藍家の十三姫を狙う兇手の背後関係を調べるべく、囮をつとめに秀麗は後宮へやってきていた。
顔色の悪い珠翠を心配しつつ、十三姫に扮装すべく、静蘭と蘇芳の二人と別れ十三姫と別室に向かう。着いた室で待ち構えていた人物に、秀麗は目をまるくした。
「父様の知り合いの!」
「ええ、華蓮でございます。また会えましたわね」
ふわりと微笑んだ華蓮に、秀麗がポッと顔を赤くする。相変わらず、ほれぼれするような美しさだ。
秀麗と華蓮を交互に見ていた十三姫は呟いた。
「…やっぱり華蓮さんって顔広すぎない?」
「ふふふ、年の功ですわ」
それより「お着替え」の時間ですわよ、と華蓮は用意されていたらしい服とたっぷりの化粧道具を示してにっこり笑った。
秀麗を十三姫と一緒になって、すっかり飾り立てた華蓮は、去り際に十三姫に塩のはいった袋を託していった。
塩と聞くと未だに先日の一件を思い出し、清雅への腹立ちがふつふつと湧いてくる秀麗だが、華蓮が十三姫にこうして渡した意味が分からない。首を傾げる秀麗に、十三姫はくすりと笑った。
「ちょうど味気ないと思い始めたところだったのよねー」
「…お料理が?」
「まあ、そんなとこ」
秀麗には、後宮で出てくる料理はどれも美味しかったおぼえがあったが、十三姫が濃い味を好きなのかもしれないと、その場では彼女の言葉を流した。
本当の意味で、その塩の役割を秀麗が理解したのは、この後のことである。
女官に運ばれてきた料理を、十三姫の釣ってきた魚で毒見してみれば魚がぷかりと腹を見せて浮かぶ。毒入りでは、食べられたものではない。結果、今日の食事は十三姫の釣ってきた魚となる。
今から焼こうという魚に、十三姫は嬉しそうに塩を塗り込む。秀麗もそれを手伝い、魚を串につき刺していった。
「塩は、ここで使うものだったのね」
せめて塩でもないと、焼き魚は味気ない。淡水魚なら尚更だった。
それにしても、これから毎日魚ばかり食べるともいかない。静蘭に今後の食材調達を頼み、手料理を振舞うことを秀麗が話せば、十三姫は手を叩いて喜んだ。
「華蓮様」
「わっ…な、なんです、珠翠でしたか。もう、脅かさないでくださいまし。こわーい御史さんにでも見つかったかと思いましたわ」
はー、と深く息を吐く華蓮に、珠翠はむっと眉を寄せる。
「驚いているのはこちらです。こんなところで、こそこそとお一人で、何をしていらっしゃるんですか?」
「いえ、どこで十三姫への食事に毒が紛れ込んだのかと思いまして。それを知りたかったものですから。
料理は厨房から運ばれてきてるでしょう? その時の毒見では、何も見つかりませんのに」
確実に、運ばれるまでのどこかで紛れ込んでいるのだ。そして、一番、紛れ込ませやすい立場の者を考えると、女官達ということになる。
「私は、女官達を疑いたくはありませんから」
その時、ぱんと何かが廊下に落ちたような音がした。
華蓮と珠翠が音のした方へと目を向ける。そこには、真っ青な顔をした寧明がいた。彼女の足元には粉々になった茶器がある。先程までの話を漏れ聞き、茶器を落としてしまったらしい。
「私のお出ししたお料理に、毒が?」
そういえば、今日食事を運ぶ役は寧明だった。寧明は、恐怖でその表情を染め、ぶるぶると震えた。
「藍の姫様が! どういたしましょう、私はとんでもないことを」
そう口にした途端、寧明は駆け出した。
「まあ、寧明! 走っては、」
「華蓮様も! もう、割れた茶器を踏まれたらどうするのです」
珠翠が華蓮の腕を引き、宥める。落ち着いた華蓮は、破片に気をつけながら、茶器をぴょんと跳び越した。
「……こんな真似、他の女官達の前ではできませんわね」
「片付けはしておきます。華蓮様は寧明を」
「ええ、頼みましたよ珠翠」
すす、と歩幅は狭いながらも急ぎ足で、華蓮は寧明を追う。
華蓮が桃仙宮の入り口周辺にまで来たところで、道を戻ってきていた彼女と会えた。十三姫の室を訪ねた後らしく、どこかぼうっとしていた寧明は、華蓮に気付いてうるりと瞳を潤ませた。
「……塩焼きのお魚を食べてらっしゃいました」
告げる寧明のその声は、歓喜に震えていた。その話を聞くに、華蓮の用意しておいた塩は役に立ったらしい。
「寧明。姫が無事で、よかったですわね」
よしよし、と華蓮が寧明の背をさする。耐え切れないとでもいうように、寧明は華蓮の服を掴んで啜り泣きだした。
「よかった、よかったです…」
最悪の事態が起こらなかったことに安堵して、寧明は嗚咽を漏らす。
毒。そう、その種類は様々だが、このような状況で使われる毒ともなれば暗殺用――口にすれば死ぬというもの。寧明の反応に、今更ながら華蓮も死と人の悪意を側に感じてゾッとする。
毒に囲まれ、劉輝の世話役をしていた時期の感覚のままで考えていたが、その状況の物騒さを自覚してしまっては囮をこなす秀麗が心配になってくる。十三姫と一緒なら、これは要らぬ心配なのかもしれないが。
そして毒の経路。少なくとも寧明は白だと華蓮は答えを出していた。
貴妃妾妃狙いにしても、リスクが高いし、そんな素振りは今まで彼女になかった。第一、彼女は今恋にときめく乙女、彼女の想い人はお髭のチャーミングな張である。
怪しいのはその辺にうろついている、兵部曰く警護のみなさんなのだが。
じろじろこちらを見ているその者達を、華蓮は「見世物じゃありませんわよ」と追い払いながら、寧明を連れて道を戻った。
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