的場静司は個人名義で幾つか不動産を持っていたり、賃貸物件を借りたりしているのだが、その内の一つであるワンルームマンションの存在は、的場邸内の誰一人として知らない。
 本邸からはそれほど遠く離れているわけではないが、まだ多少交通アクセスの良い三等地というところで、いわゆるバブル期に無駄に建てまくったアパートの乱立する一帯にその部屋はある。


 四階建ての見るからに粗雑な造りは、あからさまな手抜き工事を連想させる。バブル景気に乗って適当な施工を強行した無数のアパートやマンション群は、耐久年数を鑑みると近々続々とガタがくる予定だというから、おちおち暮らしてもいられない。
 そんな辺鄙な地に、的場一門の当主が護衛もなしに潜んでいることなど誰も知るまい。それも、八畳ばかりの単身者向けワンルームに。


『1208』


 決められた合図はそれだ。
 ルームナンバーである。
 周一が、或いは静司が、必要がある時に互いにそのメッセージを送る。

 「必要がある時」の合図。
 つまり、セックスがしたい、という合図だ。

 そうして、合図を送った方が件のアパートまで出向くのである。だが、鍵を持っているのは静司だけ。
 因みに四階建てアパートのルームナンバーが何故4桁なのかと言うと、このアパートが二棟建てであることに起因する。『1208』の最初の1は則ち第一棟側を指すのであって、本来ならば1棟-208を意味するのだが、それはさておき。

 メッセージを送れば、相手の是非を問わずにアパートへ向かう。やり取りの足を掴ませないという理由もあるのだが、互いの事情を知らないという手前勝手な行動は、この情報交換の易い時代には思いもよらぬ興奮材料なのである。

 そして、うまくいけばアパートの208号室──二階の角部屋で落ち合う。合図の期限は6時間。それを過ぎれば退去する。


 互いに多忙な身である。
 ゆえに一切の不平は言わないこと──それが条件だ。


 周一は狭い階段を踏み締めた。










 開錠と同時に、言葉も交わさずキスをする。まだ玄関に鍵も掛けず、そればかりか戸が半開きのまま、靴も脱がずに、内側の鍵を外した麗人を唐突に抱きすくめるや、周一は唇の感触を味わうためだけに総ての神経を費やした。

 静司は抵抗しなかった。

 だが、そもそも『1208』を通じた逢瀬にあって、周一が紳士であったためしなどない。
 彼は発情した雄の獣そのものであった。

 視界が揺れる程の情動──生々しい欲求が弾けそうなほどに膨らんでいく。そこでようやく、後ろ手に鍵が締まる音がする。満足なセキュリティシステムもない、ひねるだけの簡単なロックであった。だが、そんなことは今はもうどうでもいい。
 互いに張り合うほど長い脚を絡み合わせて、逼迫した局部を擦り合わせる。哀しいかな雄の情動はダイレクトだ。幾ら涼しい顔を装っていても、相手が相手で、しかるべき刺激にさらされれば一発で落ちる。

 荒ぶも、終の 契りと──。

「………生放送、いいんですか」
「断った」
「どうやって?」
「どうでもいいだろう」
「干されますよ」
 君には関係無い、と言い掛けて止め、半開きの唇に誘惑されてむしゃぶりつく──この躯を知れば──痴らば、如何に非ず。触れねば解るまいと云っても、ほかに触れさせる気など到底ありはしないが。ベルベッド、絹、天竺木綿、女の肌。どれでもない。どんな肌理細かなものよりもこの膚に馴染む触感は、己の乾きゆえなのか。
「おれと……セックスなんかしてて、いいんですか……?」
「わかってる」
 周一は喘いだ。
「わかっているけど、どうしようもない」
「はっ。……どうしようもないから、おれと寝るの?」
 囁くようにそう言った、静司の切れ上がった弓眼は僅かに充血していた。
 あからさまに、発情していた。
「違う」
 吃と云う周一の目を、静司は真正面から見つめてから目を瞑る。拙くも──淫らな合図。
 静司はキスが好きだ。ほかのどんなセクシャルコンタクトよりも、何よりも先ずは口づけを欲しがる。いや、厳密には単に、自分の唇を、周一の躯の一部分に触れさせていたいのだ──周一はそのことを知っている。
 一見、完全に優位な静司が、不可解な脆さを垣間見せる瞬間がある。それを知ると、連れ立つ愛おしさは激しく燃え上がる。
「……君を抱きたくてどうしようもない」
「愚かな人だな」
 静司が嗤う。傾城の美が、邪慢を帯びてつと歪む。糸を引く口づけは、互いを喰らいあうように、浅く──深く、突き出した舌を追っては再び硬く結び付く。互いを殺し合うように。
 ひとしきりの口腔愛撫で蕩けきった静司を杜撰に抱え上げ、簡素なパイプベッドの上に放り出して覆いかぶさる。紅潮する頬、猛る下腹。そもそも『1208』の合図を出したのは周一だったのだが、静司とて呼応して、こうしてずっと待っていたのだ。いつからかは知らねど、自分に抱かれるためだけに。
 この、もはや直視にも堪えぬ愛おしさ──。
「硬い」
 静司は笑う。
「君もだろ」
 重なりあった不便な体勢のまま無理矢理アウター脱がせ合い、周一は静司の胸の桜色の突起に貪り付く。静司の躯は完全なる形と色によって形成されている。それはまるで、ヘロマフロディトス──男でも女でも無い絶対の官能。
 ジーンズのボタンを弛め、ファスナーを落として下着に手を差し入れると、反り返った膨張物が顔を見せる。周一が存外に濃い陰毛をかき分けて、潜む双球をやわやわと揉みしだくと、静司は切れ切れに──低く、声を洩らしはじめた。
「ちょ、何で……いきなり」
 睾丸を刺激されると、反射的に後孔が柔らかくなる。快楽刺激の不随意反応であった。つぶさに見えるように自らの舌でねっとりと濡らした指でカウパーをすくい、漏れた指をぬるりと入れられた時には、静司は周一の名を呼んで、早くも一四肢を震わせた。

