「や、楊修。元気してる?」
彼が行動範囲としているところにふらりと入り込んで楊修を見つけた櫂兎は、周りに人がいないのもこれ幸いと楊修に声をかけた。
声をかけられ、櫂兎と目のあった楊修は辺りを見回してから、ふわりと笑った。
「棚夏殿、お久しぶりです。何とかやっていますよ。本日は何の御用ですか」
「お礼に」
「……『お礼参り』ですか? 所謂報復行動の」
お手柔らかにお願いしますよ、と楊修は眉を下げる。整った顔がきゅっと困ったような形になるので、櫂兎は何だか悪いことをしているような気が湧いてしまう。
「言葉通りの意味だから!」
「はい。私も、冗談ですよ」
先ほどの困り顔はどこへやら、にっこりと満面の笑みを浮かべた楊修に、からかわれていたのだと分かり櫂兎は唇を尖らせる。
それも、本題を忘れていたと気付いたところで表情をころっと笑顔に戻し、楊修に礼を述べる。
「セーガ君に一泡吹かせてくれてありがとう!」
「それ、お礼を言いに来ることなんですか……」
「いや、だって。セーガ君には悪いけど、正直スカッとしたし、楊修の仕事っぷりになーんか嬉しくなっちゃったし」
へへへ、と緩んだ笑みを浮かべて櫂兎は頬をかいた。それから、思いだしたように訊いた。
「団子いる? それとも甘煎餅がいい?」
「紅茶葉がきれました譲ってください」
カッと目を見開いて何かのスイッチが入ったように言いだした楊修に櫂兎はびくりとした。心なしか血走った目をしている。
どぅーどぅーと宥めながら櫂兎は明日楊修に紅茶葉を渡す約束を結んだ。
「作り方おぼえてみる?」
「ご教授頂けるので!?」
目の色が違う。とても怖い。勢いにおされながら櫂兎はこくこく頷いた。紫州を表向き離れる日までに予定を繰ることになるだろう。
「そういえば」
ようやく落ち着いた楊修が、ぽん、と少し大袈裟に手をうつ。
「あの青年……陸清雅でしたか。冗官室に貴方が来た時の、彼の反応を見ていて知人である可能性はみていましたが……。吏部を去った貴方がまさか御史とは」
流石の勘の良さ。彼には吏部からその情報がいくこともあるかもしれないと思っていたが、どうやら報らされはしなかったらしい。それでも情報を自力で得るのだから、末恐ろしい。
「うん。性にはあわないんだけど、いくところもなかったからね」
「……戻っては、こられないんですか?」
「あはは。あんな騒ぎ起こしたんだ、戻らないって」
どこか自嘲気味に、目を細め笑った櫂兎に楊修は彼に珍しく優しい目をして眉を下げた。
「残念です」
「……ありがと、ごめんな」
「いえ。随分と健康的な顔されているので少し羨ましいくらいです」
苦笑する楊修に、櫂兎はきょとんとする。楊修はくすりと少し意地悪げに笑った。
「隠されていたつもりでしょうけれど、私だってあの貘馬木殿の化粧に変装指導を受けていたんです。棚夏殿が吏部にいらっしゃった時、寝不足なのを化粧で隠していつも飄々と平気なフリをしていたの、みていました」
「……やだなあ、もう、格好つけさせてよ」
これはなんだろうか。櫂兎は自分が今どんな顔をしているのか分からなかった。ただ妙に恥ずかしさや照れ臭さを感じて、それなのに、なんだか無性に泣きたい気持ちだった。
「もうとっくに上司部下ではないんですから。格好つけなくったって、」
いいでしょう? と微笑む楊修を、櫂兎はコツンと小突いた。
「よくないやい」
ああもう本当に、頼もしくて困る後輩だ。
櫂兎はピンと人差し指だけのばして、顔の前にもってきた。
「セーガ君が何をしているのかは秘密。お仕事だからね」
「それでは、答えを言っているようなものでは」
「ふふふ」
清雅に楊修のことを多少は話したのだ、これくらいしてこそフェアというものだろう。どっちつかずのようなのは悪いが。
今回だけ、今回までにするから。許してほしい。誰に言っているのかも分からない気持ちが、ふわり浮かんで消えていった。
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