何かは、まだ本来の目的を果たしていない可能性だってあるということだ。もしもこれが本当に刷り込みとして作用しているなら、君もおそらくは去年のクリスマス頃に同じものを聴いているはずだし──」
 周一の声がピタリと止まった。そして静司の呼気も思わず止まった。
 同じことを考えているのかどうか──は、言うまでもない。

 鈴とベルの音。
 クリスマスに家屋に入ってくる『何か』。

 ──問題は。
 問題は、クリスマスだということだ。クリスマスに鈴とベルの音を鳴らして無断で家屋に押し入ることが社会的に広く認知されている存在など、どう考えてもたった一つしか無いではないか!
 しかしそれは、口にするのも憚られるほど馬鹿馬鹿しい答えだった。
「………サンタクロースって、煙突が無かったら排水溝から入ってくるんだな。凄まじい妄執だなあ。怖いなあ」
「やめてくださいよ、何でそんな時だけ直球なんです!?んなわけないでしょう」
「まあ、君もあの爺さんも良い子にはほど遠いから」
 周一はカラカラと笑う。当事者でないことが気楽なのか、いちいち腹の立つ男である。
「タイミングがタイミングだからなあ。あくまでクリスマス・フォークロアに則るなら、サンタクロースじゃないとすれば、クランプスか、クネヒト・ルプレヒトか、クリストキントか……」
「……」
 欧州ではサンタクロースの同伴者として知られる、黒いローブを纏ったクネヒト・ルプレヒト。中欧では特にポピュラーな『鉤爪』の名を持つ異形の怪物、クランプス。
 前者はサンタクロース、則ち聖ニコラウスの従者であるのに対し、後者は独立した怪物的な存在として知られているものである。
 しかし、いずれもクリスマスシーズンに現れることと、対象に──『悪い子どもに罰を与える』ことに関しては共通している。クリストキントに関しては、元々ドイツのクリスマスにプレゼントを配るキャラクターとしてプロテスタントが確立したものであるので、かなり事情は異なるが。
「………」
 ──それにしてもだ。
 このイメージの齟齬はどうしたものだろう。
 日本家屋にはいわゆる欧州的な煙突は無い。周一が言うように、煙突が無かったら排水溝から入ってくるというのも、サンタクロースがあくまで伝承に基づいたものとして存在するならば、あり得ない話ではない。フォークロアにおける怪異には規則性があることが多く、合理的な理由が伴わないことは多々あるのである。それが単に、今日では分からないというだけに過ぎないということも。
 そもそもサンタクロースが『煙突から入ってくる』ことになったのは、比較的新しい話ではないのだろうか。欧州では現在でも、聖ニコラウスにせよクリストキントにせよ、街を歩いて回るイメージのほうが強い。サンタのコスチュームにしても、出所はたかだか80年ばかり前のアメリカのコカ・コーラ社のCMなのだ。実際、トナカイの引くソリに乗り、煙突からプレゼントを持って家に入ってくるふくよかなサンタクロースからは、アメリカンコミカライズされたポップカルチャーの雰囲気がプンプン漂ってくるのである。

 何なのだ?この違和感は。

「クリスマスにしろ何にしろ──大規模なイベントの時期にはどうしても死者も怪我人も増えるものだ。羽目を外す奴も多ければ、人出も多く交通事故も増える。トラブルも頻発するし行方不明者も出るわけだ。よく年始にあるだろう、年始に餅を食って死んだ人の統計のニュースが」
「……はあ」
 またしても違和感がある。
 イメージの齟齬か。
 クランプスやらクネヒト・ルプレヒトには、アメリカン・ポップカルチャーのクリスマスの印象が無いからか。
 いや──違う。そうではない。
 もう答えは目前にある。
「まあ、餅の場合は餅を食って死んだことがはっきりしているわけで、注意喚起の意味もあるんだろうが──実際イベント毎に、死者の絶対数は跳ね上がるわけだ。そしてその内の何割かは、常に死因がはっきりしない」
 確かに、そこに怪異による変死者が混じっていてもおかしくはない。
 意識があちこちに飛び火する。
 クランプス。クネヒト・ルプレヒト。煙突と排水溝。ポップカルチャーとフォークロア。
 ──静司の意識は既に、周一の声を流してしまっていた。声は聞こえてはいたが読解することができず、ただ自らの胸に沸いた焦躁と対峙し続けていた。
「つまり、全てではないとしても、その内の一握りが、例えば排水溝から這い上がってきた何かに捕獲されたのだとしたら──どうだ」
「……どうだと訊かれても」
「統計上はただの事故死。しかも多少おかしな点があっても、その変異と他の変異とを完全に区別できるほど人間は優秀じゃないのさ」

