書類をぺらぺらとめくっていた華蓮は、この張が捕縛された件に御史台が何の抵抗もしていないことに眉根を寄せる。それを見て、寧明が言う。
「噂にするのも忌み避けられているようです」
「ええ、それどころか、御史台長官の名で緘口令がでていますわ。呆れた。余計に疑われるんじゃないですの?」
しかし、御史台としても抵抗しないことで、兵部に協力してはいる。口を噤むとは、なされるがまま、そういうことだ。
十三姫の件の裏にある、あの大捕物で今動けなくなるのが、御史台には困るのだろう。御史台という組織の役割を果たすために、その選択は確かに正しい。しかし、どうにも張を切り捨てるようで、華蓮にしてみればあまりいい気持ちではない。
寧明が、また思い出したようにぶわわと泣きはじめた。
「わ、私がやったと言えば! 張さまのせいにはならないのでは」
「根本的な解決にならないでしょう!」
余計に抉れそうな予感がして、華蓮は寧明を諌めた。
「その張という者も、自分が大人しく捕縛されれば、貴女への追及が軽くなると考えたのでしょう。貴方は安易な行動を慎みなさい。
真実は、いずれ明かされます。罪状すらも、まだはっきりとしていないのです」
なにせ、疑いだけで彼らは捕縛に踏み切ったのだから。今は、調査がなされている段階。何事もなく、疑いが晴れればいいのだが。
「沃様、沃様、例のご報告です」
『仕事日』の続く沃の執務室に、ぴょっこり顔を出したのは邑だ。
「邑ですね。はい、どうぞ」
「陸清雅は藍の十三姫に扮する紅秀麗を連れ回しているようです」
「囮ですからねえ。折角職場に咲いた花です、散らないといいですねえ」
「沃様は紅秀麗を気に入っておられるのですか?」
こてんと可愛らしく首を傾げる邑に、彼のこれはわざとだと分かっていても和んでしまった沃は、緩んだ頬をすぐさま引き締めて邑の問いに答える。
「別にそういうわけでもないのですけれど…なかなか行動派のようですし、あの娘が育てば私は楽できそうだなと」
「あまりそうしていると、そのうち仕事奪われちゃって、追い落とされてしまうんじゃないですか」
「ああ、いいですねえ、それ。陸清雅は侍御史になりたがりませんし、彼女に期待しましょうか」
「いいんですか…」
まさか本人が追い落とされることを望むとは思わず、邑は呆れた顔をする。
「構いません。けれど彼女も、陸清雅よろしく身軽な方が好きそうです。程々に机に居座るこの地位は、好まないでしょう」
「あれ? でも、侍御史の方で、机仕事されてる方って、少ないですよね。地方監査に行かれていたり、よく動いてらっしゃる気がします」
「よく知っていますね。しかし、あれは本人が無茶をしているだけですから。動き辛いことには違いありません。
人をつかって仕事をさせる場面でも、大人しくできない人間が多いのですよ。一種の役割放棄です、けれども、人材不足が著しく本人が出向くしかない場面もあり、仕事を果たすためには仕方がない、ともいえるのでしょう」
「へえ。沃様にはご自身から出向くなんてこと、なさそうですけれど」
「失礼な。私だってたまに『お出掛け』しています」
「想像がつきません…。そう、お出掛けといえば」
ぽん、と手を打って、邑が懐から記録紙を数枚取り出す。
「葵長官が甘味屋にいらっしゃったという噂ですが、裏がとれました」
そう言って邑は、証言をした人物の名を連ねた紙を沃に渡す。
「とれてしまったんですか……」
「お一人だったと。餡蜜を注文されたそうです」
「一人で餡蜜」
沃は目を閉じた。その光景が沃には全く想像できない。夏であるというのに、涼しさすら感じる。
「天変地異の前触れでしょうか。張も兵部に捕まってますし。ちゃっかり者の彼らしくない」
「恋をすると、その恋の相手しか視界に入らなくなりますから、仕方ありません」
妙に自信満々に邑が言う。見た目幼い彼にまるで噛み合わない発言に、ませているなと沃は目をぱちぱち瞬かせた。
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bkm