 静司の慇懃無礼にして横柄、典型的サディストの類型的な態度に、騙されて游がされている人間は実に多い。だが、静司は極度のマゾヒズムに傾倒する。
 静司は──真正面から尻を抱え上げられて、玉門を晒られるのが好きだ。それは殊更周一に対して強く発露する卑猥きわまりない欲求で、閨ではことに荒々しい周一の陽根に好き放題弄ばれながら、徐々に発情に引きずられていく周一の瞳を覗き込むことが──彼は好きで好きで堪らないのである。

 周一が長い犬歯で、コンドームの封を切る。裏表の確認も、着けるのも手慣れたものだが、その有余をだしにして、また静司はキスを求める。そして周一はそれに応える。

 ぐりゅ、と先端が潜り込むと、静司はあ、と一際高い声を出した。尖端の矢に穿たれた刹那。
 この肥大した雁首を押し込まれる瞬間に見せる静司の恍惚が、連鎖するように周一を高揚させる。常のすげない素振りも、冷徹な態度も、ここでは総て、何もかもが台無しだ。
 根深く不可分な性愛は、人の根幹の一端を赤裸々にさらけ出す。どんなに理性ぶってみせる者でも、それこそ名取の若君だの的場の頭主だのがこんな有り様であるのだから、何をか言わんや、というものである。
 静司の手が、情け程度に肩にぶら下がったシャツを脱がせる。周一はその腕に引き寄せられ、二つの雄の躯はぴったりと密着する。

 ──静司の白い首筋に顔を埋めたまま、周一はゆっくりと腰を動かし始める。その間、首に舌を這わせては吸い、その度に玉門にくわえこませた怒張を締め付ける淫穴の動きを、周一は殊更生々しく感じていた。自身でも気付いていない快楽の綴れ織りを、周一だけが知っているということ──これは不思議な優越感だった。

 長い黒髪が散る、その軌跡にさえ目を奪われる。
「ん……んッ……」
 安物のベッドの軋みと同じ律動で、静司が声をあげる。階下や隣に住人がいたら明らかにそれと判るのは間違いない。半開きになった唇に、無理矢理首を伸ばして唇を合わせると、静司も周一の背に手を回して奪うように唇を吸う。
 周一は、静司の尻を持ち上げながら腰を動かした。臀部が互いにぶつかるパンパンという音と、体液が混ざり合うクチュクチュという卑猥な音が混雑し、完全に怒張したペニスはもう静司の体を悦ばせるために──或いは己が快楽を貪るためだけに存在しているようなものだった。
「んッ、うッアァッ!ア!あぁ……!」
 蠱惑的な振る舞いに、髪を振り乱し、静司は叫ぶ。白い首筋に浮かんで光る汗の粒が強烈に艶かしい。
 放縦にして、卑猥。あけすけなほどに露骨な嬌態。体を反転させ、今度は静司が上になると、その白い背は弓のようにしなる。

