劉輝の帰りを見送り、これから珠翠の室へ行こうというところで、華蓮はここに本来居ないはずの人物を見つけて、顔を顰めた。対するその人物は、華蓮を見てパッと表情を明るくした。
「こんにちは、おねえさん。先程ぶりです」
「まだ居座っておりましたのね。しかし、今は夏。ここに春色四男の居場所はございませんわよ」
しっしと追い出すように手を振る華蓮に、その春色四男――楸瑛は懐かしそうに目を細めた。笑みを浮かべて、嬉しそうですらある。
「な、何ですの、そんな風に笑って。気持ち悪いですわよ」
「いえ、あまりにもお変わりなかったものですから、なんだかほっとしてしまって」
「そういう貴方も、相変わらず春しか頭にないようですわね? うちのかわいい女官達においたを働いているのだとか。珠翠に聞きましたわよ」
「珠翠殿が私の話を?」
「どうしてそこで喜ぶんですのよ、そこで! 褒めてませんわよ、貶されてましたわよ。ボウフラ男だなんて、まあ素敵な渾名がついたものですわねえ」
途端、ぐっと言葉に詰まる楸瑛に、やれやれと華蓮は笑った。
「困らせて好きな人の気を引こうと、もう昔のように悪戯する歳でもないでしょう?」
「昔……」
「ええ、忘れていませんわよ。ふふ、貴方の
おいたにさんざ困らされて、貴方に春色な口説き文句を幾度となく囁かれて、果てには藍家の当主までもが動いて? そうして貴方に求婚までされましたわ」
「わ、わ、忘れ…」
華蓮の話す、己の「若気の至り」ともいうべき内容に、楸瑛は恥ずかしさのあまりぷるぷると震え悶える。
華蓮はというと、まさか彼に恥なんてものがあったとは、と、非常に失礼なことを思っていた。しかし、一連の求婚劇も、ちゃんと過去にできたらしい。きちんと諦めてもらえたようで、華蓮としても安心だ。
「忘れてなんて差し上げませんわよ? 当時は本気だったのでしょう? 微笑ましいじゃないですの。
ふふふ、大丈夫ですわ。過去は過去、あくまで『そんなことがあった』というだけのお話ですわ。貴方は今愛した人を、大切にすればいいのですわ、春色四男」
「それは珠翠殿との仲を認めて頂けるということですか!?」
楸瑛は途端に目の色を変えて、先程まで恥ずかしがっていた彼は何処へやら、華蓮の言葉に食いつく。
「何だか必死過ぎて痛々しいところ悪いのだけれど、それとこれとは別でしてよ。まず珠翠に認められることから出直してきなさい。今では迷惑がられているだけですわよ」
「そんな! …おねえさんからも珠翠殿に言って下さいよ」
「馬鹿を仰らないで下さるかしら? 春色四男、貴方は知っていて? そもそも私は、小さな頃から面倒をみてきた可愛い可愛い珠翠が貴方の毒牙にかからぬように、貴方が出たと聞いたら彼女を避難させるようにしていたの」
「出たってそんな、熊みたいに」
「熊ならまだ対処のしようがありましたわよ! 本当に、全く! 何処から入ってくるのか、手引きする者までいるのだから手に負えませんわ。
それはともかく、そうして貴方には会わせないように気をつけていましたし、珠翠にも、もし会ったとしても逃げるよう言い含めていたのですわ。
それなのに、珠翠は、どうして貴方に会ってしまったのでしょうね?」
楸瑛は、珠翠と初めて会った時のことを思い返した。そう、あの時の自分は――
「……珠翠殿への想いがまた一つ募りました」
「あらそう。うちの珠翠は可愛いでしょう?」
ふわふわと、彼女に珍しい、そう、親馬鹿顔とでもいうような表情で華蓮が笑う。楸瑛は苦笑しながら言葉を返す。
「ええ、とても」
「大丈夫、私のことだってきちんと『昔』にできたのですわ。貴方はそろそろ逃げるのをやめて、さっさとけりをつけられたらどうかしら?」
「……おねえさんには、敵いませんね」
「ふふ、雪のお礼ですわ」
雪。その単語でまた楸瑛が悶える。華蓮は気分がよくて仕方ないとでもいうように高笑いした。楸瑛は、笑われているというのに、その笑いがあまりにも彼女に似合っており、うっかりときめいてしまったがばかりに複雑そうな表情をしていた。
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