紅葉の頃に、
 恋の手管。
 押すのは余裕。
 引くのはじり貧。
 臆病風ならうらなりだ。

 そんなもん。餓鬼と一緒さ。
 間違うのが怖いんだ。
 一回の失敗が、いつもただの恥じゃ済まないと思ってる。
 それを永遠に失ってしまうと思ってる。
 そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
 だけどそれじゃあ、逃げ場が無い。
 だから、残り香だけをたよって、互いにすれ違うのが御定法。

 ババは引けないんだ。
 臆病なおれは。









 セックスなんて、もう長い間してない。
 おかしなことに、周一さんの代わりになってくれる男が居て、時々流されて寝てしまうけれど。あいつ、周一さんなんかより、ずっと巧くて大人で優しくて、おれはどこのお姫様だよってくらい、丁重に扱ってくれるんだ。勿論、周一さんがあいつの代わりになるわけじゃないけれど、そんなだから、逆にあいつだって周一さんの代わりになんてなれない。

 周一さんは、下手じゃないけどどこか冷めてて、その冷たさが高い体温と相俟って、それがいつだって変に魅力的なろくでなし。感情がセックスにもろに出るタイプにろくな奴はいないが、まさにそれ。いつも冷静を装ってはいるけど、いつ何時、なにをしでかすやら判らない──何だろうね、影というか、悪く言や薄気味悪さみたいなものがあるんだよ。

 けど、名取周一といえば今をときめく売れっ子俳優(誰に歌ってるのかわからない意味ありげなラブソングばっかり歌いやがって)。こちとらおおよそ寿命も知れた、山奥に居を構えるまじない屋。
 向こうといえば二足の鞋、本業はまじない屋のほうだけども、どうも不安になるのはそういうソーシャリティというか、どっかでそういう能力に価値を感じている自分が居るってことでもあって。
 まあ、嘘や誤魔化しにも色々と種類があるもんでさ。ショービジネスってのは巧妙に嘘がつけてナンボの世界だから、周一さんにはできても、おれには到底できないことなんだよ。嘘がつけるなら、本当のことだって言えなきゃいけないだろ?丁半だって、いかさま込みで勘定するのは結構だが、勝ちっぱなし──こっちがいかさまの胴元じゃなきゃ、端から勝負する気にもならないよ。
 え?なっさけない野郎?
 はは、まあ、敗け慣れしないボンボンってやつだからさ。








 今日は、おれの誕生日。
 おれはデスクワークで缶詰め状態。周一さんはラジオ番組に生出演。
 何でも番組の司会者を『ラジオパーソナリティ』というらしく、局に招いたゲストの芸能人と、ペラペラ無駄話するのが、周一さんが司会をする番組の目玉らしい。うちの若い奴の中にも隠れファンがいるらしいが、正直いつ聴いてもつまらない。
 つまらないというか──よく、わからない。生活、恋愛、仕事、ファッション、人生観、当たり前の世界が、当たり前でない人間の唇から言葉になってこぼれてくる。
 そういうものへの嘘を、嘘を抱き続けているという態度を垣間見せない彼が選んだ道は、おれには正直よくわからない。わからないから相容れないというものではないけれど、嫌悪が加わるともう理解は難しい。そこを引き留めているのは何なのか、いちいち考えるのも鬱陶しいけど、恋慕や情だけではしっくりこないのは業が深いよ。
 勿論、そこまで言うからには、毎回ちゃっかり耳を澄まして聴いてるってわけだから、今さら四の五の言う必要があるのかって言われればそれまでさ。深意とやらを浮き上がらせたって、そんなもの、煮ても焼いても食えやしない。知ってどうなるわけでもない。
 でも、こうやって消去法で可能性を消していくと、これまたなっさけない理由ばっかり残るんだな──たとえば、声が聴きたいとかさ。まあ、いちいち理由を探す時点で目的と手段が入れ替わってるけれど。


『じゃ、周一くんって、学生時代、あんまりモテなかったんだ?』
『そうですね。逆に避けられてたと思いますよ。あ、名取来たウッザ、みたいなね(笑)』
『ええ、イジメじゃない!』
『や、イジメになるほど関係深くもならないんですよ。反応無いとやっぱ相手もね』
『へー。てことは、案外暗い青春だったわけだ』


 四十過ぎにして漸く売れ始めたというピン芸人との対談。これは寧ろ相手方のために組んだスケジュールなのかもしれないと、ぼんやりとどうでもいいことを考える。
 俳優は、良素材ならばじっくり育てていけばよいかもしれないけれど、まさに生き馬の目を抜く乱世に置かれた芸人たちは、花火が打ち上がらなければ煙を残して消えるだけだ。憶えられもせず、忘れられることもない。消費される無数の笑いの種。外せばあとはもう、質の悪い爆竹みたいに爆ぜるしかない。