 静司は、つと周一を見る。
 これは、最後の違和感だ。

 ──名取周一とは、こんなに饒舌な男だったか?

 静司はゆっくりと俯いて強く目を閉じ、これまでの総てを反芻する。発端、経緯、仮説、異変。何を話し、何を聞いたか。何を見て、何を見なかったか。
 そして、閉じたそれ以上にゆっくりと、その赤い目を開いた。

 狂ったように笑う周一の貌が、モザイクのように見えた。









 側用人に伴われ、再び組長の寝所に通された静司は、その傍らに腰を落とし、穏やかな声で語り掛けた。
「済みましたよ、まずは一件落着です」
「的場どの……」
 まだ何も説明していない内から、憔悴しきった老爺の顔に深い安堵が浮かぶ。
 静司の表情は、いつもの笑顔のままだ。
「結局、あの、鈴の音は一体──」
 静司はその問いには答えず、ゆるゆると首を振った。
「我々は現代に生きています。ゆえに現代の基準で物事を見ざるを得ない。ですが受け継がれる伝統や伝承にの中にはもはや意味の失われたものも多々あります。また、意味を新たにしていくものもまた」
「どういう、意味かね」
 フォークロアの変遷。
 民俗史においては、あらゆるものに関して最初の姿が『本来』の姿というわけではない。
 聖ニコラウスからサンタクロースへの変遷。傍系となるクリストキントやクネヒト・ルプレヒトの誕生。どれもが各々の時代において、完成された存在として認識されていたのだ。やがてその量的な差が質的な差へと変わり、今では局所的に、聖ニコラウスとサンタクロースが異なる存在として認知されている例もある。一方でクランプスが聖ニコラウスの追従者である場合もあれば、悪鬼としての側面だけを強く打ち出す場合もある。
 これらのどれかが間違いであるわけではない。間違いがあるならば、どれかが正しくなくてはいけない。それは変遷を前提とする民俗史の世界法則とは相容れない。いずれが真か、というゼロサム的認識と混同してはならない。
「──かつては距離が隔てた文化も、人の移動やその簡便性によって容易く伝播するようになりました。しかしこうした簡便性が文化的融合を制限しなくなった副産物として、我々はあるリスクも背負い込むことになった」
 まるで素人の読経だ。その内容の正当性はともかく、言葉だけが完全に上滑りしている。無論、それでいけないことはない、これは静司にとって──自分に対する落とし前なのだから。
「様々な自由な流通に便乗し、運ばれていくのは人や物だけではない。人と共に思想も移動する。その間隙に、時には悪しきモノが日常に入り込むこともあるのです。まるで」
 怒りを抑えるように、ゆっくりと息を吐く。
「──病原菌のように」
 穏やかに語る静司に、床に仰臥したままの老爺は、きょとんとした様子で静司の瞳を見返した。
 だが静司は動かない。化かし合いには慣れている。
 ややあって、かの老爺は急に正気を失ったように目を見開いていた。喜色満面で静司を見るその貌は、ヒトの造りでありながらヒトのものとは到底思えなかった。
 ギョッと目を剥いた側用人をよそに、静司もまた冷たく笑った。
「本物の組長はどうしました」
 喰った、と耳を火掻き棒で突いた筈の老爺はすかさず言った。人の声を極端に遅送りにしたような、異様に低くざらついた声だった。
「何のために殺したのですか?」
 ──殺すために殺したのだ、と『それ』は答えた。だが、お前は喰うために殺すのだ、と。老爺の姿を装ったその貌が笑むと、口元からはあの鈴の音がシャンシャンと鳴り響いた。静司の背後に隠れた側用人は、恐怖の余りか股間を濡らして畳を汚した。
 離れなさい、と静司は促したが、彼はもう立つことも出来なかった。致し方無く、筆でその腕に護印を描いてやる。急く様子は見せずにニコリと笑うと、相手は幾分か安堵したようだった。
「──残念ながら、私を喰らうことは不可能だ。どうなさるつもりです?片割れが始末された時に、あなたは逃げ出すべきだった筈だ」
 あなたが何であろうともはや興味は無いが、と静司は静かに言った。波紋すら立たぬ静かな怒りであった。
 それは商売上懇意である人間を弑されたからではなく、周一の姿を装い謀らんとしたことが、静司の逆鱗に触れたのだ。
 だが、なんのことやら──と、『鉤爪』は再び笑った。鈴とベルとの多重音のような音がまたしても軽妙に響き渡った。
 耐えかねた側用人が這うようにして、中庭側の廊下へ逃れようとする。ギリギリと鉄が錆びたような音を出して起き上がった老爺──『鉤爪』は、急にバネ細工のように軽やかに飛び上がると、唐突に加速して側用人へと迫った。静司は微笑したまま動かなかった。最初の一撃を持ちこたえるには先の護印で充分だと、静司は考えていた。