 ──美しすぎる。

 もはや、人とさえ思えない。
 反り返った静司の巨根が、臍の辺りでだらだらと涎を垂らして糸を引いている。周一は敢えてそれに触れようとはせず、ペニスによる責苦──いや、愛撫はそのまま、両手で静司を腕の自由を奪った。
「ア、ンッ、ァ、アァっ!」
 下から性器を突き入れるたびに、静司は悦びの悲鳴をあげた。そして──同じタイミングで、雄芯がぴくぴくと震えた。それは紛うかたなき交歓の証であった。
 どのように文脈を違えようと、それは苦痛などではなかった。それは名取周一の愛し方であったし、的場静司の愛され方であった。
「出るッ、周一さ……!また……また出ちゃう……!」
 潤んだ瞳が助けを乞うように此方を見る。その目は、止めよと諭すのではなく、拒絶を顕すのでもなく。
「──いいよ、いっぱい出して」
 ただ、耽溺していた。五感が──いや、もっとわけのわからない生々しいものが、人間の中の根幹をなすもの、即ち五感を含めた総ての感覚の根源が、周一の硬く逞しい幹に突き上げられて、ひたすら悦んでいるだけなのだ。擦り合わされる肉壁の内だけに、生きることの生々しさを垣間見る。虚妄の現実と、虚妄の性愛、虚妄の恋慕を縺れ合わせて。
 擦れて、穿って、衝いて、揺れて、震えて、舞って──貪って。

 静司の先端から散った白濁の一滴が、周一の顔にかかる。長い舌でそれを舐めとるも、眼前にたゆたう麗人の淫らな態に、もはや己も平静でなどおられない。
 その淫らで虚ろな目にやられて──すぐに周一も落ちた。
 強く突いて、弧を描くように抉り、繋がった部分がさらに熱をもったようになる。
「う、ぅッ……あ!」
 ゴム越しに容赦なく射精すると、静司の淫穴が根本をキュ、と強く締め付けた。まるで射精した白濁を根こそぎ絞り出そうとでもしているように──あたかも雌の所作の如く。
「あぁ……!うあッ……くッ──」
 眉間に強く皺を寄せ、喘ぎながら周一は獣のように咆哮する。
 射精の快楽が、知る限り最高にまで引き上げられる瞬間。
 絶頂の快楽など幾度とは数えきれない。だが違う。違うのだ。ほかのどんなものとも違う感覚。認証性がもたらす、恋の罪。

 だからそれは、彼でなくてはならないのだ。
 深く──深く繋がったまま、しなだれて倒れた身体を周一は抱き留める。互いの汗の匂いと、濃厚な性臭。周一の胸にこぼれたのは、或いは涙であったか。
 それは、言葉以上に想いを語る。
 にも拘わらず、そのことを伝えるのは──やはり言葉でしかありえないけれど。その根元的な断絶を埋めるように、周一は静司を抱き締めた。所詮は、無駄な足掻きだと知りながら。


 荒い呼吸と、
 荒む身体。
 疲労と脱力。


 ただそれだけの、妄念の匣。

 そこには何の意味も無いのだ。
 そして意味など必要ない。
 腕の中には、無明の淵。
 退紅(あらぞめ)の牡丹。


 抜け落ちる楔が振りを見せ、
 遮蔽物を引き抜くと、
 あられもなく、
 火照る糸を引く。

 ──どろりと滴る、欲望の白き滓。













 アパートの階段をカンカンと音をたてて降り、周一は階下の郵便受けを何気無く見遣った。

 208号室のポストには、ピザ屋やデリヘル、不動産業者などのチラシがめったやたらに詰め込まれている。あからさまな空き部屋の相である。
 他の部屋も似たような有り様で、余計なお世話だが、正味のところ、店子は半数も埋まっていないのではなかろうか。アパート経営は、少なくとも3/4程度は埋まっていなければ黒字にならないとも聞く。ここの大家はきっと頭を抱えているに違いない──。


 ──或いは。


 此処は秘められた恋の、都合のいい逢い引き場所なのかもしれない。
 太陽の下では愛し合えない恋人たちの、秘されし想いの吹き溜まり。うらぶれた下町の、閑散とした閉鎖空間にあつらえられたこの前時代の遺物が──。


「………なんてわけないか」


 ふいに頭上から、誰かが階下に降りてくる足音が聞こえる。きっと静司だな、と判ったが、周一はもう一度も振り返ることなく、アパートから颯爽と立ち去った。
 何故ならば、それが幾度として重ねられる不毛な逢い引きの、最後の条件だったからである。


 別れの刹那に顔を合わせるには──互いが余りに愛おし過ぎたのだ。




No.1208

2014/12/08 まきりな様Birthdayリクエスト作品


pixiv投稿作品でした。読んでくださってありがとうございます!

【了】


作品目録へ

トップページへ


- ナノ -