櫂兎の声を聞いた気がして、悠舜は後ろを振り返る。下町の雑踏、行き交う人々は貴陽の栄えを如実に表している。とはいえ、国試を通過し、異例ながら王の側付に任ぜられた『王の客人』がよもや王宮を抜け出してこんな場所にいるはずもない。気のせいだったに違いないと悠舜はすぐに結論づけた。が、
「おい、今櫂兎の声がしなかったか」
どうやら、自分の気のせいではないらしい。黎深の指摘に、鳳珠が暫く視線をさまよわせたかと思うと、道端の甘味処で止めた。その視線の先には、櫂兎がいた。
彼には連れがいるらしく、その相手との会話に夢中で黎深たち三人に気付いた様子はない。
「女性でしょうか」
彼の連れの姿は、ここからでは柱の陰になって目にすることができない。ただ、櫂兎は非常に上機嫌で、まるで愛しい人の前にいるかのようにとろける笑顔を浮かべていた。
「確かめてみるか」
「…馬には蹴られたくない」
「要は気付かれなければいいんでしょう。あの席なんて、いかがです?」
思いのほか乗り気でそんなことを提案する悠舜に、黎深を止めてくれることを期待していた鳳珠は目を見張る。本気かと問うような鳳珠の視線に、悠舜は「だって気になるじゃないですか」と笑顔で答えた。
悠舜には、どういうわけか、敵愾視とまではいかないが、櫂兎を意識している節があったのを鳳珠は思い出す。これもその延長なのかもしれない。しかし、このように覗きの真似事をするのは褒められた行為ではないのも事実であり――と、鳳珠が悶々と悩んでいるうちに、気の早い黎深は既に着席していた。悠舜も店内に入ってしまっている。鳳珠は諦めて店内に踏み入った。
悠舜が提案した席は、櫂兎の座っている席と近くもなく遠くもなく、かつ櫂兎はこちらに背を向けている形で櫂兎の同席者の顔がよく見える位置だった。その同席者を視界にいれた瞬間に、三人は己達の予想が的外れであったことを悟る。
つい最近に、彼らはその人物と会っていた。他でもない、殿試において。
櫂兎の連れは、この国の王、紫殲華であった。
「で、どうよ。お味の感想は」
「甘い」
「もー、それしかないの? どれを食べても『甘い』の一言で片づけちゃうんだもんなー」
実に気安い様子でそんな会話をする櫂兎と国王に、櫂兎が『王の客人』であったことを、鳳珠は今更ながら理解する。客というより、友人と言ってしまってもいい。
そんな二人が気に入らないとでもいうように、黎深は鼻をならした。折悪く、ここで店員が注文を取りに来た。機嫌悪げな黎深に睨まれた店員は、恐怖にぷるぷると震えながらも「ご注文はいかがなさいますか?」と言葉を投げかける。店員の鑑である。
人数分の餡蜜が注文され、店員が店の奥に引っ込んだところで、黎深は席を立ち、止める鳳珠の声も聞かずに国王と会話繰り広げている櫂兎に声を掛けた。
「お、おお? 黎深じゃん。一人?」
「いや」
櫂兎の言葉を否定して、黎深は後方にいる悠舜と鳳珠を指す。軽く会釈する二人に、櫂兎は片手をあげて返した。
「だよなあ、黎深が一人でこんなとこ入るわけないもん」
「おい」
ふにゃふにゃと黎深たちにゆるんだ笑みを向ける櫂兎に、殲華は薄ら不機嫌を滲ませて呼びかけた。櫂兎が視線を殲華に戻すと、殲華は櫂兎のその口に団子を突っ込む。櫂兎は抗議もせず、突っ込まれた団子をもぐもぐと咀嚼する。
「食べるのか…」
戸惑うような鳳珠の声は、櫂兎の耳には届かない。
至極美味しそうに櫂兎は団子を食べていた。夢中ともいえるその様子と、幸せそうに綻ばせた顔に、店の外で見た顔はこれだったかと黎深達は理解する。愛しい人を見ていたわけではなく、美味しいものを食べていたらしい。
やがて団子が串から消え、言葉を発するべく櫂兎が口を開くのだが、その時にまた、殲華は櫂兎の口へと甘味を突っ込んだ。今度は豆大福である。
一度は小さく眉根を寄せたものの、味はお気に召したらしく、またまた美味しそうに櫂兎はこれを咀嚼する。
くつりと笑った殲華の、次の行動は早かった。さながら親鳥が雛に餌でも与えるかのような――いやそれにしても過剰と言わざるを得ない――次から次へと櫂兎の口に放り込まれる甘味。それは間違っても「あーん」なんて生易しいものではない。「わんこ蕎麦じゃないんだから」と櫂兎の突っ込む隙すらないのだ。
食した余韻に浸る間もないことに心を痛めながら、櫂兎はぱんぱんに膨らんだ頬を縮小するべく必死に口を動かす。顎が痛くなってきた。
