夢あわせ 夢たがえ


 遠く、旅に出る夢を見た。

 睡と醒との境が余りにおぼろげで、そのどちらでもない境界に立った時、静司はふとそれが夢であり、これから自分は目覚めるのだと自覚した。けれども意識はつぶさに覚醒した自己の無欠性(という錯覚)を備えずに、まだ微睡みに寄り掛かったまま、覚醒への緩慢な坂道をゆるゆると登っていくような錯覚を覚えて、静司はわけもわからず幸福だった。目覚めてゆくのが判っていたのだが、ああ、自分は目が覚めたらいよいよ間違いなく旅支度を始めるのだな、と拠りの無い確信していて、覚醒の間際となってもまだ幸せだった。
 傍らには、寄り添う影が見えた。

 その奇妙な多幸感は、目覚めた後、急激に遠ざかっていく。失われるのではなく、ふいに手元を離れた感覚が、少しずつ加速して、しまいには覚醒後の緩慢な意識では追いきれぬほどのスピードで遠ざかっていくのだ。もはやその頃になると、傍らに見たはずの影も無い。

 そして、ようやくすべてが夢であったということに気付くのだが、それには僅かな衝撃さえない、ひたすら淡々とした、諦感にも似た悟りなのだった。
 自分は何処へも行けない。
 ベッドの上で、周一の頭を抱いて、静司は茫然とする。茫然としている自分に唖然とする──。

 馬鹿な奴だと、霧雨が嗤う。











 ふと瞳を落とせば、腕の中の男も、ぼんやりと目を開いて、うつろに視線を彷徨わせている。

 ──ああ、きっと彼も、夢を見たのだな、と静司は思う。

 己の意識を手繰ってみても、もうあの根拠の無い多幸感はどこにも無い。感じたことすら、身体──意識はもう想起してはくれない。あれは何だったのか。時折夢と現の狭間に垣間見る、あの感覚は。
 何故、あんなに幸福だったのだろう。共に旅立つという虚構の確信がもたらした、嘘だったのだろうか。現実には存在しないから、思い出せないのか。そもそも感覚とは記述可能なのか。
 けれどきっと──この世界の何処か、あなたがとうにあきらめた海に星が降って、闇が明け、鮮やかな星々が廻り、ああ、それが優しいものであってくれるなら。


 唯心論。
 ──くだらない。


 鼻で嗤ったのが聞こえたか、腕の中の頭が微かに動いた。

 夢でもいい。
 嘘でもいい。
 その切実さが、

 どうしようもなく──虚しい夜。



【了】


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