『じゃあさ、学生時代の恋愛経験とかはどうなの?』
『……無いことはないですね』
『えっ。ボク、名取くんがフラれるとこって想像できないんだけどなあ……』
『あっフラれる前提なんですか?僕マズいこと言っちゃったかな』
『えっフラれてないの!オチないよ!恐いよ待って!』


 ──つまらない雑談。その話のネタの戦犯が自分だというのはすぐにわかったけれど。

『いえね。その頃、別校で一つ年下の子を好きになったことがあるんです』

 好きになった──そうなのか。
 どうして言わなかった、馬鹿野郎。
 こんな言い分は無茶苦茶だと判ってるけれど。どうしてもっと強く、引き上げてくれなかった?
『…僕と違っていつもニコニコ笑ってる子で、ショートカットの似合う美人でしたね。モテるんだろうなあ、って内心いつも思ってたんですけど、実家がお金持ちで、ちょっと浮き世離れした雰囲気で』
『ああ、不思議ちゃん的な』
『どうでしょう、そんな感じかなぁ。お陰で下世話なことはずっと聞けないまま』
『……別れちゃった?』
『いやあ』
 ややあって、周一さんは言った。

『いなくなってしまったんです』

 ──きっと筋書きには無い一言だったのだろう、相手方がどんな怪訝な顔をしているかは想像できる。でも、それ以上に怪訝な表情で固まっているのが自分だろう。一体自分は今、どんな間抜けな顔をしているのだろう。


『それって誘拐とか、何かよくないことに巻き込まれて、って意味?』
『あ、いえ……お互い進路に関して色々あったんで、何かあったら相談しろよ、みたいな曖昧な間柄のまま、気がついたらふっといなくなってしまってたんですよね。まあ、別校でしたし──で、今日がたまたまその子の誕生日だもんで、どこかで聴いてたらなあって、まあそんなことはないんだろうけど──あ、今進行完全に無視でしたよね、すいません、だいじょうぶですか?ハハハ』
『いや、それはあとで名取くん勝手に怒られてよ!てかそれマジなのー!?』
 今でも行方は判らない、と周一さんは見知らぬ芸人に言った。


 ──遠い日の残り火は、見えそうで見えない。


 互いに見失う運命だった。
 知っていて、近付いた。
 多分どちらも、互いの存在を無視することはできなかったに違いない。

『いなくなったんです』

 ──その暗喩が判る。突き刺さるほどに判る。周一さんが変わっていった以上に、自分も変わったことを嫌というほど識っているからだ。その時、確かに互いに道を違え、二度と交じり合わぬと思われた途を往く中で、甘い記憶は消え失せた。消さねばならなかった。けれども消えなかった──大事なものは、どうしても。

 言葉で好きだと言えるほど、気持ちは一定じゃない。愛していると言うほどの覚悟もない。
 じゃあ、この気持ちは何だったんだ?ペラペラ喋るだけなら簡単だ。でも、意味は感覚を超えられるのか?
 それには寧ろ、比喩が相応しい気がした。目の眩む真昼の水平線。たとえば溢れる透明な水がはじけるみたいな──遠くまで続く、岩だらけの道をどこまでも二人で歩いていくみたいな、舞い散る紅葉を偶然唇でつかまえるみたいな。喩え届かなくても、言葉より。
 けれど、今さら辿っても、戻れやしない。
 とうにいなくなった「すきなひと」は、もう戻ってはこないし戻ってはいけない。やがて失う右眼と命のために──失うことでより強大な力を得るために、ひとを辞めようとする己が、本当に何より怖れていたのは、恋うる相手の想いを見誤ることだというのは、愉快きわまる喜悲劇ではないか?
 臆病風で鬼にもなろうとする稀代の愚か者だ。また──この鬼哭が如き木枯しの中では、見失いもしよう。そして、やがては己自身の愚挙さえも。
 哭きたいと、嗤うように。
 寂しいと、笑うように。
 愛しいほど、その傍らを離れて貼りついた笑顔の下に、運命への凍てついた憎しみを育てた、己の自虐の来歴のように。


 ──そんなもん。やっぱり、餓鬼と一緒さ。


 ──いや、餓鬼よりももっと始末に負えないのは、いちいち理由が必要なところだよ。
 理由なんかないと云いながら、そう認知することで許しに代える。そうして欺瞞の存在さえ忘れ、嘘が人間のような貌をする。


 生まれたなら、死ぬこと以外に、確かなことは何もない。

 この世に、生まれたなら。





いつか忘れる嘘

2016/11/01 的場静司birthday特別編


的場さん、今年もお疲れさまでした!

【了】


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