 しかし、意外な合いの手によって、静司の展望は裏切られることになった。『鉤爪』の身体は逃れる側用人に追い付くことすらできず、代わって『鉤爪』を捕らえたのは、縄のように幾つもが連なった紙人形だったのだ。
「何!?」
 思わず叫ぶ──これが叫ばずにいられようか。静司は刮目し、『鉤爪』の身に幾重にも巻き付くそれを凝視した。
「な、何故……!?」
 床の間の、襖一枚を隔てた廊下に、一切の気配を覚らせぬように、静かに立っている影がある。もしも的場静司の隙なるものを狙うなら、絶好の機会とはまさにこの時であったろう。
「……笑い声か。まったく、どうりで耳障りなわけだ……」
 そのうんざりとした素っ気の無い声音の主は、名取周一であったのだ。
 疲労した声で、悶える『鉤爪』に背を向けたまま、障子を隔てた影は悠長に一服やっている。静司が縺れる足で廊下に躍り出ると、そこには紛うかた無き周一が、生臭い悪臭を放つ泥だらけでの姿でピースを吸っていた。
 その間も、シャンシャンという音は、僅かに雑音を帯びてけたたましく鳴り続ける。どうやらそれは笑い声というだけではなく、悲鳴や合図でもあるのかもしれない。
 が、静司にはそんなことはどうでも良かった。鈴の音など、もはや少しも怖くは無かった。
「あなた、此処で何してるんです!?どっから来たんですか、何て格好を……」
「おちつけ静司」
 ドブ臭い男におちつけと諭され、静司はもう落ち着くしか無かった。ヘドロまみれの手で触られたくはなかったので、思わず身を引っ込めたのは反射的な所作であった。
「そっちこそ何があったんだ。──私は例の排水溝の辺りで、何とまあその爺さんと遭ってだな。ああ、こりゃとんでもないミスリードだったと思うやいなや、地下の土管に放り込まれてそれきりだ」
「え……ええ!?」
 ──ほとんど絶叫である。
 つまり先刻、屋敷の間取り図を持って合流した時に、はじめて偽物が周一に成り代わっていたということか。
「それじゃあ、敵は単数…」
「さぞお忙しかったことだろうよ」
 思えば──と、静司は想起する。それ以前の周一の態度に不審な点は見当たらなかった。しかし静司は、以後に付与された情報のフィードバックによって、同伴者である名取周一その人が丸々偽物であったと誤解してしまったというわけである。
 周一は怪訝そうに静司を注視したが、戸惑っている静司に水を注すまいとしたのか、再び淡々と経緯の続きを語りはじめる。
「それでまあ、這いでもすればどうにか前進することはできたから、延々とずりずり這っていってだな。外が見えたと思ったら川にドボンだ。結構な水深の割にヘドロまみれだわヒルは居るわで、やれやれだよ、まったく……」
「……」
 なるほど、『鉤爪』に「片割れ」など存在しなかったというわけである。全てはあの一体──西洋のはぐれ妖とも言えるあの一体に、静司は見事に攪乱されたのだ。一歩間違えば命取りという危機である。実際、静司は偽物の周一の正体を見破って以降、本物の周一の安否が気になって仕方がなかったのだ。『鉤爪』が組長を食ったと言った時、内心ではどんな動揺が巻き起こっていたことか。
「まあ、あとは見ての通りだ。近所のタバコ屋に寄って戻ってきたら、この通りだよ。ご苦労様、静──」
 考えるより先に、静司の左ストレートが炸裂した。まともに食らった周一は、その場にバタンと倒れた。
「なして……」
「理由は後で話します」
 静司は拳をハンカチで拭きながら周一に背を向けて、今や紙の塊になってもなおシャンシャンと不気味な音を鳴らし続ける『鉤爪』に向かって、屈み込む格好で穏やかに語りかけた。
「………さて。君をなんと呼べばいいかな。クランプス?クネヒト・ルプレヒト?それともサンタクロース、でいいのかな?煙突があればそこから入って来たんだろう?」
 ──シャンシャンシャンシャン。
「まあ、何でも構わない。実際はどれでもないのだろう──それにしても、西洋の妖とは随分奇妙な能力を持っているものだな。向こうは人の振る舞いが大味な分、逆に妖の能力は繊細なのかもしれないな。適者生存などと──埃を被った言葉が君にはよく似合う」
 ──シャンシャンシャンシャン。
「……耳障りな音だ。欧州ではクリスマスは静かに過ごすものではなかったかな。ああ、それとも煙突から入ってくるなら北米式なのかな。あちらは賑やかなのを好むから」