そんなことにはお構い無しに、殲華は次の白玉団子を匙に乗せて、なんとも加虐的な笑みを浮かべる。櫂兎は、この鬼畜王めと心の中で罵倒して、口の中が空っぽになったところで今度は自分から匙に食いついた。
櫂兎の行動が意外だったのか、僅かな間ながら殲華の手が止まる。櫂兎にとっては、それだけで充分だった。すぐに白玉団子を飲み込み、宣言する。
「はい終わり! 食べ物で遊ばない! あと俺で遊ばない」
めっ、と、まるで幼子を叱るかのように、櫂兎は言う。言われた王といえば、何を主張することもなく、「そうか」とすんなり受け入れた。あの泣く子も黙る殲華王がである。
それを横で眺めていた黎深は、気に入らなさそうに扇で机をコツコツ叩いたかと思えば、ちょうど自席にきていた餡蜜の器を一つ持って、櫂兎の前にドンと置いた。
「これも食え」
「えっなんで」
「私の餡蜜が食べられないというのか?」
まるで自分がつくったかのような言い様である。もちろんそのような事実はない。
「まあまあ、黎深」
毒っ気のない王に、先ほどまで信じられないという様子で驚いていた悠舜が、気を取り直したように黎深に向き合った。それから、嫉妬しているらしい黎深に苦笑する。気持ちは理解できなくもない。それほどまでに、二人は気の置けない仲であるようだった。特に櫂兎の方は、これでもかというほど王に対して気を緩めてしまっている。
むっすりと不機嫌さを隠しもしない黎深に、悠舜は小さく笑ってフォローに回る。
「櫂兎、黎深は貴方に食べてほしいんだそうです」
「でもこれ、黎深のだろ?」
「いらん」
きっぱり言って黎深は櫂兎に器を押し付ける。暫く戸惑っていた櫂兎も、結局もらうことにしたらしく、持っていた匙で黒豆や果物を掬う。
「あっ美味しい」
ぱくりと一口食べた櫂兎は、すぐさま頬を緩ませた。暫くそうして餡蜜をつついていた櫂兎は、餡子と白玉を匙の上に乗せ、黎深に差し出した。
「おいしいよ?」
「……」
差し出された匙を、仕方なさげに咥え込んだ黎深の眉間のしわが二本増えた。これは照れているなと悠舜は目を細める。
「甘い」
「お前もか…」
黎深の感想に、がっくりと櫂兎が肩を落とす。
黎深の眉間のしわはいつのまにやらなくなっていた。彼の機嫌は直ったらしい。まるで手のかかる子供だ。
鳳珠がさり気なく温かいお茶を櫂兎に渡す。気の回る男である。
「至れり尽くせりだなあ」
空になった餡蜜の器を前に、櫂兎はほっと息ついた。
黎深は澄ました顔で殲華を見下ろす。ここが外朝なら不敬と咎められるところだ。いや、どこであろうと失礼なことに違いないのだが。
そんな黎深を、殲華は歯牙にもかけない。ただお気楽に茶をすする櫂兎をみて、愉快そうにくつくつと笑った。
黎深は、小さく舌打ちをする。
「王は随分と暇らしいな。側近と下町で茶とは」
咎めるような黎深の物言いに、櫂兎はむっと眉根を寄せた。
「俺が無理いって連れ出したの。それに今は仕事外。だからお茶したって散歩したっていいんですー」
途端、黎深の眉間にしわが戻ってくる。仕事外に茶の誘いなど、黎深は櫂兎にされた覚えはなかった。
「懐かれたものだな」
「ん?」
黎深の不機嫌さを読み取って、殲華はくつりと笑った。殲華の言葉の意味をいまひとつ理解できていないらしい櫂兎が、殲華と黎深を交互にみてはきょとんとする。その表情のまま、解説を求めるように視線は悠舜と鳳珠に走らされたが、二人とも曖昧な表情を浮かべ何も言わない。
「なあ、それどういう――」
櫂兎の問いを遮るように、殲華は櫂兎の頭に手を伸ばした。そのままわしゃわしゃと手荒く撫でる。
悠舜、鳳珠、黎深の三人は、信じられないものでもみたというように目を見開く。なにせ、あの殲華王が他人の頭を撫でているのである。
「なあ殲華、悪いものでも食べた?」
ゴツンと音がして、櫂兎が頭をおさえる。殴られたらしい。
「暴力反対!」
櫂兎のくどくどと始まった抗議はどこ吹く風、殲華は口端を歪めて笑う。そんな様子を、三人は見守るほかないのだった。
■あとがき
なんやかんやしました。お茶というより茶菓子パーティーになってましたが。
■お返事
企画参加と50万hitお祝いの言葉ありがとうございます! 乾杯!
何とも実感のない数字です。一桁か二桁くらい多く感じてしまいます。
今後も夢主君たちにお付き合いいただければ幸いです。
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bkm