 ──シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャン──

 鈴とベルの音。
 ほかに例えようも無い。
 混じる異物音は、まるで錆びたネジを無理矢理締めるような厭な音だ。まるで周一の手による妖縛の呪詛に、締め付けられていく身体がたてているかのような。
「……自由な流通に便乗し、運ばれていっては入っくるものの中には、不可解で不本意なものもあると言いましたが──今後そうしたものも積極的に狩らねばならぬというなら、我々は新たなビジネスプランを展開できるのでしょうね」
 フォークロアそれ自体が形を成す。概念を客体とする異化。そんなことがあり得るのだろうか。だとしても、それらがどのようにして生まれるのかを静司は知らない。
 サンタクロース、クランプス、クネヒト・ルプレヒト。
 実際、そんなものは存在しない。我々がフォークロアとして知る情報そのもの、それ自体としては。
 けれども、もし類似の属性をもつ人外の存在があったとすれば、それを断じて認めないというわけではない。存在と実存、此岸と彼岸の境界に立つのが的場であり、名取であり──数多の祓い屋が対峙する世界ではあるまいか。
 唯一不可解なのは、何故、静司が同じタイミングで同じものを聴いたのか──たまたまラジオの周波数が合ってしまうように、潜在的な恐怖としてあの忌まわしい音を拾ってしまった者が、他にも居るのではないのか。そして、周一の言うように、クリスマスのようなトラブルの頻発する一大イベントの中で勘定される死者の中には、此度のように永遠に明かされることの無い一定数の怪死が常に含まれるのではないか?


 静司は短い文言を唱え、印を結ぶ。


 紙人形の縛鎖が振り乱れ、『鉤爪』の内側から白い光が四散すると共に、鈴の音が波にさらわれるように掻き消える。散り散りになった紙人形の時雨が雪のように舞うのを見届けて、静司はゆっくりと踵を返した。
 その眼が不敵に見返り、その喉は朗々と。

「重畳」

 此の眼で打ち遣る、其の疑氷。
 だが、依頼者の命数は尽きた。紙屑では手向けにもなるまいが──雪もなく、音もなく、只滔々と闇深い中、星が震えて、静かに夜空を流れたのを静司は見た。
 何が聖夜だ。
 空を仰いで、静司は苦々しく舌打ちをする。

 どこかで囁くような軽やかな鈴の音と共に──何かを引きずるような音が聴こえた気がしたが、もう静司は二度と振り返ろうとはしなかった。


 ──and, Silent Night.




Christmas Horror Story

2015/12/24 Christmas特別編


Happy christmas to you!

【了】


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